メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

2019年の個人的総括

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ども。檀原(@yanvalou)です。

あと数時間で今年も終わりですね。

今年は今までとはちょっと違う年でした。
まず昨年12月に出した著作の発売イベントとその準備から幕を開けた訳ですが、3、4ヶ月経った辺りで「自分の能力の総体がどの程度で、どの位のレベルの仕事が出来るのか」が見えてしまいました。

今までは「まだ伸び代があるはずだ」と思っていたし、実際まだ学ぶことは多いのですが、そういうことも勘案した上での自分の総合評価がはっきり分かってしまい、なんか「これ、つづける意味あるのか?」と思ってしまいました。

矢沢永吉は「人様から見たら、矢沢の唄は全部同じに聞こえるかも知れないが、矢沢本人はそう思っていない」と発言しているけれど、まぁそういう話。
たぶん矢沢自身「俺につくれる歌の幅はこれくらい(または「俺が持ち歌に出来るレパートリーはこれくらい)ということを、しっかり把握/自覚しているんでしょう。

矢沢の場合は「意外性」という切り口で限界突破を試みている訳だし、彼のみならずアーチスト(音楽家も美術家も)といわれる人種はコラボレーションとか即興、転地療法(レジデンスとか移住とか)的な手段をつかって、新たな刺激を取り入れていきます。

ただライターって、そういうの当てはまらないんですよね。
おまけに発表→批評というサイクルもありません。
プロフェッショナルからのレスポンスがないのは、なんとも物足りない。

という訳で、「このままつづけても良いことないな」と考えて、サバティカル休暇的な時間を作ろうと能登半島に行ったのが5月。
ところが能登から戻る直前に目の不調に気付き、帰浜後眼科で「網膜剥離です」と言われたのが梅雨入り時。

手術して失明の危機は免れたものの、目の調子はいまだに良くありません。

ブログには半分も書けなかったのですが、今年は何度か旅行に行きました。
良い感じで刺激をもらいましたし、「自動車で旅すると、地方もアメリカの田舎もあまり感覚的に変わらないな」と意外な発見をしたりもしました。
ただ、それはそれ。

新作2冊分の取材に手を付けてはいるものの、なんかなぁ。これ、ほんとうにやるのかなぁ、という感じ。
いや、出来るとは思うし、かなりハイクオリティに仕上げる自信はあるんだけど、さわやかな笑みを浮かべながらもっともらしいことをいうのはなんかなぁ。

とりあえず来年1月15日から、1週間尾道でライター・イン・レジデンスです。
(アート畑の人は「1週間」と聞いて失笑しそうだけれど、日本の本の世界の実情はこんなもの)

何年か前にわざわざフロリダまで取材に行ったのですが、ようやく日本でもぽつぽつ実施されるようになり、札幌、台北につづき3回目の参加です(その前の浦河町の自主企画も勘定に加えれば4回目)。
レジデンスの話は、尾道に行ってからまとめてお届けします。

magazine-k.jp

ここ何年かで一番救われたのは、たぶん北海道で「アイヌモシリ一万年祭」に参加した時で、「どこかでまたああいう人達と出くわさないかな」と思っています。

www.yanvalou.yokohama

総括すると、2019年は中年の危機の年でした。
もう少し年を取ると、このままならなさも過ぎ去ってしまうだろうから、せいぜい味わい尽くしますか。
今年も残すところあと数時間です。

来年も懲りずにお付き合い下さい。