メケメケ

メケメケ

町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

普通の人々が大きな物語に巻き込まれたとき

タイトルなしタイトルなし / yosuke watanabe

ども。檀原(@yanvalou)です。

以前「インタビューの相手として面白いのはごく普通の人たちだ」という記事を書きました。

www.yanvalou.yokohama

この考えは今でも変わっておらず、普通の人々を取り上げた企画が出来ないかと機会を伺っております。

先日高円寺の銭湯を舞台にした企画「銭湯ぐらし」を発見し、管理者にコンタクトをとりました。

sentogurashi.com

これは銭湯の所有する取壊し予定のアパートを建て替えるまでの猶予期間を使ったアートプロジェクトで、ライターでも参加出来そうでした(プロジェクト詳細はこちら)。

僕は「この銭湯の常連客の方にインタビューしてHumans of New Yorkのようなウェブサイトを作る」という企画を提案したのですが、「プロジェクトの期間が満了した」という理由で受け入れてもらえませんでした。
募集を打ち切ったのであれば、いつまでも「募集中」のページを公開しないで欲しかったです……。

さて、そんな状況なのですが、バズフィード上にすごい記事が出ていたのでご紹介します。

www.buzzfeed.com

シリア内戦に巻き込まれた普通の人々の人生を、写真と短いエッセイで切り取っています。
主人公は難民たちですが、キャンプの悲惨さや戦争の悲しさを打ち出すのではなく、彼らの人生を余計な感傷を抜きにして見るものに差し出しているのがすばらしいです。

たくさんある作品のなかから2点だけ転載します。
(作品のオリジナル公式サイトは以下の通りです)

www.omarimam.com

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「私は生後6カ月のとき、やけどを負いました。父親はそれを理由に、母親を捨てました。成人した私は、私を外見で判断できない女性と結婚しました。私の妻は盲目で、耳も不自由です。このキャンプにいると、さまざまなNGOが私たちを訪ねてきます。彼らは妻の症状を詳しく調べ、この杖を置いていきました。

妻は目が見えないため、私は彼女が好きなテレビ番組のストーリーを話してあげます。私はときどき、ストーリーを変えて伝えます……その方が楽しんでくれると思うからです」

―バッサム、39歳

 

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私は建設会社を経営していましたが、レバノンに来てからは、港で働いていました。しかし、同僚に4階から突き落とされ、今は体がまひしています。手術の日、医師が言いました。"手元にネジまわしがないので、背中の手術を進めることができない"と。自動車整備士と話しているような気分でした。私たちは難民ですが、人間であることに変わりはありません。必要な道具を用意しておくことは医師の責任です」

―ファテン、35歳

 SNSの興隆とその影響は、神が死に、国民全体が共有出来る大きな物語も失われたという時代背景抜きには語れません。

これからは普通の人々に光を当てることが、ますます重要になってくるでしょう。

今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!

有明のタワーマンションで、サロネーゼの世界を垣間見た話

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2015年5月27日に取材した東京・有明のパン教室「Salon de luciole」の紹介文です。
お蔵入りしていたものを蔵出しいたします。
取材文のサンプルとして御覧下さい。

(ちょうど「サロネーゼ」ブームの頃に取材したのですが、懐かしい響きですね……)

 臨海副都心の足・ゆりかもめ線「有明テニスの森駅」から徒歩3分。江東区有明タワーマンションに向かった。

 ここは本来一番高く売れるはずの最上階を、エレガントなバーや間接照明できらめくプールという共用施設にしてしまったことで一躍有名になった物件だ。

 石張りの池に渡した橋を渡り、天井まで届くガラスのドアを通り抜け、エメラルドグリーンの威風堂々たる列柱と鏡面仕上げの大理石で彩られたエントランスに感嘆しながら、取材先のインターホンを押した。

 インターホン越しの寺澤麻都先生は優しそうな声で解錠してくれた。

 エレベーターに乗り込んで上階に向かう。タワーマンション特有の、カーペット敷きで窓のない廊下を歩き回り、目当ての部屋番号を探す。あった。

 出迎えていただいたそこは、シンプルで上質な空間だった。先生にお会いする前の段階、つまりマンションに来た瞬間から非日常の世界に入り込んだような心持ちになり、知らぬ間に意識のチャンネルが切り替わっていたことに、改めて気づかされた。

 寺澤先生のパン教室「Salon de luciole」はタワーマンション内の自宅でレッスンをしている。調度品はあっさりして趣味がよく、お子さんを膝に載せた先生はまだ若くて見目麗しかった。掃除や片付けも行き届いていて家内は澄み渡るよう。レッスンが行われるというダイニングルームからは、建設中の豊洲新市場と遮るもののない広大な有明の大地、更にその先には東京タワーやスカイツリーが一望できた。この教室に通っているのはどんな人たちなのだろうか。

「20代から40代で有明、東雲、豊洲に住んでいる方が多いですね。半分くらいはお子さん連れです。残り半分はほとんど幼稚園生や小学生のママで、子供たちがいない間に自分の時間を楽しみたいという方たちです」と先生。

 身近な憧れの対象として夢を売る仕事をしているのかと思いきや、参加者も先生と同年代で妙な敷居の高さはないようだった。きっと気の合った仲間相手の素敵なおもてなし、という世界なのだろう。

「パンは結婚前から趣味で習っていました。南千住の個人の教室でコースに入ったんです。体験レッスンや単発レッスンで何カ所か行ったことがありますのですが、この入会を決めたその教室が私にとっては一番でした。レシピが丁寧なんです。せっかく教えて頂いても1月経つと忘れてしまうことは少なくないと思うのですが、レシピがしっかりしていると後で見返したり、再挑戦したときに役立つんです。先生のお人柄も良かったですし」

寺澤先生のクラスは「とくかく自分でたくさん焼いていく中で成長していきました」とか「パンは力仕事なので2~40代の受講者がダントツに多いんだと思います」などという言葉の通り、優雅なだけではなくかなり本格的だ。「自宅で実際に作れるようになりたい」と真剣に思って来ている受講者がほとんどなので、サロン的な気安さとは少々勝手がちがう。

 レッスンはまず、口頭でのレシピの説明から始まる。その後、実際の調理に入る。計量だけは先生が行うそうだが、あとはすべて生徒が1人で行う形だ。もちろん先生が横について教えてくれるので心配はいらない。少人数制で生徒は最大で3人までにしているという。

 レッスンの締めは試食になるが、焼きたてがおいしいパンと冷ましてから食べた方がおいしいパンがあるので、試食は行わないこともある。焼いたパン類は教室で用意した箱や袋に入れて持ち帰ってもらう。持ち帰り用の袋にも工夫を凝らしているのが、「Salon de luciole」らしさである。

「そのままプレゼントできるように、見た目のかわいらしさも意識したものを用意しています」という寺澤先生の言葉通り、「パン屋さんで買ったみたい」に見える袋は好評だ。実際、帰りにそのまま友人にプレゼントする受講生もいるという。

「二次発酵中の待ち時間にティータイムを設けています。サービスで私が焼いた焼きたてのパンを食べて頂いています。また、日頃家事や育児でお疲れの皆様に穏やかで優雅な時間を楽しんで頂けたらと思い、月ごとにスイーツを決めてお出しするなど、工夫するようにしています」。

 生活空間コーディネートのカリスマとして知られるS先生のテーブルコーディネイトレッスンを以前受けていたという寺澤先生。もてなしの技術は折り紙つきである。

 受講生はほとんど毎月リピートしているのでどれも美味しいと言っているが、特に好評なのが、「栗と抹茶のライ麦パン」と「リッチチョコのアーモンドクランブルパン」だという。定番のパン、例えばベーグルやウインナーパン、ピザなどもやはり人気のコースだ。

 先生が気を遣っているのが食材選びだ。具材はできる限り国産無添加のものを選んでいるという。臨海副都心エリアには食材にこだわりを持つ人が多いようだ。化学調味料、保存料、着色料などは極力避けているとのこと。お子様に食べさせたいと思って来る生徒さんが多いので、食材の買い出しには手間がかかったとしてもシンプルな原材料をつかうように心掛けているそうだ。

 例えば粉はもちろん北海道産だが、無塩バターも、よつ葉乳業の北海道産のものを選んでいる。また最近のメニューのピザパンでは、ソースはトマトと塩のみで作られた、高級食材店で購入したものを使用したそうだ。それもこれも「生徒さんに満足して欲しい」という一心から来るこだわりである。

 これは取材中に感じた印象だが、寺澤先生はかなりまじめな優等生だったのではないだろうか。2014年7月に「Salon de luciole」を開講してからも、日々美味しいパン屋さんに出向き、美味しいものの研究をしたり、大量の本に目を通しながら日々研鑽を続けている、という姿勢からも、ひとつのことに真剣に打ち込むまじめな人柄をうかがい知ることが出来る。

「受講者の方から本当にたくさんのメールを頂きます。『とても楽しくて満足だった』『家族が喜んでくれた』『子供がたくさん食べてくれた』『家でも作ってみました』という報告を受けると励みになります。ご主人様やお子様も月1のこの日を楽しみにして下さっているということも耳にします。教室ではアレンジの仕方も教えていますが、自宅でアレンジした物を写真付きで報告してくれる方もいて嬉しいですね」。

 先生と生徒さんたちの距離の近さが感じられ、聞いていて微笑ましかった。

「私は大手の教室ではできないようなレシピ作り、優雅さや子連れOKな柔軟さなど自宅教室ならではの良さを活かしてやっていきたいですね」。

 居心地の良い空間にいると、こうも気持ちよく前向きになれるのか、ということを実感した取材だった。

Salon de luciole
主催者:寺澤麻都(てらさわ あさと)先生
住所:東京都江東区有明
http://ameblo.jp/rosepppinkey/entrylist.html

※ Salon de lucioleは2017年7月を以て閉講。現在先生はパリにいらっしゃるそうです。

台北郊外の住宅地でコブラに遭遇! 「トレジャーヒル」宿泊記-2

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ども。檀原(@yanvalou)です。

前回話し始めた「トレジャーヒル」宿泊記のつづきです。

トレジャーヒルへのアクセス

寶藏巖國際藝術村Treasure Hill Artist Village
住所:台北市汀州路三段230町目14弄2号
アクセス: MRT「公館」駅1番出口から歩いて約13分

最寄り駅は地下鉄(MRT)「松山新店線」(路線図では緑色で書かれる)の「公館」駅です。
日本の「東京駅(もしくは大手町駅)」に該当する「台北車站」から7駅ですから、15分程度でしょうか。

「公館」駅は台湾のエリート大学「国立台湾大学」の最寄り駅でもあります。同校は日本統治時代の1928年に設立された台湾でもっとも古い大学の一つ。散歩がてら校内を歩いてみましたが、東大よりも格好いいですね。
なにより正門から続くヤシの木のメインストリートに圧倒されます。
なんとこのキャンパス、東京ドーム4個半分の広さを誇るのだとか!

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taiwan-blog.com

しかし今回はこの大学の話ではありません。
大学とはほぼ反対の方角に向かって進みます。
駅付近は結構賑やかで、繁華街という程ではないものの、たくさんの飲食店が軒を連ねます。
その人混みを縫うようにして南東に進みます。
10分くらい歩くと、グラフィカルな壁画が見えて来ました。

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壁画を見ながら進んでいくと、いつのまにか前方にカラフルな寺院がそびえています。
「宝蔵巌」の地名の由来となったお寺です。
現在では人気も絶え、関係者と思しき人をたまに見かけるくらい。
ゴージャスな色彩とは裏腹な、さみしい場所です。

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お寺に日本の痕跡が。「昭和十四年建之」の文字。

トレジャーヒルの宿泊施設

その奥にあるのがトレジャーヒル・アーチスト・ビレッジ(Treasure Hill Artist Village: THAV)。
入口付近は家庭菜園になっています。
むかしはここにも違法建築がひしめいていたのですが、解体後の跡地が畑になったのです。

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アーチストビレッジの受付。

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宿泊施設の外観。

さっそく見ていきましょう。
僕が泊まったのは101号室でした。

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広さは6畳間くらいですが、変形しており真四角ではありません。
見ての通りコンクリート打ちっ放しで真新しい建物です。
トイレとシャワーは共同でした。
このときはほかに女性が2名くらい泊まっていた模様。

トレジャーヒルの目の前には大きな川(新店渓)が流れており、夜になると真っ暗です。
ひじょうに静かなので、俗世間から切り離されたような気分になります。
眺望もすてきで、朝起きて川を眺めると力が湧いてきます。
創作のためにお籠もりするには、絶好の場所と言えるでしょう。

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しかしライターが作業するには、ちょっと厳しいかも知れません。
机が小さすぎるし、今ひとつくつろげません。
仕事するならカフェでノマドか、別に一部屋借りるか。
ただしここをベースにしながら、台北でネタ探しや取材活動するのはありだと思いました。

ただし夜の街の取材には向いていません。
というのは、ここには門限があるからで、たしか22時だったかな。
それ以降はゲートが閉まって入れなくなります。

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共有スペースです。
中国語や英語の本が揃っています。
ここで英語で書かれた台湾ガイドブックに目を通したのですが、日本語圏では紹介されていない面白い場所が散見されました。ここに出ていた場所にも、今後行ってみようと思っています。
(僕は旅行するとき、事前のリサーチで英語圏の情報も参考にしています)

日本の「アートをつかった町づくり」の現場同様、ここを気に入った個人がショップやカフェを開いています。
世界から取り残されたかのようなこの町には、独特のメランコリーがあります。
(こんなに写真を載せるつもりはなかったのですが、絵になる場所が多すぎて止まらなくなりました)

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レジデンスアーチストのインスタレーション。日本人作家の作品もありました。

台湾にもコブラがいたなんて!

さて。

トレジャーヒルで驚いたのは、道端でコブラを見かけたこと!
地元住民が地面の一点を見ながら集まっていたので「なにごとか」とそばに寄ったところ、コブラがいたのです。

じつは日本統治時代の記録にコブラに言及したものがあります。
沖縄でいうハブみたいなもんでしょうか。

コブラはおとなしく排水溝のなかに潜っていきました。

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ここにいると日本の影を感じる

日本と台湾の歴史が交錯するこの土地にいると、不思議な感慨に襲われます。
それは日本がアジア近隣諸国とつながっているという実感です。
沖縄にいると本土とはちがう沖縄独自の歴史を感じますが、それとよく似た感覚といいましょうか。
台湾にいると、沖縄か小笠原諸島にいるときのような、日本の本土との関係性をそこかしこで感じるんですよね。
これは欧米諸国では経験出来ない世界です。

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ところでトレジャーヒル、ちょうどいま、6月8日〆切で滞在アーチストを公募していますね。
ご興味をお持ちの方は挑戦してみてはいかがでしょうか?

AIR Taipei 台北国際芸術村2019 レジデンス公募(台北/台湾) : 東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)

*THAV が主催する本来のレジデンス期間は8〜12週間(最短4週間)です。

今回の記事は以上です。
またのお越しをお待ちしております。

ライターなら泊まれるかも? 台北のディープスポット「トレジャーヒル」宿泊記-1

台湾
ども。檀原(@yanvalou)です。
今回は、時折思い出したように登場する台湾ネタです。

台湾のなかでも首都台北とその周辺は、日本人観光客が特に多いところ。
グルメや九份、淡水などへの観光が人気です。

しかし台北にはかなりディープなスポットも点在しています。
その一つが今回ご紹介するトレジャーヒル寶蔵巌国際芸術村)です。

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【Video】寶藏巖國際藝術村簡介影片/Treasure Hill Artist Village Promotional Video

退役軍人たちが創りあげた違法建築の密集地

その昔。ここは尼寺が一つあるきりの寂れた場所でした。
しかし日本軍が接収し弾薬庫や砲台をつくります。
台湾の独立後、今度は中国大陸から逃れてきた国民党が軍事施設として継続利用します。1970年代に軍が撤収した後は退役軍人やその家族が住み着くようになりました。
ここに来たのは老いた下級兵士たちです。金のない彼らは自分たちで住まいを建て、増築や改造を繰り返します。
元々川沿いの崖に立地していることもあり、道は狭く曲がりくねっています。その上住民たちが思うがままに増築した違法建築がぎっしり立ち並んでいる訳で、治安の面でも景観の面でも決して良いとは言えない場所でした。

現在はかなり綺麗になっていますが、率直に言ってブラジルのスラム(ファベーラ)にそっくりです。ブラジルのスラムも丘に貼りついていますからね。

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台湾が経済成長し、都市の再開発が活発になると、このエリアは取り壊し対象になりました。
奇しくも国民党の軍人と家族が暮らした「眷村(けんそん)」とよばれるエリアが老築化し、台湾全土で取り壊しが行われていた時期でした。
トレジャーヒルも眷村の一つでしたから、重機が入り、容赦なく取り壊しが始まりました。
しかし文化人たちがここを「歴史的に意義のある地区」だと考え、大規模な保存運動が巻き起こります。

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トレジャーヒルの一室で上映されている記録映像『看不見的村落』の説明

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かつて暮らしていた住民たちのポートレート(記録映像『看不見的村落』より)

最終的に解体反対運動が実り、解体は川沿いの平野部だけで収まりました。
その後、このエリアは「アートをつかった町づくり」の実践の場となり、2009年から通年「アーチスト・イン・レジデンス」が行われています。

この試みは成功し、ニューヨーク・タイムズに「必ず行くべき観光地」のひとつとして選ばれるまでになりました。
とは言え、普段は閑散としており、台北に住んでいても来たことがないという人も多いようです。

数ヶ月単位でアーチストが入れ替わりながら滞在制作しているのですが、実際には古くからの住民も暮らしつづけています。
その多くは高齢者で、彼らが亡くなったり、子供たちに引き取られて空き家になると、そこにアーチストが入るという形です。

一般の観光客も散策出来ますが、泊まることは出来ません。

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トレジャーヒルに泊まるには?

し・か・し。
ワタクシ、3泊して参りました!
ここに泊まった日本人はまだ数える程しかいません。貴重な体験をしたと思います。
どのような手順で泊まったか、説明しますね。

前述の通り、トレジャーヒルは「アーチスト・イン・レジデンス(以下「レジデンス」)」の施設です。
アーチストというと美術家をイメージするかも知れませんが、それは日本国内のガラパゴス・ルール。
アジアも含めた海外では、物書きもアーチストです。
つまりライターであっても、著作物があれば「作家」すなわち「アーチスト」として扱ってもらえる可能性が高いです。

ちなみに英語の”writer”は「作家」という意味で、日本語のライター(雑文書き・著述業)とは意味が違います
つまりいくら本を出していても「自己啓発系」とか「ライフハック」がテーマだと、アーチストだとは認められないと思います。
旅行記でもむずかしいかも。
小説ではなくノンフィクションでもアーチスト認定してもらえるはずですが(僕はそうでした)、クリエイティビティの度合い次第でしょう。

さて話を戻します。
トレジャーヒルの公式サイトがあるので、そこから申し込むのが正式な手順です。

http://www.artistvillage.org/rent-list.php?p=2&c=5

部屋によりますが、1週間2,000台湾ドル(≒7,200円)くらいからあります。
「旅 X 仕事」に興味を持っていたり、「暮らすように旅する」のが好きなライターには、絶好の物件ではないでしょうか?

一般的には「OPEN CALL(公募)」と募集が出ているのをみてレジデンス(藝術進駐徵件)に応募します。

僕がとったのは変則的な方法でした。
台北駅から歩いて10分くらいのところにあるレジデンス施設「台北国際芸術村(Taipei Artist Village)」に行き、カフェ(TAV Cafe 芸術村餐坊)にいた担当者に直接空き部屋はないか問い合わせたのです。
というのも、最初は「台北国際芸術村」に泊まろうと思っていたからで、事前にウェブから申請書類を出していたのですが返事がないため、直接現地に行ったのでした。

相手をしてくれた女性は日本語が流暢で、僕の住んでいる横浜からもよくアーチストが来る、と言ってくれました(横浜に住んでいたお陰で、第一印象で得をしました)。
生憎「台北国際芸術村」は満室だったのですが、「ここなら空いていると思う」と言われたのが、トレジャーヒルだったのです。

こうして僕は、めったに泊まることの出来ない台北きってのディープスポットに泊まるチャンスを得たのでした。

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今回はここまでです。
次回に続きます。

横浜からブックカフェに行くとしたら、ここしかないでしょ?

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ども。檀原(@yanvalou)です。

このブログはライターブログを標榜しています。
ですので出来るだけローカルなネタはやらないようにしよう、と考えていました。
しかし「このお店は紹介しないといけないな」というお店がありますので、今回はその話を。

横浜・川崎エリアに住んでいて、ありそうでないのがブックカフェです。
TSUTAYA が併設されたスタバならありますが、だいたいどこも混雑していませんか
本が揃ったお店で、落ち着いて読書したい。
そう思っても、横浜にはそんなお店がありません。

仕方がないので都内に行くか、どこかに行ったついでにその手の店に立ち寄るか、という選択になります。
しかし一軒だけ、良いお店があるのです。

そのお店は「ブックカフェ羽月(うづき)」。
残念ながら横浜でも川崎でもなく、羽田の穴守稲荷のお店です。しかし羽田って大田区とは言っても、都下のようなものですよね。
町工場と労働者、煮染めたような酒場と黒湯の温泉でごった返す「昭和の街」蒲田から一足の距離にあるせいか、羽田は台東区の街並みと似ています。典型的な下町なのです。

そんな下町のお店が「羽月」。
たまたま羽田に散策に来たときに見つけたのですが、一発で気に入りました。

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羽田の歴史を描いた絵本が面陳された店内。幅広い年齢層に目を向けています。

特別お洒落でもなく、エッジの効いた選書が光っているわけでもない。
でも親しみやすさとあたたかさを感じるお店なのです。

これは別の方のブログを読んで知ったのですが、このお店、昭和30年にオープンしたときから「食堂半分・書店半分」だったそうです。
現在の店主で三代目とのこと。
道理で飲食と本のマッチングが堂に入っている訳です。
改装してカフェが出来たのは2010年。

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このお店の売りの一つが「はねだぷりん」。
申し訳程度の写真しか撮っていないのですが、いくつか種類があり、行くたびに楽しめます。

いわゆる「カフェめし」的なご飯ではなく、洋食屋さん的な食事が出てくるのもうれしい。
ついつい長居してしまいます。
スタバに着かれたあなたに、是非お薦めしたいお店です。

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ブックカフェ羽月(うづき)
東京都大田区羽田4-5-1
穴守稲荷駅から53m)
http://uduki.cafemix.jp/

今回の記事は以上です。
またのお越しをお待ちしております。

育児疲れの入院がきっかけで、絵を描き始めた主婦の話

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2015年7月9日に取材した横浜市栄区の「小さなパステル画」の紹介文です。
お蔵入りしていたものを蔵出しいたします。
取材文のサンプルとして御覧下さい。

 絵画の癒やし効果。

 この数ヶ月間、絵画教室の取材を重ねているが、絵画と癒やしの結びつきを直接感じたのは伊藤ゆうこ先生の「小さなパステル画教室」が初めてだった。

  パステルは粉末状の乾いた顔料を粘着剤で固めた画材で、脂分の少ないクレヨンのような感じである。鉛筆やクレヨンのような使い方もできるが、カッターナイフで削って粉末状にし、指でぼかし気味の線を描くことも出来る。

 伊藤さんには二人の息子さんがいるが、長男が小児喘息を患っていたという。横浜市瀬谷区三ツ境にあった「横浜アレルギーセンター(現在は閉鎖)」に子供を預けたところ、育児疲れが見て取れたのか、主治医から「あなたも入院していきなさい」と進められたそうだ。この病院は「横浜二ツ橋学院」という院内学級にしてはかなり大きな学校を併設しており、子供の長期入院に対応した施設だった。

 入院中、週1、2回レクリエーションの時間があった。伊藤先生はここでパステル画に出会ったのだった。元々絵は好きだったが、美術の成績はダメだった。しかしパステル画はしっくりきた。続けたいと思ったが、当時はネットで調べても情報はなく、退院してしまうとそれっきりになってしまった。15年ほど前のことだ。

 それから何年か経った頃、「パステル和(NAGOMI)アート」のウェブサイトを発見。さっそく通うことにしたのだった。

 講師になる気はまったくなかったものの、当時はインストラクター養成コースしかなかった。カリキュラムは3日間で20〜22枚のパステル画を描き上げるというもの。朝10時〜夕方6時までと時間が決まっているので、かなりのハイスピードで仕上げなければならない。

「講師も生徒と一緒になって絵を描くのが『和』のスタイルなんですよ。教えながら描くので、生徒よりも早く描けないと都合が悪いんです。生徒も安心できませんしね。

 ところがなぜハイスピードで描かなくてはならないのか、なぜ3日掛かりでやるのか、受講中に理由を教えてもらえなかったんですよ。実際のところ、3日間つづけて体を空けられる主婦はなかなかいません。費用も決して安くはないですし、受講するハードルが高いんですね。だから自分がインストラクターを養成するときは、『1日8時間を3日間』という形を崩して『6時間を4日間』とか『4時間を6日間』、一番極端なときは『2時間を12日間』に分けて教えていました」。

 実際のところ、インストラクターとして活動する人は少ない。皆が皆、インストラクターになりたいわけではないのだ。1枚1枚ていねいに描きたい人もいる。伊藤先生は通常のクラスでは「1枚2時間くらいで」と伝えているという。

「ただしインストラクターコースの人は完全に分けて考えていて、早く描くように言っています。インストラクターの話は誰にでもしているわけではなくて、何度も質問してくる熱心な人、5回も6回も通ってくる人、など狙った人だけにしています。声掛けした方はだいたいインストラクターになるのですが、ただやはりなかなか声は掛けられませんね」。

 仮に資格を取ったとしても、よほどモチベーションが高くない限り、一介の主婦が教室を立ち上げることはない。伊藤先生自身、講習を終えてから3年の間、資格を眠らせていたという。

「そういう訳で『和』の規定に沿ったクラスとは別に『自分で楽しめる程度の技法』に絞った小さい絵のクラスも始めました。それが教室名にもなっている『小さなパステル画』です」

 通常の「和」のパステル画は15センチ四方の用紙に描くが、「小さなパステル画」はハガキサイズの紙を使う。小さな紙のほうが、より気軽に描けるからだ。じつは初期の教室名は「おひさまの詩」だったそうだが、生徒たちが「小さなパステル画」と呼ぶうちにこの呼び名が定着したのだという。

 工夫したのはサイズだけではない。画材に関しても柔軟に対応している。協会推奨のパステルは48色で約1万円する。しかし100円ショップで買えば、36色になってしまうものの100円である。これなら気軽に参加できるというものだ。

 もちろん100円のパステルは値段相応の「安かろう悪かろう」で、柔らかすぎて手につきやすい。しかし初めから納得していれば、我慢できるレベルだ。逆に1円玉でも削れるほど柔らかいので、カフェの一角で教室を開く(後述の「さんぽみち」でのクラス)とき、一般客に気兼ねせずに済むというメリットがある。流石に大勢でカッターを使っていると、気をつかわざるを得ないのだ。

 受講料も現実に即して設定した。

「『和』では推奨料金として1回3千円という価格が出ていたのですが、自分の周囲の主婦がちょっとお試しで受けるには高いと感じました。そんなとき、『栄公会堂』の地下にある『ふれあいショップさんぽみち』というカフェからお声が掛かりました。ここは重度障害者の方が働いている支援施設なのですが、利用者が少ないため教室をやってほしい、と言われたのです。公共施設ということもあり、3千円は高い。そこでコーヒー代込で700円にしました」

 数回で終わると思ったこの教室は好評で、予想に反して2年半ほどつづいたという(終了した理由は「さんぽみち」の閉店)。取材日当日はちょうど「さんぽみち」の代りに始まった新しい教室の初日だった。

「自宅を含めて数カ所で教えていますが、ほとんどが本郷台エリアです。どうも自宅教室は来にくいようですね」。

 前述のカッターの件も自宅で教えれば解決しそうな話だが、人様の自宅にお邪魔することに抵抗感を持つ受講者も少なくないという。そこで自宅教室の他に前述の「さんぽみち」や生涯学習センターなどで教えることにしたのだ。これは偶然が作用した面もある。教室を始めてまだ日が浅かった頃、栄区生涯学習センターにチラシを置いたところ「体験レッスンを開いてみませんか?」と声を掛けられ、宣伝もチラシづくりもすべて館の担当者がやってくれた、というラッキーな出来事があったのだ。

「大きな公共施設で体験レッスンをやると人が来てくれますね」。

 逆に自宅でやるメリットもある。

「自宅教室のメリットは忘れ物の対応ですね。時間の融通が利くのも利点で、生徒さんが『もっと描きたいです』と言えば、延長しています。長い人だと2時間のレッスンに来て4時間粘っている、ということもありますね」

 参加者の平均年齢は50歳くらい。40代以降の女性が多いという。

「みなさんが嬉しそうな顔をしているとき、やってて良かったと思います。皆さん、隣の方の絵が気になるようですが、家に帰って自分の絵を飾ると案外悪くないな、と感じるようで喜んでいただいています」。

 パステルは絵の初心者にも取り組みやすい画材だ。水彩画はポピュラーだが、薄い色から描き始めなければならず、間違って濃くしすぎるとやり直しが効かない。一方パステルなら色の濃淡を気にせず好きな色から塗れる。ハードルが低いのだ。

「やっているうちに絵が巧くなるというより、色の使い方が巧くなるというイメージですね。同時に指に圧の掛け方も上手になります。だんだん変わってくるのが感じられると思います」と先生は上達の過程について説明する。

 今年(*2015年当時)の6月までは上記の「さんぽみち」で頻繁に展覧会(温習展)を開いていたので、それが参加者の励みになっていた。この会場がなくなってしまったことが残念だが、新しい会場でひきつづき頑張ってもらいたい教室である。

小さなパステル画(ちいさなパステル)
主催者:伊藤 ゆうこ(いとうゆうこ)
住所:横浜市栄区柏陽
http://ohisama.lolipop.jp

 

【旅×仕事】人気は、旅に出ない人のガス抜きに過ぎない。でも……

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ども。檀原(@yanvalou)です。

数年前から世界を旅しながら仕事するという「職業=旅人」が人気ですね。
ネットをさまよっていると、こんな文句がゴロゴロしています。

 旅することの意味

 旅して学んだ人生のあれこれ

 人生を変えた旅のエピソード

 旅があなたを自由にする

 などなど……。

どうもピンと来ないんですよね……。

今回は僕の旅の話を少しだけしましょう。
現在までに訪れた国は13ヶ国です。決して多くありません。むしろ旅のプロを自称する人たちから見たら、少なすぎるでしょう。

23歳のとき、ピースボート(以下 PB) の世界一周クルーズに申し込みました。
いまでこそPBの世界一周ツアーはありふれていますが、そのときはまだ実施2回目でした。つまりまだ目新しかったんです。

しかし僕は出発の少し前にキャンセルしました。
なぜか。
気がついてしまったんです。「世界一周」とは言っても、陸地にいる時間よりも船にいる時間の方が長いということに。

船旅は「有り余る暇な時間をいかに過ごすか」というのんびりした旅です。
PBは、いまや有名政治家となった辻元清美の立ち上げた団体ですから、リベラルな立場に基づいた討論が大好きです。
だからせっかくトロピカルな国・ジャマイカに行っても敢えて観光客のよりつかない、ひなびたビーチに行って現地の暇人と遊んだり、パナマのドラックリハビリ施設を見学した後に、船でその手の問題について討論したり、著名な論客を招いて船上で講演してもらったりします。
それ以外の時間はフィリピン人シェフのつくる毎日同じような食事をビュッフェ形式で食べ、同じくフィリピン人バンドのだるそうな演奏を聴きます。
僕はそういう旅は嫌でした。

「世界一周が夢」という人はたくさんいます。
そしてほとんどの人は、その夢を実現することなく一生を終えます。
あのまま一周するのは簡単でした。
しかしPBの世界一周は、僕の好みではありませんでした。
いくら「海外」と言っても、日本人に囲まれながら移動するのは海外旅行ではない。そう思ったのです。
だから思い切って辞退しました。

ところでPB に参加したことのある方ならご存じだと思いますが、PB では「ボラスタ」と言って、チラシのポスティングや張り紙、その他の手伝いをすると時給千円換算で乗船料から割り引いてくれる制度があります。
僕は一周ツアーはキャンセルしたものの、20万円分割引の権利を手にしていました。

この20万円分の権利がもったいない。

そこで一周クルーズのうち、19万8千円分に該当するニューヨーク〜ガテマラ間だけ部分参加することにしました。そして日本からニューヨークまでは2ヶ月間掛けてアメリカを横断してニューヨークで船と合流。帰りはガテマラで降りて、中米を寄り道してから帰るというプランを立てました。
世界一周に使うはずだった予算をアメリカ放浪に廻したわけです。
はじめての海外(ほぼ)一人旅。3ヶ月弱におよぶ旅程でした。
これが僕の長旅の原点です。

最初の訪問地はポートランド
いまでこそ独自のライフスタイルで有名な街ですが、当時はまったく知られておらず、ガイドブックでは「アメリカらしからぬ優等生の街」と紹介されていました。
ポートランドに行ったのは、チケット屋の店員さんが「ポートランドには行かないんですか? あそこは本当に良いところですよ!」としつこかったからです(笑)
当時は現在のようにオンラインでチケットが買える時代ではなく、店頭で買う時代でした。
もしネットで予約していたら、サンフランシスコに飛んでいたでしょう。
チケットを買うところから、すでに旅が始まっていた訳です。

ポートランドの空港で降りて、空港職員に街まで行くバス停の場所を訊いたとき。
海外ではじめて自分の英語が通じた瞬間でした。
あのときのことは今も鮮明に覚えています。

そこからアメリカの街をたくさん泊まり歩きました。

しかし40日を過ぎた頃、自分の内面に変化が訪れました。
あたらしい街に来たときの行動がルーチン化しはじめており、旅が日常化していたのです。
もう旅は非日常ではありませんでした。
単なる知らない場所への移動でした。

僕がちいさかった頃は、転校生という設定でサーカスの子供がクラスにやって来る、という学校ドラマが放映されていた時代でした。
たいていの場合、クラスの子たちは旅暮らしをつづけるサーカス団の暮らしをうらやましがります。

しかしサーカスの子にとって旅は日常。
決まった街の決まった家で寝起きする生活こそが、非日常なのです。

僕がアメリカ横断中に体感したことは、まさにこういうことでした。

「旅を仕事にする」ということは、旅が「単なる移動の連続」になるということです。
旅先に、なにか強烈な目的がない限り、もう僕は旅を楽しめません。
その「強烈な目的」は、たしかに仕事であることが多いのですが、「旅を仕事にする」というのとはかなり感覚が違います。

結局、【旅×仕事】が人気なのは、長い旅に出たことのない人のガス抜きとして需要があるからなのでしょう。

【旅×仕事】という生き方は、昔風にいえば旅芸人の世界に近いものです。
盲目の旅芸人、瞽女(ごぜ)さんの旅を羨ましいと思いますか?
トレーラーにゆられるプロレスラーのどさ回りは、まぶしいですか?


矢沢永吉-トラベリン・バス【歌詞付】

ヤザワじゃないですが、ほんとに「きつい旅だぜ、お前に分かるかい? あのトラベリン・バスに揺られて暮らすの」の世界ですよ……。
L.A.〜ニューオリンズまで3日間バスに揺られたときなど、ホントにキツかったです。
先進国アメリカのバス旅でさえたいへんなのですから、第三世界のギュウ詰めバスのガタガタ道行路など想像を絶しますよ。
もちろん【旅×仕事】で自由な生き方を目指す人たちは、トラベリン・バスには乗らないとは思いますが。

とは言え、僕も息抜きで行く1日〜2日程度の旅は僕も好きですけどね。

現在の僕にとって、刺激的な【旅×仕事】は誰も知らないテーマを深掘りする取材旅行か、ライター・イン・レジデンスです。

今回の記事は以上です。
またのお越しをお待ちしております。