メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

アイヌモシリ:「静かなる人間の大地」の1週間

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ども。檀原(@yanvalou)です。

今年も北海道の平取町で恒例の「アイヌモシリ一万年祭」が行われます。毎年お盆を挟んで1週間行われる野外フェスです。

 

 

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儀式で使用する「イクパスイ」。酒の入った杯に先端部をつける。

主催者がアイヌ文化のアクティビストなので、イベントはアイヌの伝統儀式(カムイノミ)で幕を開け、アイヌの伝統儀式で締められます。しかしイベントそのものの中身はアイヌとはあまり関係がなく、どちらかというとヒッピーとかラスタののんびりした集会という感じです。

既に30回以上つづいていますが、知る人ぞ知る存在に留まっています。

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今年の「モシリ」は8月11日から17日まで。
僕が参加した2014年と2015年当時は、ネット上にほとんど情報が上がっていない未知のイベントでした。

このイベントについて、つらつらと書いてみることにします。

 

1週間もなにをしているんですか?

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2014年のときは、準備段階からフル参戦しました。
手伝いをする代わりに衣食住の面倒を見てもらうつもりでしたので、3、4日前から前乗りしたのです。
しかし現地入りしてみると「布団を干したりするくらいで、大してやることはない」と言われてしまいました。

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主催者のアシリ・レラ(和名:山道康子)さん

肩すかしに茫然としていると、主催者であるアシリ・レラさんの地所に居候している男性(この方もアイヌ)から、「手が空いているんだったら、オレと一緒にトマト農園でバイトしないか?」と言われ、イベント前日までトマト農園で働きました。
この農園の話は面白いのですが、脱線が果てしなくなるので割愛します。

yasukosan.web.fc2.com


会場までレラさんの家から車をシェアするのがお決まりなので、前乗りしてくる参加者はチラホラいます。
寝る場所さえあれば、アイヌの伝統家屋であるチセに宿泊出来ます。

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チセの内部

イベント当日、レラさんの息子さんたちと一緒に、儀式で使うイナウの準備などのために早めに会場入りしました。

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その車中で「タイムテーブルを見ましたが、かなりアバウトですよね? 空き時間も多そうですけど、1週間も何をしているんですか?」と訊きました。

「いや、特に何って訳でもないんだけど、音楽聴いたり、焚き火をしたりしているうちに、気がつくと1週間過ぎているんだよね」

要領を得ない答えが返ってきました。

 

携帯の電波が入らないフェス会場

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会場は平取町の貫気別旭というところですが、手つかずの山野の一角なので地番はありません。
会場の脇にはローカルな一般道が通っていますが、熊が出るようなほんとうの田舎道です。

いちばん近いコンビニは、30キロ先のローソン。
最初は「この日本国内に、30キロ四方にコンビニがない場所が存在するなんて!」とショックを受けたものです。
2回目に参加したとき、逆方向へ10キロ行かないくらい移動するとセブンがあることを発見したのですが、この記事の確認のためにググったところ、閉店した模様。
ものすごい田舎ですからね。

ちなみに携帯の電波も入りません
かろうじてドコモだけ微弱な電波を拾えますが、それ以外のキャリアは圏外です。
必然的にデジタルデトックス状態になる訳で、SNS とかインスタ映えとは無縁な世界が広がっています。
普通のフェスと一線を画しているのが分かるでしょうか?

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いつだったか、モシリの期間中に1度だけ熊が出たと聞きました。
熊は人間が大勢いる場所には現れないはずなのですが、そのときは駐車場を横切ったそうです。
被害は何もなかったそうですが。

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公共交通機関はないと言って良いでしょう。
一応バスが通っているらしいのですが、1日に何本走っていることやら。
毎回ヒッチハイクでやって来る参加者がいるらしいので、そういう場所だと考えて下さい。

都会からは完全に隔離された世界と言えるでしょう。

 

商売っ気がない手作りイベント

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会場の雰囲気ですが、キャンプ場に手作りのステージが併設されているような感じと言えば、伝わるでしょうか。
商売っ気がまったくないインディーズ・イベントなので、会場一帯手作り感にあふれています。
そもそも入場料が2千円と破格です。
すごく緩いので、その気になればお金を払わずに居座ることも出来てしまうでしょう。
しかし主催者の取り組みを見ていれば、そんなことは出来ないはずです。

モシリにはスポンサーを付けてもっとメジャーにすることもできるだけのポテンシャルがあると思うのですが、レラさんはそういうことを望んでいません。
そこが熱心なリピーターを引きつけるのでしょう。

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毎回大工道具を持ち込んで、自主的に会場の補修をしている参加者もいます。
ゴミの分別をして、可燃ゴミの焼却を買って出る参加者もいます。
僕自身、廃材を切ってキャンプファイヤーの薪を作ったり、食堂の手伝いをしたり、ゴミの分別をしたり、車で送り迎えしたり、いろいろやらせてもらいました。
賃金は発生していません。
フェス花盛りの世の中ですが、こういう光景は珍しいのではないでしょうか?

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レラさんによると、世界の先住民は国境を越えたネットワークでつながっているそうなのですが、相手のところに行っても金銭のやりとりは発生しないのだそうです。
レラさん自身は北米のネイティブアメリカン居留地と、オーストラリアのアボリジニの集落でしばらくご厄介になったことがあるということでしたが、食事も宿泊も無料でさせてもらっていたそうです
その代わり、自分に出来る手伝いをしながら、いさせてもらっていたとのこと。
モシリも同じ原理で動いています。

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実際はまったくお金が掛からない訳ではなく、売店を出店している参加者がそれなりにいます。
なにしろいちばん近いコンビニが30キロ先という場所ですから、飲食のブースがないと困ります。
しかしそのブースもあまり商売っ気がないというか、店も客も「仲間同士」というノリなのです。

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それでいて、例えばパン屋は自家製の天然酵母で作っていたり、と妥協がありません。
それだけでシャバから解き放たれた、特別な場所にいるという気分になります。

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写真からゆるい雰囲気が伝わってくるでしょうか?

 

ヨウイチ君

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「ですます体」だとまどろっこしいので、ここからは「である体」で(爆

モシリには面白い人がたくさんいたが、とくに印象が強かったのがヨウイチ君。
最初に会ったときはミュージシャン活動を休止して染め物の勉強をしている、と話していた。
モシリに何度も来るような人なので、当然化学薬品を使わない天然の草木染めだ。
「草木染めは強い色が出ないので、商品に出来るものをつくるのがむずかしい。色止めしないと褪せてしまうので、手間も掛かる」と言っていたのを覚えている。
それでは生活出来ないので、彼女のヒモみたいなことをしながら自分の道を究めようとしていた。

翌年モシリに参加したとき、ヨウイチ君は音楽活動を再開したようで、ステージに立った。
ギターをかき鳴らしながら、よく通る声で歌った。一挙手一投足がいちいち格好良く、照明映えした。
プロとしてやっていけるだけのレベルだと思ったが、ポリシーがあってそういう路線には進まなかったのだろう。

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モシリには音楽をやっている常連が多いのだが、プロというわけではなく、かといってプロ目指しているのでもない、という人が多かった。
かなり上手いのだが、資本主義や世俗の生き方から距離を置いているような、そういう種類の人たちだ。

その中の一人、シンさんとチャイを飲みながら語らったとき、印象的な問いを投げかけられた。

「いま、自分の表現の何合目まで到達した?」

ライター業界でこんなことを訊かれたことはない。
それどころか小説家や脚本家であっても、「自分が表現の何合目にいるか」など考える機会もないだろう。

昔の文化人は、自分の研鑽度合いを「十牛図」というものを引き合いに出して説明した。
悟りにいたる10の段階を10枚の図と詩で表した禅の書画だ。

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十牛図自体を知らなくても、昔のクリエイターは「道を究める」ことを常に頭の片隅に置いており、自分がどこまで来たのか意識しないことはなかったはずだと思う。

ライター業は、基本的にお茶くみやコピー取りと変わらない。
誰でも出来ることを、誰かの代わりに代行しているだけだ。つまり代行業であって、時間や手間を肩代わりする代わりに手数料を頂く仕事なのだと思う。
だから「十牛図」的な世界からは遠い。

そんな思いがあるので、正面から「いま、自分の表現の何合目まで到達した?」と訊かれて、「我が意を得たり」と膝を打ちたくなった。
自分は誰かとこういう話をしたかったのだ、と思った。

表現という行為自体は、必ずしも尊い訳ではない。そもそも人から求められてさえいない。
表現欲求はみっともないことさえある。
しかしモシリという曼荼羅世界にいると、そこにかっこいい輪郭が与えられるのだ。

しばしの間ではあるが、普段の自分が、どれだけつまらない世界に身を置いているか、忘れることが出来た。

 

火の番はつらかった

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この儀式のときに灯した火を1週間守りつづけます。

2014年から2015年当時は、まだ現在のような『ゴールデン・カムイ』ブームが来ていなかった。
僕自身、モシリに参加したのはひょんなきっかけに過ぎず、アイヌの文化にもまったく興味はなかった。

ただモシリに参加していると、いやでもアイヌ文化に触れる瞬間がある。

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火を起こし、火のカムイを迎える。

たとえばモシリの期間中は、囲炉裏に灯された火を消してはいけないことになっている。昼も夜も誰かが火の番をしなければならないのだ。
2014年のとき、僕は夜の火の番を任された。
真夏とは言え、夜の北海道は寒い。おまけに人が寝静まった夜中の1時、2時ともなれば、ひとりぼっちの火の番はなかなかハードである。漆黒の闇と寝袋の隙間から忍び寄ってくる冷気。
僕は30分おきにタイマーをかけながら、短い睡眠を繰り返して火を守った。大事な仕事を任されるのは誇らしいことなのかも知れないが、それにしてもつらかった。

 

彼らの踊りや歌にも触れた。
一番驚いたのはアイヌの音楽だ。
2015年の時だったと思うが、アイヌスピーチコンテストで上位入賞したレラさんの身内の女性が、伝統的なアイヌ語の歌を披露した。それがモンゴルの音楽のようだったのだ。

またモシリの開始とともに行われる儀式は、ネイティブアメリカンのパイプセレモニーに似ていた。歌にしても儀式にしても、まるっきり大陸の文化だった。

どちらも日本の風習からはほど遠く、なぜ同じ日本列島にこれだけかけ離れた文化を持つ民族が暮らしているのか、ひじょうに興味深く思った。

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ネイティブアメリカンのイロコイ族の伝承によると、彼らの遠い先祖はカスピ海の辺りに住んでいたのだそうだ。それから中央アジアを経て朝鮮半島の付け根の辺りを経由し、まだかろうじてつながっていたベーリング海峡を越えてアメリカ北東部にやってきたのだという。

彼らのようにユーラシア大陸から渡ってきたグループはほかにもいたようなので、アイヌもそうして大陸の奥地から東に移動してきた一派だったのかも知れない。

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アイヌの老人

このイロコイの伝承は『一万年の旅路 ネイティヴ・アメリカンの口承史』(ポーラ・アンダーウッド)という本にまとめられているので、一読すると面白いと思う。

 

アイヌ朝鮮人の秘められた過去

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貫別の風景。なにもないのが分かると思います。

レラさんから興味深い話を聞いた。
モシリの会場となっている場所は、かつてアイヌの集落があった場所だというのである。
現在は単なる野っ原になってしまったが、かつてここにコタンがあった。しかし和人に強制移住させられたというのである。
レラさんはその歴史を鑑みて、モシリの会場を決めたそうだ。

またアイヌには、戦時中強制連行された朝鮮人労働者とのつながりもあった。脱走した彼らを匿ってあげたのだという。彼らのなかにはそのままアイヌたちと暮らすようになった者も多くいた。だから朝鮮人の血を引いたアイヌは珍しくないというのだ。

実際レラさんの亡くなった夫は、強制連行された朝鮮人の連れ子だった人だという。

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かつてこの地に住んでいたアイヌの魂を慰撫する

こうした一連の話は記事になると思った。
2015年にモシリに参加したのは取材のためだ。
ちょうどこの件に関して日本で一番詳しい在日朝鮮人の石純姫さん(苫小牧駒澤大学准教授・当時)がモシリの会場に来ており、レラさんの案内でいっしょに殺された朝鮮人の墓のある場所や、彼らの子孫が経営している焼肉店などを見て回った。

この一連の話は note に有料記事として載せているので、もし興味を覚えたら購入して下さい。

note.mu

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アイヌモシリの有名人、AKOちゃん

こうしてつらつらと書き出すと、あれやこれや人の顔や出来事を思い出す。
しかしとりとめがなさ過ぎて、どうやって過ごしたのか、はっきり答えられそうもない。

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アメリカの洞窟で暮らしていた」というシンヤ君(右)

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いやぁクレイジーですね。彼はファイヤーダンスのダンサーです。

もし「1週間も何をしていたんですか?」と訊かれたら、

「いや、特に何って訳でもないんだけど、気がつくと1週間過ぎているんだよね」

と答えるだろう。

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会場の脇を流れる小川。この川に浸食されて年々会場が小さくなっているという。

 

今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!