メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

「たった一人で移住希望者を増やした」とまで言われる女性に尾道で話を聞いた(前編)

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ども。檀原(@yanvalou)です。

前回、前々回からのつづきです。

尾道と言えば、斜面地のそこかしこに広がる「昭和レトロな街並み」で知られています。この街の空き家再生の仕掛け人として知られるのが、「NPO法人尾道空き家再生プロジェクト(略称「空きP」)」代表の豊田雅子さん(写真上)

いまでこそ移住希望者の絶えない尾道ですが、僕が初訪問した2005年ごろは今ほどの活気はありませんでした。それが今や人気スポットに。彼女を評して「たった一人で移住希望者を増やした」と言う人まで現れるほどです。

今回参加した「ライター・イン・レジデンス」が「空きP」の企画だった縁もあり、豊田さんにインタビューさせて頂きました。

www.onomichisaisei.com

 

尾道を出た瞬間から「帰りたいわ」

Q: 豊田さんは尾道育ちだと伺いました。尾道から離れたこともあるのでしょうか?

小学校から高校まで尾道でした。大学は大阪で、関西外大英米語学科。このとき初めて尾道を離れたんです。親元を離れ1人暮らしでした。

ところが尾道を出た瞬間から、「尾道が良いわ、帰りたいわ」と思ったんです。大阪も良いところでしたが、私には広すぎたし、都会過ぎました。ワンルームマンションに入ったんですが、近所づき合いもないし、卒業したら帰ろうと思ってました。

でも在学中に関空が完成した。関西外大を選んだのは、中学高校時代、英語がすごく好きで、海外旅行の添乗員をしたいと思ったからなんです。帰るどころではなくなりました。「いつかは尾道に帰るけど、いまは残ろう」と大阪で就職。JTB の海外旅行の添乗員を8年くらいやりました。

私は海外担当で、行き先の7〜8割はヨーロッパ。現地で気に入ったのは地中海沿岸の坂の町。路地や石畳の古い町が大好きでした。

Q: 添乗員をやめたきっかけは、なんだったのでしょうか?

そもそもずっとは出来ない仕事だと思ってました。一度日本を出たら1週間から10日は戻れない。体力もいるし、結婚したらつづけられない。結婚して子供も欲しかったので、一生は出来ないだろうな、と。尾道にも帰りたかったし。

うちの母に癌が見つかって数ヶ月に及ぶ闘病生活が始まったときに、仕事を休んで帰ったんです。最終的に母は亡くなって父親も一人になる。そろそろ帰っても良いかな、と考えました。

添乗員の仕事は固定給ではなく、自分で量を調整できます。それまでは月に2本行っていたのを、月1にさせてもらい、大阪の家を引き払って尾道に移りました。仕事はつづけましたが、大阪に行くのは月に1回だけです。

そうしたら時間が出来たので、尾道で空き家探しを始めました。この期間が長くて6年くらい探していたんです。

このとき地域の知り合いが増えました。市役所の関係各課の人とも顔なじみになりましたし、同世代で移住してきたり、空き家でお店を始めたりした子たちが現れたんですね。「猫の手パン」の旦那さんとか、「チャイダー(*2004年に尾道で誕生した緑茶炭酸飲料)」の子とか、10人くらい知り合いが出来た。私も尾道の空き家で何かやりたいと思っていたんです。

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猫の手パン

でも現実はそういう方向に進まず、尾道で旦那と知り合って結婚しました。双子の男の子が生まれて、てんやわんやです。

 

100人の人が1軒ずつ買ってくれたら、100軒どうにかなるんじゃないか

子供が2歳になったばかりの2007年に、ガウディーハウスに出会いました。「このめまぐるしいタイミングで」という感じでしたが、オーナーが「壊す」というから「ちょっと待った」と。買い取って、最初は個人的に友達と大工をやってる旦那といっしょに、コツコツ直し始めてたんです。

ちょうどブログが流行りだした時代だったので、毎日更新しました。それまで思い溜めていたこと。日本とヨーロッパのまちづくりの違い。景観、歴史を大事にしているヨーロッパのまちづくり。スクラップ&ビルドでガンガンやってる日本のこと。尾道は戦災に遭っていないので古い歴史が息づいています。それでも車が入るところはどんどん変わっていくし、空き家も多いし、もったいないと思っていたんです。その思いがどんどん出てきたんですね。

今も見れますけど、「尾道の空き家再生します」というブログを出したら、かなりの反響がありました。わざわざ私を訪ねて来る人も大勢いて、1年間で100件くらい問い合わせがあったんです。みなさん「移住したい」とか「ほかに良い空き家はないか」という相談でした。

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尾道ガウディハウス

そのころ、傾斜地に空き家が500軒ありました。良い家もたくさんあるのにもったいない。

「お金があったら、あれもこれも直したい」みたいな。でもお金がないので、毎年宝くじ買ってたみたいな時代です。

そこで考えたのが「100人の人が1軒ずつ買ってくれたら、100軒どうにかなるんじゃないか。これは団体にした方が良い」ということでした。それが2007年の7月のことで、市民団体「尾道空き家再生プロジェクト」のはじまりです。

その頃は、まだ空き家は社会問題として話題になっていませんでした。「空き家バンク」は市役所が廻していましたが、全然物件が動いておらず、行政や地元と共同でやらなければならない大きな問題でした。

「これは市民団体じゃ弱い。NPO くらいは取っておこう」という訳で、翌年 NPO 法人化にこぎ着けます。そこから地味にやってました。

転換点は、2012年の秋にオープンしたゲストハウスの「あなごの寝床」。そのとき大きなお金が動いた分、全体の予算も大きくなって、人が雇えるようになったんですね。そこからレジデンスの会場として使っている「みはらし亭(2016年4月オープン)」を再生して、という感じで今に至ります。

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渡邉義孝さん(左)。空き家再生物件「三軒家アパートメント」にて。

Q: 「空きP」の立ち上げ時の人数は?

30人くらいです。建築家で台湾関係の渡邉義孝さん、不動産屋さんなど。いまも顔ぶれはほとんど変わっていません。

NPO になって会員は200人くらいに増えました。実際に廻しているのは50人くらいで、パート、アルバイト含めて、そのうちの30人くらいに有給で手伝ってもらっています。そのほかに大工さん、建築士さんなどの専門家の方々20人くらいにも、そのときどきで謝礼を払っていますね。

Q: 空き家探しやリノベーションの問合せ件数はどの位ありますか?

今日も相談会だったんですけど、相談会に来る人も含めたら、移住希望の人が新規で月10〜15組来ます。累計で1千組以上は対応してますね。

Q: そういう方たちは役所と NPO の両方に顔を出す感じなのでしょうか?

役所に行っても「こっち行って」と言われるので、どっちにしてもうちに来る感じです。基本、窓口はうちなので。市役所は「こういう所がありますよ」と紹介するだけという感じですね。実働的なことはぜんぶこっちがやっています。

行政には無理かな。人(担当者)も変わるし、建築などの専門的な知識も必要だし、大家さんとか地域の人ともつながりがないと難しい。

でも市でないと出来ないこともあります。「空き家バンク」未登録の大家さんへの働きかけは、個人情報なので私たちには出来ません。面倒な統計や分析結果を出すのもそうです。逆にわたしたちは、市とやっているということで信頼とか委託費を手に入れています。

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昭和ブーム? 尾道ではいまも昭和が当たり前

Q: 組織を立ち上げてから10年ちょっと経ちますが、時代や情勢の変化を感じますか?

平成から令和に変わってますもんね。始めた頃は「こんなボロい空き家で拾ってきてなにやってるの」という感じはあって、ちゃんとした事業らしい事業もしていなかったので、傍から見たら「路地裏とか斜面地でゴシャゴシャやっている若い人達」という感じだったと思うんです。

そういうなかでメディアが取り上げてくれたり、空き家バンクの事業を委託してもらうことで、徐々に市民権を得てきました。

それから東日本大震災のあとに西日本に来られる方が多くて、世間がライフスタイルを見直す風潮になって、一層空き家問題や移住が注目された部分がありますね。

今はオリンピックがあるので東京へ帰る人もいるなど、大分落ち着いてきてはいます。でも移住希望の需要は減っていません。

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最近は災害も多いので「災害に強い家じゃないと」という世相もあります。でもゲリラ豪雨や温暖化は、そもそも日本人(を含む人類全体)の暮らし方に原因があるわけですよね。昔の人は知恵があって、電気を使わなくても風を通したり日の光を使って生活していた訳です。尾道は一昔前の生活に近いので、とてもエコロジーな生活が出来るかなと思いますね。

「都会で頑丈な家に住んでやる。田舎や自然のそばになんて住めない」という人もいれば、逆に「自然に寄り添わないと災害はなくならない」という人たちもいる。世の中の意見が両極端に分かれている感じがしますね。

木造の家は傷みやすいけれど、傷んだところだけ差し替えて直して、いくらでも長生きさせられるんですよ。弱ってきたら耐震補強させやすいし、障子などもふくめて差し替えが利く物で作られている。燃やしたり土に還したり出来るような素材だし。どうしても壊さなければならなくなっても、人の手で壊せます。平屋の家なら、私でも壊せるんですよ。

一方鉄筋コンクリートは、重機を動かせる人でないと壊せない。壊すにも、お金を掛けるしかない。そういうことを思うと「木造が良いよね」と思いますね。

Q: 都会では「昭和ブーム」が衰えずにつづいていますけど、そういう観点からはどうですか?

尾道にいるとそれが当たり前なので(笑) でも若い観光客がわざわざ来るよね、という認識はありますね。

例えば、うちの「あくびカフェ(「空きP」が経営する「あなごのねどこ」に併設のカフェ)」は「落ち着くわ」というおじいちゃん、お婆ちゃんも来るし、逆に古いものを目新しく感じてくる若い学生さんもいるし。両極端で面白い場所になっています。

 

次回に続きます。 

 

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