メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

東京23区で1番大きい工房でさえ16人!ガラス工房の厳しくも純粋な求道精神

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猿江ガラス 木田隆二さん

2015年5月31日に取材した江東区のガラス工房「猿江ガラス」の紹介文です。
お蔵入りしていたものを蔵出しいたします。
手元に残ったメモを元に新規で記事を書き起こしました。取材元の確認は取っていないことをご了承下さい。
内容は取材当時のものです。

刀鍛冶の現場のようだ。
黒ずんだコンクリートの箱形空間。鉄塊のような工具類に囲まれたそこには、甘さなど欠片ほどもなかった。男臭く硬質でひたすらストイック。自分が部外者だということをひしひしと感じた。

ガラス工房の取材は5箇所目だ。それまでに足を運んだ工房は、いずれもガレージのように小さく、壁や床のコンクリートも淡灰色で明るかった。個人工房ばかりということもあり、主の個性が反映されて人間的な温かみさえ感じた。

ところが「猿江ガラス」の工房は、典型的な町工場そのものだった。率直に言って気圧された。

「たぶん23区のなかで一番大きい工房だと思います」と代表の木田隆二さんは言う。
「大きい」と言っても従業員は少ない。社員は7人。アルバイト6人。それに非常勤が3人。

「工場」といわれる規模の大手は、20〜30人の職人が「型吹き」で大量生産を行う。「型吹き」というのは、金属の竿にガラスを巻きつけ息を吹き込んで形にする「宙吹き」を行う際、予め型枠にガラスを流し込んでから膨らませる工法だ。

猿江ガラスでも型吹きに取り組むことはある。しかしメインはあくまでも宙吹きだ。機械化の波には乗らず、文字通り少数精鋭で技術を高め続け、精度の高い仕事をこなしている。ほとんどが受注生産だ。

国内の三つ星レストランは言うに及ばず、香港、マカオシンガポール、ラスベガス、ベルギー、パリ、リヨン、モナコ、イタリアなどの有名ホテルやレストランにガラス食器を納入している。とくにフランスの5つある三ツ星ホテルのうちの3つに、クリスタルガラスで有名な「バカラ」を抑えて選定されたというから、世界屈指の工房と言える。

高評価の秘密は、トップブローワー(エース格の吹きガラス職人)である越中眞知子さんの力量にある。猿江ガラスではデザインを行っていない。顧客から送られたデザインをもとに造形している。しかし往々にして完璧なデザインは存在せず、そのままだと形に出来ないことが少なくない。そこで越中さんが創意を凝らすのだが、盛り込まれたアイデアとそれを具体化する技術が世界に認められているのだ。

もちろん国内での信頼も篤く、国の重要文化財の補修まで請け負っている。
「古い照明の修復は一点一点がちがうから、むずかしいんですよ。しかしノウハウが蓄えられますし、割が良い仕事ですから力を入れています」と木田さんは語る。

これだけの工房だから、当然メディア露出の機会は多い。私の取材の少し前には、TOKIO の城島が取材に来たばかりだったという(放送は2015年6月27日「週刊ニュースリーダー」内の「ニッポンの仕事人 週刊リーダー列伝」)。お目当ては越中さんである。

彼女に光が当たるのは、技術の高さはもちろん、その経歴も大きい。彼女は1953年生まれ。取材当時62、3歳だった。60を過ぎてもガラスを作り続けている女性は、ほかにいない。いや、そもそも女性ガラス職人のパイオニア的な存在なのだ。

越中さんの少女時代、アメリカからガラス作りブームが到来した。しかしガラスは食べていける世界ではなかった。一旦は明治薬科大学を卒業し薬剤師として病院勤めもした。しかし夢は絶ちがたく、武蔵野美術短期大学でガラスの基礎を学んだ。卒業後は3つの工場を渡り歩きながら、10年間修行した。

木田さんと知り合ったのはこの修業時代で、1980年代半ばのことだった。木田さんのガラス仲間は「キッチン幸」という店を溜まり場にしていた(*未確認だが、千葉県船橋市にあるレストランのことだと思われる)。この頃の友人には現在北海道で活躍している柿崎 均さんなどがいたそうだが、ここで共通の知り合いを介して出会ったのだそうだ。

www.kakizaki45.com

その後90年に越中さんが独立してからも木田さんとの交流はつづき、15年を経ていっしょに猿江ガラスを旗揚げしたという。

越中さんにしても木田さんにしても、双六で言う「上がり」の状態に達した人たちである。自分たちのことをあれこれ語るよりも、新しい世代の環境のことを伝えたいようだった。

猿江工房は受注生産のほかに、ブローベンチ(作業台)の場所貸しも行っている。工房のベンチは5台(時期により6台のことも)だが、常に埋まっているのは2台だけで、3台は時間貸ししていることが多いという。
木田さんたちの若い頃は、場所貸ししてくれる工房が少なかった。だから工場を渡り歩きながら技術を身に付けていった。
そいういう経験があるので、できるだけ若い作家に創作環境を提供したいのだという。

猿江は規模が大きいので、繋がりがつくれます。一人でなにもかもやるのは大変です。でもここなら、作業の一部を振り分けて外注に出すことも出来ます」

目の前にはタオルを捲いた男性が数名、黙々と手を動かしていた。あと1ヶ月半もすれば盛夏である。火を使うガラス職人にとってきつい季節の到来だ。目に見えて作業効率が落ちるが、仕事自体も減る。若者たちは展覧会を開いて留守がちになる。

いまは全国各地の芸大のガラス課の学生が合同展示会をして人脈を拡げたり、著名な外国人作家の講座で顔見知りになったりという環境になってきた。
反面ガラス人口が増えたため平均レベルが上がり、諦めていく人も多いという。

なかにはガラス未経験で業界入りする者もいるが、ガラスをやっていなかったが故に、なにがしかの特殊技能を持っていることが多いそうだ。甘い世界ではない。

「しかしガラスは性に合ってさえいれば、面白いですよ。冷やす時間やいじる箇所などのちょっとした違いが、大きな差になって返ってきます。そこだね、おもしろいのは。はじめのうちはガラスの動きが分からなくて、思い通りにならない。でも失敗が次の作品の手がかりになる。

浮かんだアイデアが形に出来ずに悶々としたり。思った通りの効果が出なかったり。安定的につくる技術が身についていなかったり。そういう段階を経て、自分の引き出しにアイデアや技術的なことを徐々に溜めていくんです」

ここには書かなかったが、木田さんの話のなかには、ともに同じ時代を駆けたガラス職人たちの名前がいくつも上がった。ネットで経歴を調べると、国内外を転々としながら腕を磨いてきた人たちばかりだった。

「諦めずにつづけていくと、なんとかなります。家庭や子供を持っても、出来るものです。立ち止まらずにつづけて欲しいですね」

株式会社 猿江ガラス(かぶしきがいしゃ さるえがらす)
代表者:木田隆二(きだ りゅうじ)
所在地:東京都江東区猿江1-18-4

sarueglass.com