メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

広島の被曝列車 ある日の思考の流れ

f:id:yanvalou:20181001002643j:plain原爆ドーム前で並んだ(651・652号車)被爆電車 撮影Nkensei(Wikimedia Commons)

ども。檀原(@yanvalou)です。

皆さん、ネタを探すときはどうしていますか?
僕はある事柄を取材したとき、新たな疑問が湧いてきて追加取材を積み重ね、気がついたら結構な分量を掘っていた……という場合が多いです。

ただそういう方法とは別に、誰かとおしゃべりしているときにぽろっとネタが出てくることも少なくありません。
おしゃべりというのは、縦横無尽に話題がどんどん流れていきます。
そういうときに発想の飛躍やネタの到来があったりしますよね。

本日はそんな実例をそのまま掲載します。

出発はこの記事を読んだこと。
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ニューヨーカーも惚れる、シブいという美意識 | HEAPS

f:id:yanvalou:20181001010049p:plain

 で、こんなツイートをポストしました。

そこで「被爆列車」を検索したところ、何人もの方が記事にしていることが判明しました。

たとえば、以下の二つです。

toyokeizai.net

4travel.jp

f:id:yanvalou:20181001012359j:plain
被爆3日後に撮影された651号車。修理を行い現在も営業運行中(撮影:岸田貢宜)

被爆電車」と呼ばれるのは1942年に製造された「650形」と呼ばれる5両の路面電車を指すそうです。

被爆列車」という字の通り、5台の車両はいづれも原爆で被災しています。
とくに651号(上の写真)は定員80名のところ、乗員超過ですし詰め状態の超満員の状態でした。
ところがたった一発の爆弾が炸裂した結果、運転手車掌は勤務姿勢のまま、乗客も着席状態やつり革につかまったまま、炭化して即死だったというのです。ドア付近には脱出しようとして折り重なった死体が積み重なり、なんとか外に出られた者も放射能障害で即死。

ただ車内中央部にいた数名だけが、周囲の人たちが人間の盾となったお陰で奇跡的に生き延びました。

車両は全焼でしたが、翌年修理して復活。「ヒロシマ復興のシンボル」とよばれ、現在まで現役で走り続けています。
とくに651号、652号は朝のラッシュ時間などに普通に使われているそうです。

被災した車両が、まさか70年も使われ続けているとは!

なんとも驚きです。

現代だったら、とっくにスクラップでしょうね……。

これで僕が被爆列車の記事を書いたら、「ネタが拾えた」ということになります。
皆さんはどうやってネタを拾っていますか?

今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!