メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

日本の治安はヤンキーたちが守っているらしい!?

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ども。檀原(@yanvalou)です。

先日図書館に資料を探しに行ったのですが、目指す本の近くに斉藤環さんの『世界が土曜の夜の夢なら』(角川書店 2012年)があったので、ついでに借りてきました。

ご存じかも知れませんが、この本は『ヤンキー進化論』(難波功士)『ケータイ小説的。"再ヤンキー化”時代の少女たち』(速水健朗)などと並んで、ヤンキー文化を読み解いた批評の名著と言われています。
(5年も前の本ですが、名作は古びませんので良しとしてください)

ひじょうに面白かったのですが、「目鱗」だったのが後書きの部分。
一般に

ヤンキー=不良=治安を乱す

と思われがちですが、斉藤さんは「日本の治安はヤンキー文化によって保たれている」と逆説的な持論を展開しているのです。

 わが国においては、思春期に芽生えかけた反社会性のほとんどは、ヤンキー文化に吸収される。不良が徒党を組むさいに求心力を持つのは、「ガチで気合の入った」「ハンパなく筋を通す」「喧嘩上等」といった価値規範なのだ。(中略)
 こうした美学は、特攻服やよさこいソーランのような様式性をへて、フェイクの伝統主義=ナショナリズムに帰着する。つまり、青少年の反社会性は、芽生えた瞬間にヤンキー文化に回収され、一定の様式化を経て、絆と仲間と「伝統」を大切にする保守として成熟してゆくのである。われわれは、まったく無自覚なうちに、かくも巧妙な治安システムを手にしていたのである。
 いや、治安のためばかりではない。ヤンキー文化の動員力は、被災地でも大いに活用された。郡司さんから紹介された光安純『負けんな、ヤルキキャンプ』(角川書店)という本がある。NY 在住の著者が、震災を機に被災地である陸前高田に入って仲間を集め、無手勝流ながらノリとヤルキだけでボランティアのための家「ヤルキハウス」を建ててしまう話だ。
 地元の被災者や外部から来た素性のわからない若者たちが、喧嘩やトラブルを乗り越えて一つの達成に至るには、ヤンキー文化的な「気合」や「いきほひ」なしでは無理だったろう。おそらく被災地では、こうした若者たちが歯を食いしばって復興を支えたに違いない。(P250~251)

どうですか?

脱帽ですね。
彼は、こんなことも書いています。

 速水(*引用者註 速水健朗)はヤンキー文化の特徴として、地元志向、つながり志向、内面志向、実話志向、などを挙げているが、これらはいずれも広義の保守的感性を意味している。事実、速水が指摘しているように、ヤンキー文化は必ずしも「反社会的」ではない(その意味からも「尾崎豊」の存在はヤンキー的ではない)。
 ここで「実話志向」というのは、ヤンキー的感性がフィクションをあまり好まず、本当にあった話を好むというほどの意味である。(P74)

この「実話志向」、膝を打ちたくなりますね。
たしかに彼らは映画や小説の話よりも、実際にあったこと、仲間から聞いた話を好むように思います。

さらにヤンキー出身の芸能人やヤンキー気質のあるタレントが幅広い層に支持されていることを踏まえつつ、こんなことを指摘しています。

 こうした広義の保守性は、芸能界全般にあてはまる感性と言っても過言ではない。ピートたけしをはじめ、政治的な意味で保守的発言をするタレントは少なくないし、タレント議員はたいてい保守系だ。逆に、革新系のタレントといわれでもすぐに名前が出てこない。わずかに中山千夏加藤登紀子落合恵子の名前が思い浮かぶが、彼女たちはいまや文化人であって、芸能人と呼ぶにはためらいもある。ヤンキー性についてはともかく、広い意味での保守的感性が芸能人のデフォルトであると断定してもさしつかえないだろう。こうした保守戸向の背景には、強力な現実肯定の感性が控えている。(P75)

よく知られるとおり、ハリウッドセレブはことごとくリベラル(左寄り)です。
右寄りなのはクリント・イーストウッドくらい。
一方、我が国ではヤンキー好きが災いして、保守系がデフォルトだというのです。

徹底して現状肯定的であること。彼ら(*引用者註 ヤンキー)は個人が社会を変えられるとは夢想だにしていない。わずかでも変えられるのは自分だけであり、社会が変わりうるとしても、それは結果論でしかないのだ。この発想は謙虚さや柔軟性をもたらし、問いつつ学んでいくという逞しさにもつながるだろう。(P74)

そしてこんな風に彼らの強みを賞賛します。

断言するが、たとえ日本中が廃墟になったとしても、真っ先に立ちはじめるのは彼らだ。率先して子供や老人を助けようとするのも彼らだろう。震災地での彼らの活躍ぶりはしばしば耳にする機会があった。状況を建て直し、生存し、繁殖し続けることに特化したリアリズムという点においても、ヤンキー文化の強みは突出している。(P240)

つまり日本で暴動が起きないのは、「ヤンキー文化のお陰」ということになります。
地元志向、つながり志向、現状肯定的な彼らは、暴力で鬱憤を晴らそうとか、世の中をひっくり返そうなどと思わないからです。

どうでしょうか?
一冊通して読みたくなりませんか?

つぎは今更ですが速水さんの「ラーメンと愛国」あたりを読んでみたいです。

今回の記事は以上です。
またのお越しをお待ちしております。