Photo by Haynie C. From Pixabay
ども。檀原(@yanvalou)です。
以前「インタビューの相手として面白いのはごく普通の人たちだ」という記事を書きました。
この考えは今でも変わっておらず、普通の人々を取り上げた企画が出来ないかと機会を伺っております。
先日高円寺の銭湯を舞台にした企画「銭湯ぐらし」を発見し、管理者にコンタクトをとりました。
これは銭湯の所有する取壊し予定のアパートを建て替えるまでの猶予期間を使ったアートプロジェクトで、ライターでも参加出来そうでした(プロジェクト詳細はこちら)。
僕は「この銭湯の常連客の方にインタビューして”Humans of New York”のようなウェブサイトを作る」という企画を提案したのですが、「プロジェクトの期間が満了した」という理由で受け入れてもらえませんでした。
募集を打ち切ったのであれば、いつまでも「募集中」のページを公開しないで欲しかったです……。
さて、そんな状況なのですが、バズフィード上にすごい記事が出ていたのでご紹介します。
シリア内戦に巻き込まれた普通の人々の人生を、写真と短いエッセイで切り取っています。
主人公は難民たちですが、キャンプの悲惨さや戦争の悲しさを打ち出すのではなく、彼らの人生を余計な感傷を抜きにして見るものに差し出しているのがすばらしいです。
たくさんある作品のなかから2点だけ転載します。
(作品のオリジナル公式サイトは以下の通りです)
「私は生後6カ月のとき、やけどを負いました。父親はそれを理由に、母親を捨てました。成人した私は、私を外見で判断できない女性と結婚しました。私の妻は盲目で、耳も不自由です。このキャンプにいると、さまざまなNGOが私たちを訪ねてきます。彼らは妻の症状を詳しく調べ、この杖を置いていきました。
妻は目が見えないため、私は彼女が好きなテレビ番組のストーリーを話してあげます。私はときどき、ストーリーを変えて伝えます……その方が楽しんでくれると思うからです」
―バッサム、39歳
私は建設会社を経営していましたが、レバノンに来てからは、港で働いていました。しかし、同僚に4階から突き落とされ、今は体がまひしています。手術の日、医師が言いました。"手元にネジまわしがないので、背中の手術を進めることができない"と。自動車整備士と話しているような気分でした。私たちは難民ですが、人間であることに変わりはありません。必要な道具を用意しておくことは医師の責任です」
―ファテン、35歳
SNSの興隆とその影響は、神が死に、国民全体が共有出来る大きな物語も失われたという時代背景抜きには語れません。
これからは普通の人々に光を当てることが、ますます重要になってくるでしょう。
今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!