
ども。檀原(@yanvalou)です。
僕は1970年生まれです。僕の世代は大学生の時にデヴィット・リンチの『ツイン・ピークス』の大ヒットを体験しているのですが、同作品のアイコニックなビジュアルはローラ・パーマーの死体写真(トップ画像)でした。当時「世界で最も美しい死体」というキャッチコピーで語られたものです。もちろんホンモノの死体ではなく、あくまで演技であり、設定の話です。しかし「美しい死体」というイメージは強い印象とともに記憶に残り続けました。
さて。先日たまたまツイッター(現X)で知ったのですが、「最も美しい自殺」とよばれる事件があったそうですね。今日はその話を書いてみようと思います。
●アートになった自殺者の遺体
1947年5月1日、ニューヨークのエンパイアステート・ビルディング。その86階展望台から一人の若い女性が静かに身を投げました。彼女の名前はエヴリン・マクヘイル。当時23歳の彼女は、そのまま地上に駐車していた国連のリムジンの屋根に落下し、即死しました。
これだけならアメリカの都市で日々起こる悲劇の一つとして、新聞の片隅に小さく載っただけで終わったかもしれません。なにしろこのビルから身を投げた人々は30人以上いるのですから。
しかしエヴリンの身投げのわずか4分後、たまたま近くにいた学生写真家ロバート・ワイルズがシャッターを切ったことで、エヴリンの姿は世界に知られることになります。リムジンの屋根に横たわる彼女の姿は、あまりにも静かで穏やかでだったのです。その写真は『ライフ』誌に掲載され、「最も美しい自殺者」として多くの人々の心に強い印象を与えることになります。

遺書には、彼女の繊細な心がそのまま綴られていました。「家族の誰にも自分の体の一部も見られたくない。体を火葬してほしい。葬儀も追悼もしないように。婚約者は6月に結婚を申し込んでくれたけれど、私は誰にとっても良い妻になれないと思う。彼には私がいなくて良かった——」とあります。
その後、彼女の遺体は姉のヘレン・ブレナーによって確認され、故人の遺志に従い、記念碑も墓碑も設けられることなく静かに火葬されました。

一方、『ライフ』誌に掲載された写真は思わぬ形でアメリカの現代芸術に印を残しました。ポップアートの旗手として知られるアンディ・ウォーホルが、この写真を「死と災害(Death and Disaster)」シリーズの中で取り上げたのです。
ウォーホルは、死や暴力、事故といった衝撃的な出来事を、新聞や雑誌などの報道写真から借用し、シルクスクリーン技法によって反復的に複製する手法を用いました。「Suicide (Fallen Body)」と題されたエヴリンの写真もその一環として作品化され、繰り返されるイメージは、見る者の感情を麻痺させると同時に、どこか崇高な美しさや「聖人」のようなイコン性すら帯びていきます。
このようなアプローチは、ウォーホルが描いたマリリン・モンローやエルヴィス・プレスリーといったアイコンたちにも通じています。彼らもまた、生前の輝きと死後の神格化が重なり合い、大衆文化のなかで永遠の存在となっていきました。ウォーホルは、モンローの笑顔やエルヴィスのポーズを何度も繰り返し刷ることで、「個人」を超えて「象徴」へと変容させました。
エヴリン・マクヘイルもまた、ウォーホルの手によって「死のイメージ」として記憶される存在となり、偶然がもたらした一枚の写真は、やがて時代の象徴へと変わっていったのです。

●西洋絵画の歴史は「死体を描いてきた歴史」
ウォーホルがエヴリン・マクヘイルの遺体写真をシルクスクリーンで複製し、そこに「美」と「死」のあわいを見出したように、死の瞬間、あるいはその直前を「視覚化する」という行為は、芸術においてとても古くから繰り返されてきた主題です。
たとえば、19世紀イギリスの画家ジョン・エヴァレット・ミレーによる絵画『オフィーリア』(1851–1852)は、「死にゆく女性を描いたもっとも美しい絵画」と称されても過言ではないでしょう。シェイクスピアの『ハムレット』第4幕第7場で語られる、オフィーリアが歌いながら小川に浮かび、やがて沈んでいくという王妃の報告場面——それは、舞台上には描かれない、しかしきわめて印象的な「語られた死」です。ミレーはその「語られた死」の直前の様子を視覚化し、観る者の前に凍結された詩のように提示しました。

花々に囲まれた彼女の姿、薄く開いた目と口元は、あたかも眠っているかのようでありながら、同時に不可逆の死の兆しを孕んでいます。エヴリン・マクヘイルの写真が「死の静謐」を湛えていたのと同様に、『オフィーリア』もまた、見る者に生と死の境界を美として提示するのです。
西洋絵画の歴史は、実のところ「死体を描いてきた歴史」とも言えるかもしれません。磔刑のキリスト、殉教者の死、ペストの犠牲者、そして戦場の群像——死は恐怖であると同時に、崇高や救済、美の対象として描かれてきました。ウォーホルの「死と災害」シリーズも、その伝統の延長線上にあるのだと考えれば、エヴリンの写真が持つ「聖性」は決して偶然ではありません。
エヴリン・マクヘイルとオフィーリア。片や現代写真のなかの死、片やロマン主義絵画における死。両者に共通するのは、死が決して「終わり」ではなく、誰かに見つめられ、再解釈され、美術のなかで永遠に漂い続ける存在であるということです。死を美として描くことの是非はさておき、そこには人間がどうしても目を背けられない「深い魅惑」があるのかもしれません。
今日の記事は以上です。
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