
ども。檀原(@yanvalou)です。
私たちは日々膨大な日本語の読み書きをこなしている訳ですが、長年気になっていることがありました。
それは外国語からの影響。
日本語にはカタカナ語のような目に付きやすい借用語があふれている訳ですが、外国語からの影響は借用語に限った話なのでしょうか?
すぐに思いつくのは、文明開化の頃につくられた翻訳語。西洋思想や学術用語を日本語に翻訳する必要から、多くの和製漢語(翻訳語)が創造されました。
例を挙げると
「自然」「自由」「社会」「権利」「科学」「哲学」「理性」「経済」「宗教」「文学」……。
時間の「分」や「秒」もそうですね(分や秒は時計とともに入ってきた近代的な時間単位です)。
ところで外国語からの影響は、単語単位に限られているのでしょうか?
これがこの記事の本題です。
1外国語との遭遇で生じた新しい日本語表現(翻訳調の日本語)
古い本を読んでいると、不自然あるいは古めかしい印象を与える日本語表現を見かけます。「〜で候」などのサムライ言葉とは別の、持って回ったような言い回し。その多くは翻訳調の表現です。
代表的なのは関係代名詞を翻訳した「〜するところの」でしょうか。
彼は、自らが書き上げたところの報告書を、上司に提出した。
He submitted the report which he had written to his supervisor.
我々が訪れたところの村は、山間の静かな場所にあった。
The village which we visited was located in a quiet mountain area.
これ以外の例もみてみましょう。いずれも本来の日本語には見られなかった構文です。
1. 「〜し得る限りにおいて」
われわれは、彼らを支援し得る限りにおいて、最大限の努力を払う所存である。
英語の "to the extent that..." や "insofar as..." に対応する直訳調。現代日本語としては「可能な限り」「できる限り」で十分だが、法律文や官僚文書ではいまだに多用されています。
2. 「〜するに至った」
かくして彼は独立国家を建設するに至った。
"come to do 〜" や "lead to 〜" の直訳的表現。「〜するようになった」や「〜することになった」で自然に置き換え可能です。
3. 「〜されるべくしてされた」
その悲劇は起こるべくして起こったのである。
これは英語の "It was bound to happen" や "It was inevitable" に影響された言い回し。やや演劇的で、翻訳調の香りが強め。日本語的には「当然の結果だった」の方がより自然です。
4. 「〜であると言わざるを得ない」
この政策は失敗であると言わざるを得ない。
"must be said to be..." のような論評的表現の直訳。「〜と言ってよいだろう」「〜と言えるのではないか」などの方が日本語らしいですが、評論文や論文調の文体で頻出します。
5. 「〜の如きもの」
これは近代国家の理想像の如きものであった。
「如き」は古語で、日常語ではほとんど使われませんが、英語の "such as" や "something like" の直訳調として使われた痕跡があります。現代語なら「〜のようなもの」でよいでしょう。
6. 「もっとも〜なもののなかの一つ」
この映画は、近年もっとも感動的な作品のひとつだ。
英語の構文"one of the most ●● things"が元になっています。日本語にはなかった「最上級の中の一部を取り出す」という構文を訳文に持ち込んだものです。この構文は今や見慣れたものになっていますが、翻訳調の硬さや不自然さを感じる人もいます。 本来の日本語的な感覚であれば、
> この映画は、近年の感動的な映画の中でも特に印象に残る。
などと、比較や強調を婉曲に表現するのが自然でした。
これらの表現はすべて、翻訳調であるがゆえに文語的・論文的・法的な重厚さを与える効果があり、意図的に使われる場面もありますね。「するに至った」「言わざるを得ない」などはすっかり日本語になじんでおり、かつて不自然な表現だったとは思えません。
ここまでは日本語における外国語の影響を見てきました。では英語の場合はどうでしょうか?
2外国語との遭遇で生じた新しい英語表現(翻訳調の英語)
英語にも日本語と同様、外国語の翻訳を通じて構文や表現スタイルが変化した事例があります。英語はそもそも多言語混淆の言語です。特に影響が大きいのはフランス語。これはノルマンディー公ウイリアムによってイギリスが征服されていた歴史が関係しています。それ以外にもラテン語、ドイツ語など他言語からの影響が大きいのですが、外国語が溶け込みやすく、目立ちにくいという側面があります。
1. ドイツ語やラテン語に由来する構文的な影響
英語は長い間、学術的・哲学的表現をラテン語やドイツ語から翻訳する過程で、文体や構文の硬直化を経験しました。以下はその例です:
"The fact that..."構文
これはフランス語やラテン語に影響を受けた表現です。日常英語としては冗長ですが、論文や官僚文書で多用されるようになりました。
The fact that he came late surprised everyone.
→(自然な英語なら)He came late, which surprised everyone.
受動態の多用
ドイツ語やラテン語風の重厚な文体を真似て、受動態が多用されるようになりました。特に18〜19世紀の学術文に顕著です。
2. 日本語や東アジア語の影響(比較的新しい)
意外かもしれませんが、近年では禅や仏教思想の紹介を通じて、英語圏において抽象的で省略的な言い回しが生まれることもあります。
例:「無」や「空」を英訳する際の"emptiness"や"nothingness"という語の哲学的用法は、元来の英語にはない表現です。
Robert Pirsigの『Zen and the Art of Motorcycle Maintenance』のように、「存在そのものを問い直す」言い回し(e.g. quality as a metaphysical concept)などは日本的思考の翻案といえます。
3. フランス語の影響によるエレガントな構文
特に18世紀以降、上流階級がフランス語を教養語としたため、英語にも以下のような表現が流入しました:
"raison d'être"(存在理由)
"je ne sais quoi"(何とも言えない魅力)
また、フランス語のような倒置構文が模倣されることもあります:
So elegant was her attire that everyone turned to look.
(通常語順:Her attire was so elegant that...)
英語の文体の基礎の一つは「欽定訳聖書(King James Bible)」であり、これはヘブライ語やギリシア語の語順を反映しているため、現代の自然な英語とは異なる構文が使われています:
And it came to pass that...
Blessed are the meek: for they shall inherit the earth.
補足:不自然さ vs 翻訳調の重厚さ
日本語における「〜するところの」もそうですが、翻訳調の言い回しは時に不自然であると同時に、荘重で文語的な響きを持ちます。英語でも、外国語を直訳的に取り入れた構文は時に「権威ある文体」として残ります。
まとめ
いかがだったでしょうか。
これらは言語の可能性を拡張した例といえるでしょう。異文化交流の成果ともいえます。地球が小さくなったことによって、あらゆる言語は外国語によって変化を強いられているといえます。
こうした変化は一刻の言語に留まりません。日本で開発された翻訳語は中国や朝鮮半島など近隣諸国に波及し、東アジアの近代化の共通語彙となりました。とくに西周(にし あまね)、福澤諭吉、中村正直らは、こうした訳語の創出に大きな役割を果たしました。
考えてみれば「〜アルヨ」という偽中国語も、言語の可能性を拡張した例なのかもしれません。
今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!