メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

プロ野球、助っ人外人選手第一号の謎

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Photo by Nicole De Khors from Burst

ども。檀原(@yanvalou)です。

高校野球の季節ですね。
夏と言えば、野球です。

いままで3冊の本を出してきました。
ボツになった企画の数はかなりの数に上りますが、そのなかに野球本の企画もありました。
10年くらい前だったでしょうか。
お蔵出しの意味も込めて、今回はそのネタをご披露いたします。

 

 

プロ野球、助っ人外人選手第一号の謎

この企画を思いついたのは、佐山和夫さんの『ジャップ・ミカドの謎』(文藝春秋社)という本を読んだのが切っ掛けでした。


「ジャップ・ミカド」の謎―米プロ野球日本人第一号を追う

一般に日本人のメジャーリーガー第一号は40年前の村上雅則(マッシー・ムラカミ)さんだとされています。
しかしそれよりずっと前、大正時代(つまりまだ日本にプロ野球がなかった時代)の段階ですでにアメリカの球界でプレーしていた日本人がいた、という史実を丹念に調査したミステリー・ノンフィクションです。

この本を読んで思い付いたのが、この企画。
日本球界に欠かせない外国人選手ですが、では第一号は誰なのか?
意外と語られることのない史実を掘ってみよう、という本です。

 

企画概要

 プロ野球にチームに欠かせない助っ人外人選手。古くはバース、クロマティ、アニマル、最近ではカブレラタフィ・ローズ、グリエルなど、その数は膨大である。ダメ外人、あるいは記憶に残る外人などという切り口で記事になることが多いが、しかし最初の外国人選手について語られたことはあるだろうか。
 
この点についてあまり語られないのは、誰が最初の選手なのかハッキリしないからである。
「植民地時代の台湾人は日本人か?外国人か?」
「日系アメリカ人は日本人か外国人か?」
「日本で義務教育をうけた無国籍選手は日本人か?」

「外国人」の定義によって誰が最初の外人プレイヤーになるのか、意見が割れてしまう。    

 本企画では難しいことを考えず、「最初の外人プレイヤー候補」だと考えられる4人の選手をリストアップ。彼らの活躍を紹介する列伝の形式を取る。

実際にネット上では「助っ人ガイジン」に関する記事は少なくない。国民的スポーツなので、たくさんの読者の興味を惹くものと思われる。

 

内容=プロ野球創世時代の四人の選手について取り上げる

第1章 第1号外国人選手は”スイッチヒッター”だった!

★ジミー堀尾(本名=堀尾 文人、1907年〜1949年)

ハワイ州マウイ島生まれの日系二世で、1934年の「大日本東京野球倶楽部」創立メンバーの一人。このため、日本プロ野球の外国人選手(外国籍選手)第1号ともいわれる。
日系球界屈指の長距離砲で、「ベーブ・ルース堀尾」と言われた。スイッチヒッターだが走塁に有利な左打席に立つことは稀で、右打席で強引なスイングをした。アメリカで日系人プロ選手第一号を目指した選手ともされる。

  • 人呼んで「ロサンゼルスのベーブ・ルース
  • 人種差別との孤独な戦いの日々
  • 何のツテもない来日
  • 念願の全日本軍入り
  • 失意のマイナーリーグ
  • ユニフォームの着方からしてちがう
  • わずか数行の訃報

 

第2章 第1号外国人選手は”ハダシ”でプレーした!

呉昌征(本名=呉 波。その後日本に帰化石井昌征 1916年〜1987年)

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現役時代「人間機関車」の異名を取った俊足・強肩の外野手。台湾の嘉義農林学校時代、甲子園大会に春1回、夏3回出場。裸足のプレーで知られた。1937年に東京巨人軍に入団。1944年に阪神タイガースに金銭トレード移籍。1949年末の2リーグ分裂騒動でパ・リーグ毎日オリオンズに移籍。1957年に現役を引退。死後、8年経って野球殿堂入り。

  • 台湾南部から甲子園へ
  • 台湾初のプロ選手。日本野球初の20年選手
  • 甲子園が芋畑に!選手自ら畑を耕す
  • 巨人、阪神両チームで、主力選手として活躍
  • 外野手ながら投手兼任。なんとノーヒットノーランまで達成
  • 日本語しか話せない外国人
  • 不幸つづきの晩年


人間機関車 呉昌征 (巨人軍-阪神軍・大阪-毎日)

この「台湾南部から甲子園へ」というのは、台湾で大ヒットした映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」で知られる嘉義農林学校時代のエピソードです。
野球部の監督役で永瀬正俊が出演しています。


映画『KANO~1931海の向こうの甲子園~』予告編

 

第3章 第1号外国人選手は”無国籍”だった!

ヴィクトル・スタルヒン(戦時中は須田 博に改名 1916年〜 1957年)

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通算300勝達成記念写真(1955年)(『20世紀のプロ野球名選手100人』日本スポーツ出版社より)

ロシア帝国生まれ、北海道育ち。国籍は無国籍だった。沢村栄治と並ぶプロ野球黎明期の名投手で、日本プロ野球界初の外国生まれの選手とされる。1934年日米野球の全日本チームの投手としてプロデビュー。戦時中は「敵性人種」として軽井沢に軟禁され、野球界から追放される。
戦後パシフィックに復帰し、史上初の通算200勝を達成。1948年に金星スターズ、1954年に高橋ユニオンズに移籍し、今度は通算300勝をマークしている。
引退から2年後の1957年、謎の交通事故で死去。1984年、地元旭川市営球場が愛称「スタルヒン球場」と命名された。

  • 日本への亡命
  • 殺人者の息子とよばれて
  • 経済事情により学校を中退、プロ選手に
  • シーズン42勝。不滅の日本記録達成
  • 戦争激化、「敵性人種」として軟禁される
  • 史上初の通算300勝を達成
  • 謎に包まれた死

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旭川市営球場のスタルヒン像(wikimediaより)
 

第4章 第1号外国人選手は”日本との交戦”で戦死!

★アデラーノ・リベラ(アチラノ・リベラの表記も 1910年〜1945年)

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日本でプレーした唯一のフィリピン人選手。1939年、東京巨人軍(現・読売ジャイアンツのマニラ遠征にて対戦したマニラ税関チームの主将を務め、ヴィクトル・スタルヒンを打ち崩す。同年、巨人に入団。同チーム初の満塁本塁打を記録するも、同年限りで引退。帰国後は税関吏として働いた後、フィリピン独立義勇軍に身を投じ、日本軍と戦い戦死した。

  • アジアの先進国だったフィリピンと途上国だった日本
  • 豪腕スタルヒンを苦もなく攻略、スカウトされる
  • 巨人球団史上初の満塁本塁打を放つ
  • 「マニラの選手は攻守走すべてにおいて日本人より上です」
  • 突然の退団、消息不明に
  • 大好きな日本と戦い、戦場に散る


フィリピン出身 アチラノ・リベラ (巨人軍)

戦前当時は「アチラノ・リベラ」と表記されていた。
ビルディングが「ビルヂング」、ヒンドゥー教が「ヒンズー教」、フェリス女学院が「フエリス女学院」と表記されていた時代だから、無理からぬことだと思う。

 

◎参考資料

 

このなかでとくに興味を惹かれたのは、4番目に挙げたアデラーノ・リベラ選手です。
フィリピン人のプロ野球選手って想像できますか?

野球に限りませんが、フィリピン人のスポーツ選手、ことにスター選手というのは想像できません。
ひじょうに興味深い存在と言えるのではないでしょうか?

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戦前の雑誌『野球界』1940年2月号でスタルヒンらと写真に写ったリベラ

いまは消えてしまいましたが、企画書を書いた当時は、「お父さんがリベラ選手と交流をもっていたと」いう方のブログ記事がありました。

魚拓を取っていましたので、「トム&龍馬」名義のその記事を引用してみましょう。

(前略)この人との交友は戦時中の占領地フィリピンでの話で、敵対国同士でありながら、戦地で個人として家族ぐるみの交友があったようで、「危ないから来るなと言ってんのに、子供が食料を運んで来てくれるんだ」と語ってくれた。

最も親父は足掛け7年も戦地にいたにも係わらず、戦争中の話は記憶の外に捨て去ったようにまったくと言っていいほどしなかった人だが、思い出してもいい話は僅かながらしてくれた。このリベラ一家との交流はその一つだった。親父がどれだけフィリピンに駐留したかは知らないが、かなり親しくさせてもらったようでとくに子供達との親交はなつかしそうに話していた。

しかし、どうやって親しくなったかは分からず終いだったが、つい最近、スタルヒンについて調べていてこのリベラと言う名を発見。経歴を何気なく読んでいて,あっと気がついた。

彼は、1939年1月に巨人軍がマニラ遠征したとき、対戦したマニラ税関チームの主将を務め、あのスタルヒンを打ち崩したことが注目され、巨人がスカウト。この年(1939年)のシーズン前半よりゲームに出場。シーズン途中よりクリーンアップの一角の5番に定着。巨人軍初の満塁本塁打を放つなどスラッガーとして活躍。しかし、戦況の悪化でプレーはこの1年だけで、フィリピンに帰国したとある。その後、税関の仕事に戻ったとか、通訳として働いていたとか諸説があるが、戦争末期になって日本人とのかかわりが関係して戦死したようだとその消息を語っていた。

1939年と言うと親父が投手として47試合に出場していた年であり、又本拠地が共に後楽園球場という事、英語が好きで得意だった親父との交友関係はこの年に始まっていたことが、容易に想像される。
 
そのリベラと占領中のフィリピンで再会、家族ぐるみで親交を深めていたことは、確かなようだ。フィリピンの駐留地は、兵役で戦争に借り出されたプロ野球選手が駐留中に交差したようで親父は、戦地で沢村先輩にもお逢いしたと語ったことがある。その他名キャッチャーの吉原等の名前も。そんな環境で彼は親父との交友も1つだが、兵役で駐留中の日本のプロ野球選手の多くと交友関係があったようで、もしそれが、彼の戦死と少しでも関係があるとしたら、当時のプロ野球関係者には気の重い話だ。

その後、リベラの名が登場してくるのは、約30年後の1967年。この年は日本でユニバシアードの東京大会があり、このときに元日本のプロ野球選手だったリベラと言う人の娘二人がバレー選手として出場していると言うニュースがあった。

我々家族も親父と一緒に、フィリピンの試合の放映はいつかを必死に探したことを思い出した。チームの同僚だった川上選手がこのふたりと直接会って死亡の真相を確かめたようで、それによると「日本より帰国後、税関士として働いた後、フィリピン独立義勇軍に身を投じ、日本軍との戦いで戦死した」と話していたと言う。

親父としては、当時リベラ一家との少なからぬ親交は忘れ得ぬ暖かい思い出となっている。

 

じつはフィリピンというのは興味深い国で、日本には一人として専門の研究者がいないのだそうです
その一方、戦前の沖縄からフィリピンに出稼ぎ者が数多くいたとか、日本のジャズはアメリカ人からではなくフィリピン人から教わっただとか、歴史の闇に消え去ったエピソードには枚挙にいとまがありません。

いつかフィリピンの話も書いてみたいものです。

今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!

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議論を深めるQ&A式書評サービスを見つけた。英語だけど(嘆

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Photo by Kinga Cichewicz on Unsplash

ども。檀原(@yanvalou)です。

今回は自分へのメモも兼ねて。

 

先日、書評に関する考察を書きました。

www.yanvalou.yokohama

過去にこんなことも書いています。

www.yanvalou.yokohama

 

要するに、僕は日本の書評制度に不満を持っているのですが、たまたま英語圏の書評サービスで良質な物を見つけました。

その名も「enotes」です。

f:id:yanvalou:20200710015258p:plain https://www.enotes.com/

Yahoo!知恵袋」や「教えてgoo」の読書感想版とでもいうべきサービスですが、レベルはずっと高いと言えます。
有料オプションで学校の先生向けのサービスもやっているくらいです)

このサービスを知ったのは、ジュノ・ディアスという作家の『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』の書評をググっていたときです。


オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (新潮クレスト・ブックス)

個人的に以下の部分が役に立ちました。

フク(*註 同書に登場するカリブ海土着の呪い)の目的は?(What is the purpose of the fuku?)
https://www.enotes.com/topics/convenience-store-woman

英語に翻訳されている日本の作家の項目もあります。

例:

村田沙耶香『コンビニ人間』

桐野夏生の分析

 

一般に、オタクはアニメを観た後、他人の感想や考察記事を読むそうです。

でもこれはオタクに限らないのではないでしょうか?
多くの人は映画や本に感動したら、他人がどう評価したかググってみるのではないでしょうか?

しかし先のエントリーでも書いたように、日本の書評には読後のニーズに応える機能はありません。

しかしenotesは、そこに特化しているのです。

のみならず、あらすじや登場人物紹介もしてくれるなど、読書感想文の宿題にも対応しているのが素晴らしいです。

本を読んでいて

「なぜ主人公はこんな行動に出たのだろう?」

「このシーンの意味が分からない」

などと思った事はありませんか?

Yahoo!知恵袋」や「教えてgoo」で質問しても良いのですが、書評専門サイトに質問機能もあったら、そちらの方が信用できると思いませんか?

enoteには色々な質問が投稿されており、玄人と思われる方々が回答を寄せています。

例)

村上春樹の「タイランド」(*註 連作短編集『神の子どもたちはみな踊る』に収録)のなかのプールのシーンは、作品の中心テーマをどう反映しているか分析して下さい。

なぜ村上春樹の「七番目の男」(*註『レキシントンの幽霊』に収録)の過去の視点は、変わったのでしょうか?

なんだか、ちょっといいですよね?

だれか日本語版をローンチしてくれないでしょうか?

今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!

 

 

 

内田樹氏のホ・ヨンソン詩集書評への批判について思うこと。そもそも……

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ども。檀原(@yanvalou)です。

Twitter上で内田樹さんが西日本新聞紙に寄稿したホ・ヨンソンさんの詩集『海女たち』の書評がフルぼっこ状態になっていますね。

きっかけは、同書の邦訳版を編集したアサノタカオさんのブログ記事です。

 ▼

asanotakao.hatenablog.com

内田さんの書評自体も貼っておきますね。

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気持ちはすごく良く分かります。 
でも「なにを今更」という思いもありまして。

 

 

日本の書評

ウェブライターが一般化した結果、彼らに書評の書き方をさらっと伝授するウェブサイトやブログをそこかしこで見かけるようになりました。
正直言って、全部間違っていると思います。

それらノウハウサイトが掲げる書評の必要項目とは

  1. 本の内容(ネタバレしない程度の概要)
  2. 作者についての言及
  3. (実用書であれば)どんな役に立つのか(想定読者層)
  4. 自分なりの評価

といったところではないでしょうか。

このなかで僕がおかしいと感じるのは、1と4です。

 

書評はネタバレ前提の方が良い?


本の世界では「書評はあくまでも、書籍を読んだことのない読者に向けて書くもの」という前提になっています。
そもそもこの前提がおかしいです。

つまりこれは、「書評というのはプロモーションツール=宣材である」という視点に立っていることを意味しています。
これでは良質な書評は書けません。

ちょっと考えてみてください。
本でも映画でも構いませんが、観賞後に

  • 「他の人はどう感じているんだろう? 批評ブログで、この作品の感想を知りたい」
  • 「難しくて良く分からなかった。専門家に解説して欲しい」
  • 「作品のことをもっと知りたい」

と思った事はないでしょうか?


書評にはこのような「読後のフォロー」というニーズが間違いなくあります
しかし日本の書評には、そういう機能が全く考慮されていません。

映画ライターの町山智浩さんの仕事は、きちんとこのニーズを押さえている気がします。
町山さんだけではありません。
そもそも演劇やアートの世界では、ネタバレは珍しくありません。それは演劇やアートの批評が批評として独立しており、宣材として扱われていないからです。


しかし本の世界に関して言うならば、そういう仕事をしている書評家は寡聞にして知りません。

この手の欲求を満たしてくれるのは、日本の現状では、たぶんオフラインでの読書会ということになるのでしょう。

目に付いた良質な「書評(実際には議論の書き起こし)」として、以下のリンク先をご紹介します。

medium.com

長いですが、読み通すと読みの深さ、議論の熱さ、背景知識の豊富さ、レベルの高さに目が覚める思いがすることでしょう。
本来であれば、ここに書かれていることは書評家がやるべきことです。
盛大にネタバレしていますが、本を読むより先に、こちらを先に呼んでしまっても良いとさえ思います。

 

類書・関連分野に関する知識が必要とされていない不条理

関連する過去の数多の作品と引き比べながら、今まさにまな板の上に載せた作品を評価していくのが批評であり、書評です。書き手に膨大な知識のストックがなければ書けるはずがありません。

今回の内田さんのケースがまさにこれで、専門外の人にお願いしている時点でまともな書評になることを放棄しています(つまり最大の戦犯は内田さんではなく、西日本新聞の編集者でしょう)。

演劇やアートの世界では大学などのアカデミックな場で批評を学ぶ機会があります。
しかし書評に関してはどうでしょうか?

「プロのライター」ではあっても「一度も書評を書いたことがない、書評のど素人」が、数をこなしているうちに「書評の書けるライターとして認知されていく」というパターンが大半ではないでしょうか?

書評が書評として独立しておらず、宣伝行為と目されているのですから、学ぶ機会がないのはある意味当たり前です。

しかし本来の書評とは、作品を文学の流れの中に位置づける作業そのものだと思います。 

「この本は誰の影響下にあり、類書・競合書と比べてどうなのか?」

「この本(あるいは書き手)はまったくあたらしいタイプだが、この作風に名前を付けるとしたら、なにか?(ex「第三の新人」「ケイタイ小説」など)」

こう書くと「それは批評家の仕事で、書評にはそこまで求められていない」という反対意見が出そうです。
だとしたら、書評は批評家が書くべきであって、それ以外の人たちは「感想」か「紹介文」を書けば良いのではないでしょうか?

宣材として充分機能しますから、問題ないはずです。
(ただし「レビュー」などと言い換えた方が良いでしょうね)

そもそも本に関して批評を書くのに、その根拠が書き手の主観である時点で、失格でしょう。
これまでに先人達が積み上げてきた評価の蓄積、批評の体系を前提に、それを引き継ぎ、更新していかなければ良質な仕事は出来ません。
いくら「書評」などと言い繕っても、先人からのバトンタッチがないのであれば、それは「感想」以外の何物でもないはずです。

* * *

本来の意味で書評と呼べる仕事は、アカデミックな世界での作家研究や評伝、あるいは文学史研究の中にしかないように思えます。

以上のような観点からすると、アサノさんの嘆きは、ちょっと論点が浅いように思えますが、いかがでしょうか?


今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!

 

追記
すっかり忘れていましたが、以前も一度書評のことを書いていたようです。

www.yanvalou.yokohama

皆さんは書評という「制度」について、どんな風に考えていますか? 

 

学生結婚は、水面下で流行っているのか?

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ども。檀原(@yanvalou)です。

先日学生結婚したてーるーさんの話を書きました。

www.yanvalou.yokohama

そのとき話の枕として書こうと思いつつ、忘れていたネタがありまして。
せっかくなので、書いておこうと思います。

 * * *

学生結婚した有名人と言えば、村上春樹です。
そんな春樹氏が珍しく、学生時代の話を割と細かくしている記事を見つけました。 

僕は学生結婚しちゃって、(在学)途中から仕事(ジャズ喫茶の経営)を始めて、授業に出る余裕もなかった。でも、7年かけて卒業させてくれたんで、早稲田は寛容な学校だったんだな、と思います。

 当時の話ですが、フランス文学に安堂信也さんという、翻訳でも有名な方がいまして、彼のラシーヌ(17世紀の劇作家)の講義を取っていました。授業には出ませんでしたが、出ないと卒業できない。授業に出られない事情を説明したら、「じゃあ、君の店に一度行ってみよう」ということで、(ジャズ喫茶のあった東京の)国分寺に来てくれた。で、店を見て、「君もいろいろ大変だなあ」って、スッと単位をくれた。いい人でしたね。ラシーヌなんて、1行も読んだことなかったけど。

www.sankei.com

Amazonプライム・ビデオで配信されている婚活サバイバル・リアリティ番組「バチェラー・ジャパン」というものがありますね。
この「バチェラー」ですが、英語でバチェラー(bachelor)とは

  • 四年生大学の卒業生
  • 独身者

 という意味があるそうです。
「学生結婚」と直接の関係こそないものの、どこかで繋がっている気がします。
つまり現在では学生結婚が珍しくはない欧米でも、かつては学生結婚など考えられない時代が長かった。そんな歴史の名残りが「バチェラー(bachelor)」という単語にはあるような気がするのです。

 * * *

さて、てーるーさんの記事を書いたついでに調べたのですが、世の中は静かに早婚化にシフトしつつあるようです。そのせいか、学生結婚の記事は割とたくさん見つかるようですね。

ざっと探しただけでも、以下のような記事が見つかりました。

【端羽英子氏】学生結婚、ゴールドマン入社、子連れMIT留学

newspicks.com

 

【宇佐美進典氏】「ふつうの星」実はアウトロー? 原点は学生結婚に

style.nikkei.com

 

【張本貴雄氏】超出世で上り詰めた「SHOPLIST」の若き取締役が妻と歩んだ12年

wedding.mynavi.jp

 

三宅博行氏・小寺千絵氏】学生結婚で3児の親に!ある理系夫婦の選択

toyokeizai.net

 

なんだかエリートの話ばかり並んでしまいましたが、フツーの人の体験談も見つかります。

学生結婚の数自体が増加傾向にあるのかどうかは不明です。
いままで大っぴらに語られる機会がなかったものが、ネット時代になって発信が容易になり、体験談が共有されやすくなっただけかもしれません。
しかしウェディング媒体などが盛んに取り上げる若年層の「早婚願望」と相俟って、これからトレンドになりそうな気がします。学生結婚、追求したら面白いテーマになるかも知れません。

時代により、世代により、地域により、なにか傾向の違いはあるのでしょうか?
それとも家庭環境や実家の経済条件が決め手になるのでしょうか?
学生結婚体験者の生の声を、もっと聞いてみたいものです。

今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!

 

 

ノンフィクションは文学なのか?

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Photo by chuttersnap on Unsplash

ども。檀原(@yanvalou)です。

ノンフィクションを扱うライターとして、ずっと引っかかっていたことがありました。

 

作家と比べて、ライターの社会的地位はなぜ低いのか?

作家と比べて、ライターの社会的地位は明らかに低いと言えるでしょう。
それはなぜでしょうか。

思うにその理由は

「小説は文学。でもノンフィクションは文学だと考えられていないから」

ではないでしょうか。

「小説や漫画や雑誌に比べてノンフィクションは読まれにくいジャンル」という声もありますが、そのときどきでベストセラーも生まれています。

古くは立花隆さんの『宇宙からの帰還』、沢木耕太郎さんの『深夜特急』、家田荘子さんの『極道の妻たち』。
比較的最近だと『ビリギャル』、『下流社会』、『バカの壁』あたりでしょうか。
(最近の本は小粒なのばかりですね……)

単純に本の売り上げということであれば、作家と肩を並べるライターは大勢います。
更に言ってしまえば、平均的な純文学作家よりライターの方が、売れる本を書いていると言えるでしょう。

もちろんラノベ作家やミステリー作家のように、ベストセラーを連発したり、作品がじゃんじゃん映像化されている作家もいます。
彼らは「文学」を書いているとは見做されませんが、しかし有名人として尊敬や憧れの眼差しを注がれています。

しかるにライターの場合、そういうケースは少ないのではないでしょうか。

個人的に、その答えは「ノンフィクションは文学だと考えられていないから」だと思うのです。

 

ジャーナリストがノーベル文学賞を取った日

最近スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』が漫画になり、たいへんなヒットを飛ばしています。

B083PXMX18

原作の邦訳版は2008年に出版されました。
12年も前です。

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同書は第二次大戦に従軍した500人以上の従軍女性へのインタビューを構成したもので、たいへん骨太なノンフィクションと言えます。

漫画になったのは、おそらく著者のアレクシエーヴィチが2015年10月にノーベル文学賞を受賞したことが関係しているのだと思います。

そうです。
彼女はジャーナリスト。小説家ではないのです。
アレクシエーヴィチは、【ジャーナリストでありながらノーベル文学賞を受賞した唯一の人物】なのです。

ddnavi.com

ジャーナリストの書いたルポルタージュノーベル文学賞を取った
つまりルポルタージュ(ノンフィクション)は、間違いなく文学なのです。

この事実は、多くのライターに福音をもたらすと思います。
もっと知られても良いのではないでしょうか?


今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!

おうち時間を過ごす

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Photo by Edwin Hooper on Unsplash

どうも。檀原(@yanvalou)です。

自粛生活が推奨されていますが、いかがお過ごしですか。


コスモクロックのSTAY HOME

じつはかなり長いエントリーを書いたのですが、気が滅入るようなものになってしまい、公開を躊躇(ためら)っています。

暫定的にこれだけアップしますね。

書いたものを寝かせるため、しばらくは過去に遡って、時間の都合でとばしてしまった出来事をアップしていこうと思います。

コロナウイルスが流行っているから、キャンプが人気に!?

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Photo by Jérémy Stenuit on Unsplash

ども。檀原(@yanvalou)です。

新型コロナウイルスに対する危機管理として、政府が「不要普及の外出の自粛」を求めていますね。

都市部への外出や他者との接触は、たしかに感染リスクが心配です。

しかし大自然の中へ出ていく場合はどうでしょうか?

「家にいろ令」の一方で、キャンプが人気という話があります。

「人混み避けられる」高まるキャンプ場需要…他の利用者との距離、安心感に

yomiuri.co.jp

外遊びなどの紹介・販売サービスである「アソビュー」では、厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」によってまとめられた三つの条件に基づいて、以下のような条件を備えたアクティビティーを紹介しています。

  1. 屋外での活動(→開放空間であり換気状況が良い)
  2. 人との接触が少ない活動(→人口密度が低く、距離を取れる広さがある場所)
  3. 手を伸ばして相手に届かない程度の距離をとって会話をする(→人との接触が少ない)

www.asoview.com

登山やマリンスポーツ、釣りもOKのはず。
問題は現地までの移動でしょうか?
いや、車で移動すれば問題ないはず。

「家にいろ令」は単なる同調圧力では?

みんな空気を読んでいるだけで、自由な発言、当たり前の事実の指摘が出来ない状況になっているのではないでしょうか?

医学界からのコメントが欲しいところです。 f:id:yanvalou:20200404092255j:plain
Photo by Pille-Riin Priske on Unsplash

皆さんはどう思いますか?