メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

書評は誰のためにあるのか?

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ども。檀原(@yanvalou)です。

みなさん、本はお好きですか?
読んだらどうしていますか?
家族や友人に薦めますか? 感想を語り合ったりしますか?

ネットが普及したことによって、好きな映画や本の感想を書き表すことが一般的になりました。 
投稿先はブログであったり、SNS であったり、書評投稿サービスだったり、とさまざまです。
しかし常々、僕は日本語圏における書評について、大きな違和感を感じていました。

 

日本の書評は本を売るために存在する

書評は誰のためにあるのでしょうか?
端的に言えば、出版社が本を売るために、あるいは書き手(著者ではなく、書評の書き手)の自己表現や鬱憤晴らしのためにあるのではないでしょうか?
たいへん不幸なことに、日本の現状を見る限りでは、そう言わざるを得ません。

1.商業媒体の場合

商業誌や新聞などの場合、書評は「本を売るために存在している」と感じます。
ですから、取り上げた本が該当するジャンルにおいてどのあたりに位置づけられるのか、体系的に把握することがありません。
また先行書や類書と比較して、相対的に評価することもありません。
書き手の主観的かつ絶対的な評価に留まっているのです。

本を売るための書評ですから、ネタバレは厳禁です。
これも解せません。
ほんとうに作品を評価しようと思うのであれば、ちらりとで構わないので、結末を踏まえて評価するべきです。

批評系の本では、対象となる著作の結論部分に関する賛否や精度をふくめて評価することが一般的です。
しかしネタバレが深刻なダメージにつながらないはずのノンフィクションにおいても、著者の下した結論に対する評価がないのが一般的です。これでは「本の批評(つまり書評)」として、必要要件を満たせていないのではないでしょうか?

「売るためのプロモーション」という意味において、書評の多くは著者インタビューと大差ありません。
著者本人が本の話をする(著者インタビュー)か、著者ではないものの、名前のある書き手が本の話をする(書評)という違いはあります。
しかしどちらも「売るために書いている(話している)」という点は同じです。
視線の先には、版元の存在があります。


日本には作家(書き手)のための書評がない

2.ブログや書評投稿サイト、SNS の場合

ブログや書評投稿サイト、SNS でみかける書評ですが、
読書好きなユーザーが、書評をつうじて自己実現するために書いていると感じます。

そこでは過去の読書体験や自分の人生経験が、書き手のこだわりや趣味嗜好を交えながら開陳されています。多くの場合、それはまだ見ぬ同好の士に宛てて書いているのでしょう。

趣味で描く書評には、書評と書き手の間に距離がありません。
近すぎて客観性に欠ける場合が多いのです。
近すぎるので、貶されると怒ります。
書いたものが書き手の分身のようになってしまっているからです。

そこには「著者本人が読むかも知れない」という意識はありません。


本来、批評は作り手のためにある

書評に限らず、批評全般に関して参考にしているのは辻静雄の考え方です。

辻静雄は『辻調理師学校(現・辻調理師専門学校)』の創始者で、本格的な日本料理に興味を持つ外国人であれば、ぜったいに知っている人物です。

その辻さんの生涯を描いた海老沢泰久の実録小説『美味礼讃』に次のような箇所があります。


美味礼讃

同書が手元にないので、大凡の記憶で書きますが……。

読売新聞大阪本社の社会部記者であった辻さんは、『割烹学校』を開いていた家に婿養子に入ります。フランス料理を学びますが、あくまでも料理学校の経営者なので、自分で調理する訳ではありません。
しかし料理の神髄を学ぶためにフランスに渡り、食べ歩き、現地の批評家と交流を持ちます。そして料理に関する批評が不毛であった日本で、ほとんど最初の本格的な料理評論家になるのです。

辻さんは師匠とも言えるポール・ボキューズに、「料理評論家はなぜ必要なのか」と尋ねます。
するとポキューズは
「一流の料理人は忙しく、ほとんど自分の厨房から出られない。だから料理界の新しいトレンドに触れる機会がない。気がつくと、時代遅れになってしまう。
一流の料理人ほど置いてけぼりになりやすいという矛盾。これを解消するのが批評家の存在意義だ」。

 

つまり批評家は消費者のためではなく、料理人のために存在するというのです。

これは書評においても言えることではないでしょうか?

書き手にとって、自分の本の客観的な評価はむずかしいものです。
その価値判断をした上で、同業他者の傾向と見比べたり、時代のトレンドを読んで解説してみせたり。

 

著者が知らないこと、気がつかずにいることを提示するのが批評家の役割でしょう。


広告塔になって「おもしろいですよ」と吹聴することは、批評の本分ではないはずです。

文芸評論家の友田健太郎さんが書いてくれた僕の本の書評は、割とこの方向性に近いと思います。

note.mu


ただ惜しむらくは、友田さんの得意分野ではないため、類書や関連書と比較して論じられていないことです。

逆にライターの本橋信宏さんの書評は自己表現型です。

note.mu

本橋さんの書いたものの方が取っつきやすく、万人向けだと言えます。一般の方には馴染みが薄いかも知れませんが、本橋さんは現在ネットフリックスで話題になっている『全裸監督』(主演・山田孝之)の原作者です。「宣伝効果」という意味では本橋さんに書いて頂くのが正解と言えます。

www.netflix.com

しかし書評としてあるべき姿は、友田さんの方でしょう。
「商業的成功や万民からの称賛よりも、知識人や玄人からの評価」を狙って書いた本なので、尚更です。
とは言え、本のテーマのせいもあるのでしょうけれど、知識人は端っから関心を持ってくれない模様。
安全策で本橋さんにもお願いしてしまうという自分の弱腰が、哀しいです。

ついでなので、最近読んで面白かった書評について。
書評というよりエッセイといった方があたっていますが、リンク先にある村田沙耶香さんの『コンビニ人間』の書評が読ませます。
書き手は日本語が分からない日系米国人。来日時の印象と自分のアイデンティティ村田沙耶香さんの実際の印象、そして『コンビニ人間』のテーマを絡ませて書いています。日本では見かけないタイプの「書評」です。
英語で書かれていますが、需要があれば暇なときに抄訳したいと思います。

catapult.co

(次回に続く)