メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

AIが生成したエロ画像と自分が似てしまったら、どうなるか?

Pic by Google DeepMind


ども。檀原(@yanvalou)です。

今月10日、Twitter上で奇妙な騒ぎがありました。

 

●世の中には自分とよく似た人物が5人いるといいますが……

Web制作会社ベイジ代表のsogitaniさん(@sogitani_baigie)が画像生成AI「Stable Diffusion」で「普通のおじさん」を生成しtweetしたところ、「それ、私ですよね?」と名乗り出た人物がいたのです。

当然のことながら、「Stable Diffusion」で生成された人物は「非実在性おじさん」のはず。
しかし他人の空似といいますか、世の中には自分とよく似た人物が5人いるといいますから、架空の人物が誰かと似てしまうという現象はあり得そうです。

 

問題のtweetがこちら。

 

 

写真の人物は名作RPGハイドライド」を手掛けたゲームデザイナー、内藤時浩さん(@NAITOTokihiro)です。
思わず笑ってしまうほどそっくりですね。

 

ちなみに高橋克実さんとも似ています……

 

●AIが生成したエロ画像と自分が似てしまったら、どうなるか?

内藤さんのケースは、ゲームデザイナーという内藤さんの職業もあり、ネタで済まされました。
しかし「AIが生成したエロ画像と自分が似ている」という場合はどうなるのでしょうか?

世の中には山ほど女性がいます。
一方現在KindleストアにはAIで生成したえちえち写真集が山ほどリリースされています。
AIが生成した写真とそっくりな女性が存在していても、まったく不思議はありません。

もしそんな女性が苦情を申し出たり、裁判で訴え出たらどうなるのでしょうか?


▲この女の子たち、生身の人間にしか見えませんが実在しません

 

当然、モデルはいませんから、肖像権は適用されないでしょう。

あくまで他人の空似なのですから。

もちろん元になったデータは存在しますが、その元データが本人であることは立証不可能です。

ですから無断で画像を使ったことを罪に問うことは出来そうにありません。
仮に無理に起訴に持ち込んだとしても、被告が法廷で作業過程を再現し、「ほら、こうすればモデルがいなくても画像が出来ます。そもそも私は彼女を知りませんでした」と主張すれば、無罪判決が出てしまうでしょう。

画像の公開を差して止めても、一度ネットに上がった画像はコピーが出回ります。
彼女の画像は半永久的にネットの海を漂い続けるでしょう。

静止画ならともかく、動画が生成されるようになるのも時間の問題です。
出演した覚えのないアダルトビデオに、自分そっくりな女優(非実在女性=AI生成)が主演し、大勢の男性の目に触れてしまう。
そんな事件が起きる日が来るのは、火を見るより明らかです。

法律が現実に追いつかなくなってきました。

しかし便利な生成系AIを手放し、後戻りする選択肢は考えられません。

私たちはどうするべきでしょうか?

今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!

 

追記)
6月3日付けの『ダイヤモンド・オンライン』に同じような趣旨の記事が出ているのを見つけました。
週刊プレイボーイ』がAIグラドルでグラビアページを飾ったことに反応したようです。

週刊プレイボーイのAIグラドルが実在女優にソックリ!?肖像権や著作権はどうなるのか | 井の中の宴 武藤弘樹 | ダイヤモンド・オンライン

洋画の世界で翻訳家の著作権が蔑ろにされている!?(NYT記事翻訳)

Pic by Trid India from Pixabay


どうも。檀原(@yanvalou)です。 

Open AIが開発したChatGPTが話題ですね。ChatGPT以外にもAIを利用したさまざまなサービスが公開され、利便性が高まっています。

今日はそのうちの一つ、翻訳サービスのDeepLの助けを借りて、映画と翻訳にまつわる記事をご紹介します(AIの出力したものをコピペせず、だいぶ手を加えています)

じつは英語圏で映画を作る場合、翻訳ものの小説が原作だったときは、翻訳者にまったく印税が支払われないらしいのです。にも関わらず、翻訳したテキストは一方的に使われてしまうとのこと。ひどい話ですね(日本ではどうなんでしょうか……?)。

この問題を扱った記事です。

原文はwebマガジン"Words Wtihout Borders"にあります。 

wordswithoutborders.org

 

記事で扱われているのは、日本でも配信中のNetflixオリジナル映画『ロスト・ドーター』。原作は小説でイタリア語。それが英語に翻訳されてヒットし映画化につながったようです。同原作は和訳されており現在も購入可能です。

以上の予備知識を踏まえてお読みください。

どうぞ。

 

●消えた翻訳家

マイケル・F・ムーア

2022年3月10日

マイケル・F・ムーアが、エレナ・フェランテ原作の映画『ロスト・ドーター』のエンドクレジットから、翻訳者アン・ゴールドスタインが消されたことについて議論する。

映画界では賞レースの季節を迎え、ギリシャの島で休暇を過ごす中年の学者を描いた映画『ロスト・ドーター』(マギー・ギレンホール監督)に賞賛の声が集まっている。この映画は、大ヒットした「ナポリ四部作」の著者であるイタリア人作家、エレナ・フェランテの同名小説を原作としており、2人の友人たちの50年近くにわたる歩みを描いている。同作品は数々の権威ある賞やノミネートを獲得してきた。最近では、主演女優のオリビア・コルマンとジェシー・バックリーがアカデミー賞にノミネートされ、ギレンホールがかつて賞をとったヴェネツィア国際映画祭の脚色賞部門(adapted screenplay)にノミネートされた。私はここに、「(クレジットのない)翻訳からの脚色賞("adapted from an (uncredited) translation ")」を加えたい。

2006年に出版されたイタリア語の原作『La figlia oscura』で、著者フェランテは「ナポリ四部作」で深く探求してきたテーマを再現している。それは女性を縛るさまざまなしがらみとの闘いである。女性を狭い役割に追いやる社会のしがらみ、期待と失望で相手を苦しめる母娘の間のしがらみ、女性同士を近づけたり遠ざけたりする友情のしがらみなどが該当するが、いずれも人形が重要なモチーフとなっており、関係性の力強さと脆さを表している。

2008年にアン・ゴールドスタインによって英訳された小説『失われた女の子』(日本語版は早川書房・刊)は、現在と過去を行き来する一人称の物語である。語り手のレダナポリ出身で、フィレンツェの大学で英語の教授をしている。小説の冒頭で彼女は南イタリアのビーチに座りながら、突如として登場した大家族を眺めている。若い母親のニーナとその娘エレナ、この母娘が身を寄せあう姿から目が離せなくなる。レダはこの家族の中に、身重の女性ロザリアがいることに気づく。レダは「ニーナは美しく、ロザリアは醜い」と感じると同時に、その判断の根底にある格差に思い至り悶々とする。この場面でレダは、自分と女性たちとの関係を振り返ることになる。二人の娘は、「臍の緒を切ったにもかかわらず」、かつては自分が胎内で包み込んでいた被造物である。一人は彼女に似ているが、もう一人は似ていない。前夫のジャンニは、「自分の体からコピーされたものを見る暇もなく、生殖がどうなったかを見ていた」。彼女は母親を思い出し、どのような諍いがあったかを追想する。「私は自分に対する密かな怒りを、母に向かってぶつけたのだ」。学者として成功するために、レダは娘、母、そして妻としてやっていく、という相反する要請と折り合いをつけなければならなかった。

この小説を映画化するにあたり、ギレンホールは登場人物の国籍を変え、英語を話させるという選択をした(『ハウス・オブ・グッチ』でイタリア人がおかしなピジン英語を話していたのとは対照的である)。舞台は南イタリアからギリシャの島へと移されている。レダはリーズ出身のイギリス人で、マサチューセッツ州ケンブリッジでイタリア語と比較文学を教えている。海辺の騒がしい家族はナポリではなくニューヨークのクイーンズ区の出身だ。この変更により、彼らの威圧感は少し薄れている。小説の中で、海辺のホテルのボーイがレダに「彼らは悪い人たちだ」と忠告するのは、マフィアであることを示唆している。一方クイーンズ出身の悪人というのは、それほど犯罪的な意味合いを含んでいない(筆者の個人情報の開示:私はクイーンズに20年間住んでいる)。

映画はフェランテの物語世界の様相を浄化している。小説の中で、レダは浜辺で見る人々の身体に嫌悪感を抱く。人々は太りすぎで日焼けしているのだ。しかしニーナ……そしてレダ自身も考慮に入れるべきだろう……は例外である。ロザリアは「気取った醜い体」だ。ニーナの夫はがっしりした年配の男性で、「大きなお腹があり、水着の上から肋骨の弧に走る深い傷跡によって、膨らんだ肉の半分に2分割されている」。大家族のメンバーは、「やつれた顔の太った男、仰々しく裕福な女、肥満の子供」である。しかし原作における登場人物たちの特徴は、映画の中で役を演じる俳優たちからは見受けられない。華やかなダグマラ・ドミンシュクは、義姉のカミーユを演じている。ニーナの夫はサーファーのように日焼けした筋肉質の青年だ。逆に小説の中で若々しくスリムでな容姿を誇っていたレダは、年相応に肉のついた数少ない登場人物である。

映画は、物語の核心を突くテーマを単純化している。レダは子供たちが幼い頃、3年間も育児放棄していたのだ。小説では、ニーナがレダに理由を説明するよう促す。レダは最初「子どもたちを愛しすぎていて、子どもたちへの愛が私を私らしくさせないように思えたから」と言ったのだが、「あの子たち二人がいないと気分が良かった。まるで粉々になった自分の欠片が元通りになるみたいに」と付け加えた。しかし3年後、彼女は娘たちの元に戻ってくる。それは娘たちを愛するためではなく、あくまで自らを愛するためだった。ニーナが尋ねる。「そして、戻ってからは?」「私は自分のために生きるようなことはせず、2人の子供のために生きることに決めた。少しずつうまくやれるようになったわ」。同じシーンが、映画では2行の台詞で表現されている。「私が戻ったのは、子供たちがいなくて寂しかったから。私はとても自分勝手な人間なのよ」

登場人物の言語と国籍、そして舞台の変更には、若干ぎこちなさが残っている。ギリシャ語はメニューやウーゾのボトルにさえ現れることはなく、地元の荒くれ者たちの台詞が断片的に出てくるだけである。カリーがレダに初めて会ったとき、彼女はクイーンズ出身かと尋ねるが、オリビア・コールマンの紛れもないイギリス訛りを考えれば、クイーンズ出身者であるわけがない。後のシーンで、レダがハイキング中のカップル(そのうちの一人は、HBOの映画『My Brilliant Friend』のナレーター、アルバ・ロルヴァッチャーが演じている)に会うと、観客はレダが翻訳を学び、イェーツ(訳注:アイルランドの詩人・劇作家)やオーデン(訳注:英国の詩人)の詩をイタリア語に訳したことがあることを知る。

この部分は映画の中で何度も出てくる翻訳に関する言及だが、本作自体が小説の「翻訳」であるという立場を意識したものだ。レダは学問の 隘路 あいろ で苦労していたが、成功した夫に遅れをとりながらも、イギリスで開かれる会議に出席することになる。その会議のテーマは、小説ではE・M・フォースター(訳注:英国の小説家)、映画ではオーデン(訳注:英国の詩人)であり、散文から詩へと変化している。そこでレダは、学会で最も権威のあるハーディ教授が演壇から自分を褒め称えるのを聞いて驚く。映画では、彼(*訳者註:「彼女」の誤記では?)の論文について、小説よりも深く掘り下げている。ハーディ教授は「レダの研究は、それまでわずか1本の論文しか発表していなかったものの、ポール・リクールの先駆的な理論を先取りしたものである」と主張する。リクールは「言語的もてなし」という用語をつかって、翻訳におけるホスト言語とゲスト言語の間の理想的な仲介を言い表した人物である。論文発表後、ハーディ教授はレダと気さくに接し、彼女がイタリア語にしたオーデンの詩「危機」(第二次世界大戦勃発時、ドイツがポーランドに侵攻した際に書かれた詩)の一節を暗唱しあい、夢のような時間を過ごす。

監督のマギー・ギレンホールは、この小説の映画化に際して、翻訳者としての顔も持つようになった。「ニューヨーク・タイムズ」紙のプロモーション・インタビューで、彼女はこんな質問を受けている。

Q:翻訳というテーマは、登場人物にとって明らかに重要です。主人公のレダはイタリア文学を翻訳していますが、あなたも原作小説を翻訳していますよね。あなたにとって、翻訳者という役割はどのような意味を持つのでしょうか?

A:レイチェル・カスクの著書『Kudos』の中に、こんな一節があります。適用について考えていたので、何度か思い返すことがあったのです。引用します。 「私は、まるでそれが間違って壊したり殺してしまったりするかもしれない壊れやすいものであるかのように、慎重に、細心の注意を払って翻訳した」。 私はこの一節がとても好きです。(2021年12月29日)

レンホールのインタビューでも、映画のエンドクレジットやプレスキットでも、脚本のベースとなった翻訳家アン・ゴールドスタインについて一切触れられていないのは、決まりが悪い。ゴールドスタインは、『捨てがたき日々(The Days of Abandonment)』を皮切りに、フェランテの英訳作品をすべて手がけている。フェランテが知られざる作家だったことと「ナポリ四部作」の成功が相まって、ゴールドスタインは今日アメリカで最も有名な翻訳家の一人となった。フェランテのすべての英訳作品の扉のページに彼女の名前があるが、表紙にクレジットはない。そして主要な新聞で数多の特集記事が組まれている。フェランテが英語圏で成功したのは、ゴールドスタインの堅実でエレガントな翻訳のおかげだと言う人もいるくらいだ。彼女は「無名の」、あるいは「見えない」翻訳家とは言えない。しかし『ロスト・ドーター』のエンドクレジットには、ケータリング業者や運転手、撮影現場の衛生管理者の名前など、時間にして7分ほどの人名リストが大写しになるにも関わらず、本作の製作者はこの映画を制作可能にした翻訳者の名前をクレジットするスペースを見つけなかったのだ。翻訳の出版元であるヨーロピアン・エディションズ社の社名は大書されているというのにだ。ヨーロッパ社は翻訳者の著作権を否認することを社の方針としており、これは翻訳者の仕事の創造性を事実上否定する行為である。また、ごく一部の例外を別として、ヨーロッパ社は翻訳者の名前を表紙から消し去っている。一方翻訳本の表紙に翻訳者の名前を載せるキャンペーンは昔からあり、最近では著者協会(the Society of Authors)が公開書簡とハッシュタグ「#TranslatorsOnTheCover」を通じて記載を復活させたが、表紙にクレジットされていることは必ずしも翻訳者の著作権と作品の所有権を保証しない。また著作権は、映画化などの二次的著作物に自分の翻訳を使用することを許諾したり、そこから収入を得る権利を翻訳者に自動的に付与するものでもない。

本件の問題点をより深く理解するために、ジェシカ・コーエン、ジュリア・サンチェス、ウマール・カジーとともに、全米作家協会(The Authors Guild)が発行する「文芸翻訳標準契約(Literary Translation Model Contract )」を起草したアレックス・ザッカーに話を聞いた。彼は「文学的な翻訳作品は、著作権法上、他の創作物と同様に独自性がある」と指摘した。それは文芸翻訳標準契約の解説にある通りである。「翻訳は、作品を単に新しい言語で表現したものではなく、法律的に言えば、既存の作品のいくつかの要素または全体を取り入れながら、その作品に新たに著作権上の著作権を加えた新しい作品であり、その独自性の範囲内で著作権保護を受ける権利がある」。

映画化の許諾権は別の問題である。著作権は、最終的な映画化において翻訳者の承認を要求するが、翻訳者に著作権料が提供されることを保証するものではない。このような問題は、補助的な権利として別途交渉する必要がある。文芸翻訳標準契約の解説でも「翻訳者は可能な限り、書籍以外の物理的または電子的な媒体での使用(例えば、ラジオ、テレビ、映画、舞台、引用、字幕)について、可能な限りいつでも構わないが、翻訳の全部または一部を許諾する権利を保持することを推奨する」と書かれている。というのは翻訳書の売れ行きが良い場合、出版契約を交渉したときに予想していたよりも価値が高くなることがあるからだ。

先に引用した「ニューヨーク・タイムズ」の記事に対して、「ニューヨーカー」誌の元スタッフ、メアリー・ノリスは、映画がゴールドスタインの翻訳を認めていないことに加え「この映画で最も印象的なセリフは小説の英語版から直接引用されている」と異議を唱える書簡を編集者に送付した(2020年2月23日)。マギー・ギレンホールはインスタグラムで手紙をリポストし「これはまさに正しいことです。これが素晴らしい #アンゴールドスタイン(#thelostdaughter の英訳者)に対する多くの感謝の言葉の先駆けにしましょう、この人がいなければ、映画化は実現しませんでした」と記した。マギー・ギレンホールが過失の一部補うかのように、インディペンデント・スピリット賞の脚本部門の受賞スピーチで、アン・ゴールドスタインの存在を認めたことは喜ばしい。

Netflixのようなストリーミングサービスが世界中でビジネスを拡大するにつれ、コンテンツの多様化のために文芸翻訳に注目する傾向が強まっている。翻訳者にとって良い機会であるはずだが、士気を下げることにもなりかねない。『ロスト・ドーター』の件では、翻訳者は自分の仕事の成果から得られるべき信用と収入のいずれをも否定されたのだ。

* * *

2〜3ヶ所、訳がやや怪しい個所がありますが、おおむね正しいはずです。

日本のコンテンツ、特にマンガが海外発信されたり、日本以外の場所で映画化される場合、翻訳家の権利がどうなっているのか気になります。

なおこの記事の著作権は「ニューヨークタイムズ」に属します。語訳や誤植に気がついたらお知らせください。

今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!

戦争中の医学犯罪を糧にして開発された薬品があるとしたら、それはどう扱われるべきなのか?

どうも。檀原(@yanvalou)です。

以下、「である体」でつづけます。

* * *

先日、某メディアのテストライティングに応募した。
「下記の『課題URL』内の指示に従って、記事を作成してください」というお題で、五つの項目が列挙されていた。僕が選んだのはその内の一つ

 ▼

虹波 こうは とは何か?(京都新聞 2022年12月5日付)

www.kyoto-np.co.jp

 

である。

 

「虹波」というのは先の大戦中、日本陸軍が開発していた薬物である。上記リンクはハンセン病患者を人体実験のような状態で被験者に仕立て上げていたということを報道したもので、死者まで出ていたということを問題視している。

 

しかし調べたところ、この「虹波」、名称を変えて現在市販されているのだ。そこでその点を踏まえ、文字数その他のレギュレーションに沿って書いたのが以下のテキストである。

 

虹波とはなにか

 

2022年12月初旬、熊本県合志市国立ハンセン病療養所「菊池恵楓園」で、第7陸軍技術研究所の嘱託だった宮崎松記園長の指揮により、「虹波」と名付けられた薬剤が投与され9人が死亡したという資料が公になった。投与は1942年12月から6〜67歳の同園入所患者370人以上に対し行われたとされる

 

虹波とはなにか?

 

問題となっている虹波とは、感光剤を合成した薬剤だ。感光剤は写真フィルムの増感剤として知られるが、免疫活性や抗菌などの薬理作用を持つ色素も存在している。こうした点が評価され、陸軍は太陽光線の人体における利用度を促進=「極寒地作戦における耐寒機能向上」、体質改善・新陳代謝の亢進・闘病力の増強=「戦闘に必要なる人体諸機能の増進」を計ろうと考えた。つまり虹波は陸軍の「機密薬」だった。

 

もっとも軍の意向とは裏腹に、療養所サイドでは虹波をハンセン病の治療薬として期待していたようである。現在ハンセン病の治療にはプロミンが用いられているが、この当時はまだ決定打となる薬がなかった。戦前の日本ではセファランチン、タイフウミン(大風子油を静脈注射用にしたもの)、チバ、リファンピシンなどが治療薬としてテストされていた。虹波もそのひとつと受け止められていたのである(虹波はハンセン病だけでなく、結核の治療薬としても期待されていた)。

 

つまり結果はどうあれ、治療的効果などのメリットがありえない「非治療的実験」ではなかった

 

なぜハンセン病患者が選ばれたのか?

 

ハンセン病とはなにか

 

ハンセン病は「らい菌」による感染症で、かつては「らい病」と呼ばれる不治の病だった。発病の兆候は皮膚にできる斑点で、やがて末梢神経が麻痺し、病状が進行すると顔や手足が変形する。運動機能、視力、知覚に障害が生じると回復が困難で、治癒後も後遺症が残ってしまう。

 

ハンセン病に対する偏見とその歴史

 

かつては非常に感染力の弱い菌感染症だということが知られておらず、患者はその外見や精神に残った障害が原因で差別され、人里離れた療養施設に隔離されていた(家族に差別が及ぶのを怖れ、自ら施設に入る人もいた)。

 

隔離政策は1907年の「(旧)癩(らい)予防法」から1997年の「(新)らい予防法」の廃止まで1世紀近くつづいた。1度収容されると生きて出ることは適わない。行くあてのない高齢の患者が現在も施設に留まっている

 

ハンセン病は「日本書紀」にも出てくるような古くから知られた病気だが、1930年代から60年代にかけて「無らい県運動」という社会運動が行われたことが知られている。各県内の市街地からすべてのハンセン病患者を摘発し療養所に収容しようという動きで、患者への差別を一層あおり立てた。太平洋戦争中は中断されたものの、こうした世情が軍による虹波投与実験の前後に存在していた。

 

なぜハンセン病患者が選ばれたのか?

 

ハンセン病患者は一生生きて出られない療養所という閉鎖空間に閉じ込められていた。外部からの目が届かない密室では不慮の事故が起きても隠し通せてしまう。この構図は中国人捕虜らに化学兵器開発の人体実験を行った陸軍731部隊の収容施設の環境と共通している。

 

20世紀前半は優生思想が信望された時代だった。ダーウィンの進化論と遺伝学とを結びつけた優生学の考え方は、人間を選別し、優劣をつけ、序列化した。ナチスドイツがアーリア人至上主義とユダヤ人排斥を唱えるのと同時に、障害者・高齢者・末期患者・奇形児などを大量に安楽死させていたことはその現れである。

 

ナチス・ドイツの医療政策が、優生主義に基づき精神病患者や障がい者を排除するものであったのに対し、日本ファシズム下の優生主義は、ハンセン病患者への処遇において、もっとも鮮明にあらわれた」(藤野豊 『日本ファシズムと医療ーハンセン病をめぐる実証的研究』岩波書店 1993年

 

こうしてハンセン病患者が軍の機密薬の被験者として狙い撃ちされたのだろう。

 

投与実験の結果は?

 

報告書によると、実験開始当初は1千名にも及ぶ全患者から熱烈な支持を受けたというこの実験は、散々な結果に終わった1944年5月25日に宮崎園長らが第7研究所に提出した報告書によれば、同年3月の実験結果は有効率が2.8%、副作用発現率が22.2%という結果となった。1948年11月以降は治療を拒否する患者が続出し、研究をつづけることが困難になったという。

 

今回開示された虹波関係簿冊は25点。遺族らの訴えにより、戦前同園において入所者の骨格標本を作成した問題を検証する過程で明らかにされた。一連の資料には患者を「材料」と呼んでいたともあり、死者が出ていたことも考え合わせると非人道的な医学犯罪であったと言えよう。

 

戦後、虹波はどうなったのか

 

虹波実験の成果

 

ところで虹波はその後どうなったのだろうか? 虹波研究の成果は終戦後の早い段階で学会発表されている。

 

リンク1)虹波による傳染性貧血の治療試験(1948年の実験の論文)

 

リンク2)虹波1號及び12號が癩血清のWassermann 反應(1952年発表)

 

つまり死者が9人も出たという問題があったにせよ、研究は秘匿されることはなく、彼らの死はまったくの無駄死にではなかった。じつはそれどころか虹波は歴とした錠剤として認可され、現在市場に出回っているのだ(*註)。ただし製品名は虹波ではなく、効能もハンセン病治癒ではない。虚弱体質・貧血の改善やアレルギー疾患対策、皮膚トラブルの解消などを謳った常備薬として販売されている。

 

想定していた薬効とは異なる方向で効果が確かめられるというのは、新薬の開発ではよくあることである。紆余曲折はあったにせよ、市販されている以上、虹波の開発は成功したと言わざるを得ない。

 

戦時に開発された医薬品のフェアユースはどこまで考慮されるべきか

 

近年エシカルな消費が問われている。食品や工業製品に対して厳しい眼差しが向けられているが、戦争中の医学犯罪を糧にして開発された薬品があるとしたら、それはどう扱われるべきなのか? 虹波の投与実験は私たちに重い問いを突きつけていると言えよう。

 

*註

 

我国における感光色素の発展の歴史(452ページ) …国立研究開発法人 科学技術振興機構

「 クリプ トシアニン(イル ミノールU)」

「umlnolUIIに強心作用のあることが見出された。昭和17年陸軍の技研は各大学の協力を求めて医,動,植物の研究組織を作り軍機保護法の下に研究発表を禁じた。この間に虹波と命名したUII色素は火傷,凍傷に卓効ありとされ」

 

ルミン®Aの有効成分

 

* * *

 

この問題、どうなんだろう?

応募したメディアはこういう不穏な原稿が返ってくるとは思わなかったらしく、事前に「こんな風ですが問題ありませんか?」と確認したものの、あっけなく落とされてしまった。

つくづく戦争は根深い問題を残すな、と思った次第だ。

 

 

「穢れ意識」は差別に該当するのか?

ども。檀原(@yanvalou)です。

皆さんは神社の多くが犬猫などのペット禁止なのをご存じですか?

sippo.asahi.com

上記の記事のように、近年ペットを連れた参拝にOKを出している神主さんもいますが、多くのところでは未だに禁止しています。

このような背景を前提として、以下の記事をお読みください。

 

▼ ▼ ▼

 

イノシシやシカ、クマ、サルなどの野生動物によって引き起こされる被害が深刻である。精魂込めて育てた田畑が荒らされたり、樹木の表皮が剥がされたり、森の下草や新芽が食い荒らされて禿げ山が出現したりしているのだ。

とは言え、獣害を被っているのは農家や林業家だけではない。意外な業界も被害を被っていたのだった。

 

 

●穢れを持ち込む野生動物

日本の伝統では、動物を「穢れ」として神聖な場所から遠ざける傾向がある。たとえば伊勢神宮では「ペットを連れての参拝はご遠慮下さい」とうたっている。

伝統的な和食には肉料理が含まれていない。これは殺生を禁じる仏教の影響だけでなく、「穢れ」という神道陰陽道に仏教が混在した概念が原因だ。

少し難しくなるが、862年ごろ日本独自の文化として成立した「六畜の穢」という考え方がある。

これは馬、牛、豚、犬に関するタブーで、肉食や動物のお産、咋い入れ(犬が骨を持ってきて敷地に埋めること)、フン害、カラスによるいたずら、鳥が群れて屋根で騒ぐ、などを「穢れ」とみなし、避けるという風習だ(*「六畜」は前記の4種類の動物の他に鶏と羊を含むが、実際の運用では除外された。また猪や鹿の肉を食すことも「六畜の穢」に準ずるとされた)

伊勢神宮は、内裏・朝廷よりもさらにいっそう清浄であることが求められた。『伊勢太神宮参宮儀式』によれば、六畜(鶏を除く) の食穣は百日間消えず、神宮の神官は鶏、卵ともに食べなかった。このほか猪、鹿、羚(かもしか)、熊、猿を食べず、狐、狸、兎は食べても被れにはならないが、参宮前の三日は食べてはいけないと決められた」(仁科邦男『犬の伊勢参り平凡社新書 2013年より)

同書によると平安時代末までの300年間に天皇の御所周辺で120件以上の「犬による穢れ」の記録が残っているという。その度に皇居の行事は延期された。伊勢神宮で20年ごとに行われる式年遷宮も、犬による穢れでしばしば延期されたという記録が残っている。

神社にとって野生動物は厄介な存在だったのだ。

 

●創建以来、神社と獣害は切っても切り離せません

という訳で、歴史的な経緯や考え方を見ていただいた。実際の所、山里の神社では獣害による穢れに対してどのような対策を講じているのだろうか?

匿名を条件に話を伺ったのは、近畿地方の由緒ある神社。広報担当の方によると、ご神域に野生動物が侵入するのは「毎日のこと」で、もはや侵入を防ぐことを諦めているという。

「獣害は昨日今日始まった問題ではなく、人間が集落を作って以来、連綿とつづいてきた課題です。うちでも創建以来、獣害は切っても切り離せません。山には動物のみならず鳥や虫までいます。防げるはずありません」という心境なのだそうだ。

では「穢れ」に関しては、どう対策を取っているのだろうか?

「毎月行っている月次祭(つきなみさい)や例祭(重要度の高い祭典)で近隣の末社をふくめた付近一帯をお祓いしています。動物がフンをしたという場合などは、清掃員がきれいにします。動物の侵入は日常茶飯なので、一々お祓いしていたらキリがありません」

これが日本の山里と野生動物の現実なのだ。

 

▲ ▲ ▲

 

いかがでしょうか?

某ウェブメディアに掲載予定だった原稿ですが、直前になって「職業差別条項に抵触するので掲載できない」と言われてしまいました。

先方曰く「穢れ」は職業差別を誘発する考え方なので、掲載できないというのです。

考えすぎだと思うのですが、皆さんはどう思いますか?

 

参考までにこんな記事へのリンクも張っておきます。

toyokeizai.net

 

数年前の話ですが、漫画が原作の映画『テラフォーマーズ』を観た黒人男性が「この映画は黒人を差別している!」と抗議したという話を連想しました。

テラフォーマーズ』は人形に進化したゴキブリと人類が火星で死闘を繰り広げるSFです。登場人物の中に黒人は影も形もありません。読者がゴキブリと黒人を同一視することもないと思います。「言われてみれば似ていなくもないな。だからと言って……」というのが大方の反応ではないでしょうか?

つまりこの件はその黒人男性の被害妄想が原因だと思うのです。

僕が書いた神社における獣害記事が差別に該当するというのも、ポリコレに対して過剰に心配性な編集者の行きすぎた判断だと思うのですが……それともいまはこれが普通なんでしょうか? 炎上は怖いですもんねぇ。

皆さんの御意見をお聞かせください。

今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!

【検証】「コロナで若年層の予期せぬ妊娠が増えた」は本当か?

f:id:yanvalou:20210920154142j:plain

ども。檀原(@yanvalou)です。

昨年の春から猛威を振るい始めたコロナウイルス。今秋に至ってもまだまだ収束の気配が見えません。高齢者のワクチン接種は一段落付いたようですが、若年層の方はまだまだです。

個人的にも今週ようやく2回目のワクチン接種が受けられる状況になりました。とは言うものの、知人の娘さんが2度の接種をうけた警察官でありながら感染したという状況でして、まったく油断がならないと感じています。

前置きはこの位にして本題に入りましょう。

今回の記事は『東洋経済オンライン』と『週刊金曜日』に持ち込んでボツになったものです。
週刊金曜日』の方は引きがよく、対応してくれた編集者はかなり好意的な反応だったのですが、編集会議の席上で後述する安達知子さん(日本産婦人科医会・母子愛育会愛育病院)の思想が『週刊金曜日』にそぐわない、という理由で却下されたようです。

一方『東洋経済オンライン』の方からは音沙汰がありませんでした。

以下、企画書をリライトする形で公開致します。どうぞ。

 

「コロナで若年層の予期せぬ妊娠が増えた」は本当か?

昨年の夏のことだが、「1985年以降一貫して減少傾向にあった15〜19歳の妊娠が、2020年のコロナ禍以降上昇トレンドに転じている」というニュースがいくつかのメディアで報じられた。

コロナ禍で露呈する日本の性教育の遅れ 〜若年層妊娠増加〜CBC 放送)
2020年7月24日

hicbc.com

 

コロナで休校になった自粛期間、10代女学生の妊娠相談が激増!(プレジデントオンライン)
2020年8月19日

president.jp

 

コロナ禍、なぜ10代の妊娠相談件数が2倍近くになったか(プレジデントオンライン)
2020年10月2日

president.jp

 

あの壇蜜さんもコメントしています

壇蜜 コロナ禍で10代少女の望まない妊娠に私見「選ぶための窓口、受け皿がないと」スポニチ
2020年6月16日

www.sponichi.co.jp

 

三番目の記事は、いまをときめく伊藤詩織さんの手による記事である。おそらく中高生の娘を持つ親たちの間で関心を集めているトピックなのだと思う。

しかし筆者が個人的に調べたところ、若年層の予期せぬ妊娠が増えたのは昨年の3月4月だけの話で、その後は2019年に比べて減っていることが分かった。

 

典拠は安達知子氏(日本産婦人科医会・母子愛育会愛育病院)を代表者とする研究発表だ。

今年の5月15日(土)に行われた厚生労働特別研究・新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関連する母子保健領域の研究報告シンポジウムで発表された「新型コロナウイルス感染症流行下の自粛の影響-予期せぬ妊娠等に関する実態調査と女性の健康に対する適切な支援提供体制構築のための研究」がそれで、当日配布された資料がネット上で公開されている

p30-31より抽出した【COVID-19の流行下での「困難な問題を抱える居場所のない若年女性」 の予期せぬ妊娠等に関する実態調査と支援方策の検討】という部分のデータを以下に転載したい。

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これを見ると「コロナで若年層の予期せぬ妊娠が増えた」というのは2020年の3月と4月の2ヶ月間だけだ。あくまでも一過性の現象だと言うことが分かる。

厚労省の発表によると、むしろコロナ禍を通してみたとき日本人の妊娠は減少傾向にあるようだ。

gemmed.ghc-j.com

 

第二子以降の出産延期を考えている夫婦が多いという報道もある。

prtimes.jp

 

十代の妊娠はなぜ減ったのか?

 

話を十代の妊娠に戻そう。

巷のニュースサイトではどこも続報を報じなかったため、昨春以降の減少傾向は報道されていない。メディアの怠慢だろう。

その一方「なぜ昨年3月、4月だけ増加しその後減少したのか?」という謎は残る。ひとつの仮説として考えられるのは、当初は急に部活動や放課後の行動が制限されたためカップル間の性生活が活発化した。しかしコロナ禍で全世代の性生活そのものが減少傾向に入ったため、それに引きずられる形で十代の子たちの性生活の機会も減った、というものである。

しかし……自分が若かったときのことを考えると、いまひとつ説得力に欠ける。

この点に関して各メディアの情報源となった団体や病院などを含め、関係各所に改めてその後の動向を聞き「『コロナで若年層の予期せぬ妊娠が増えた』は本当か?」という点を追求していく。

 

* * *

 

以上がこの企画の骨子です。

我ながら社会的意義もあるし面白いと思うのですが、今回は討ち死にでした。

これにめげずに次の機会を狙いたいと思います。

今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!

 

「小説家」という話は聞くけれど……ライターが「アーチスト」になるというステップアップは可能か?

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ども。檀原(@yanvalou)です。

ライターとして日々頑張っているなかで「ずっとこのままで良いんだろうか?」と漠然とした不安を覚えることは、割とある話だと思います。

一般にライターからの転身(ステップアップ)として考えられるのは、以下のような道筋ではないでしょうか?

  • 編集者
  • メディア運営者(経営者として起業)
  • 経験を認められ、企業に中途採用される
  • 作家(小説家)

このうち「作家」は、憧れのコースと言えるでしょう。

「タイムラインの王子様」ことカツセマサヒコさんが、今年『明け方の若者たち』で小説家デビューしたことは、まだ記憶に新しいところです。

小説家になろう」の例を挙げるまでもなく、ものを書くのが好きな人間の間ではずっとゴールデン・コースでした。

今に始まった話ではありません。
たとえば、ホラー小説『死国』『狗神』などのヒット作を持つ坂東眞砂子さんは、マガジンハウスで仕事をするフリーライターでした。彼女の作家デビューは1980年代。つまり昔からあった道筋で、珍しくない話な訳です。

ところでひとつ問題提起です。

ライターからアーチスト(芸術家)への転身はありですか?

 

 

言葉を素材にしてアート・ピースをつくる

ライターは言葉を扱う職業です。
つまり言葉を使う仕事であれば、転身しやすいと考えられます。

こう書くと「じゃあ、アーチストは関係ないじゃん」と言われそうです。

一般にアートというと絵画や立体、インスタレーションなどが思い浮かびます。
しかし言葉そのものを作品にしたアートもあるのです。

代表的なものは「インストラクション・アート(指図するアート)」と言われるものです。
オノ・ヨーコさんの『グレープフルーツ』という作品集は有名です。

手にとって驚くでしょう。
「え? これがアート? ふつうの本じゃん。ってか、詩集?」
そんな反応が帰ってきそうです。

それもそのはず。
作品は文字、というか文章そのものです。
割と有名な話ですが、ジョン・レノンの「イマジン」も「想像してごらん」というインストラクション・アートを曲にした作品なのです。

この手の言葉だけで構成された作品、じつは結構ポピュラーです。
僕が住む横浜では「象の鼻テラス」のガラスに谷川俊太郎さんの「象の鼻での24の質問」が、「クイーンズスクエア」の吹き抜けにはジョセフ・コスースの「The Boundaries of the Limitless」が常設展示されています。

よりライター・フレンドリーな方法として、町の人たちをインタビューして言葉を載せた吹き出しを制作し街角に貼っていく、という作品もあります。
八戸在住のアーチスト、山本耕一郎さんの手法です。

 取材した町の人の数が増えるほど、見応えが増していきます。

greenz.jp

 

取材や執筆のみならず、広報・宣伝、さらにはイベント運営やまちおこしなど、さまざまな分野で言葉を駆使するライター業。
言葉の力を知っているのは、アーチストだけでしょうか?

この方法を最初に思い付いた山本さんは偉大ですが……私たちにもなにか出来そうですよね?

 

少なくとも共同制作者としてなら、問題なく関われる

2000年代に入ってから、演劇やアートの世界で「ポストドラマ演劇」という言葉が頻出するようになりました。

戯曲をベースに役者を演出して物語空間をつくるのが従来の演劇。

ポストドラマ演劇は、前衛的な形態の一つで文字通り「ドラマに頼らない」演劇です。

日本でとくになじみ深いのは「ツアー型演劇」といわれる形態。
街に出て歴史的な出来事の跡地を訪ね、現地で撮り下ろしのオーディオブックを聴いたり、指示された地点に出向いてなにかに出会う、指令を受ける、など若干ミッション遂行的な要素も混在します。

実際の都市の中を移動しますから偶然性が入り込み、さらに個々人の感性の違いなども相俟って、参加者はそれぞれ微妙に異なった独自の体験をすることになります。

ポストドラマ演劇は、僕たちライターにとって参入障壁が低いはず。
むしろアーチストに不法侵入されている分野だと言うことさえ言えそうです。

実際僕自身、ポストドラマ演劇作品を創ったことがあります。



これは横浜の黄金町で頼母子講をめぐって起きた殺人事件を題材にした作品です。
犯人も被害者も、この地で働いていたタイ人の娼婦でした。
彼女たちが働いていた街の路地裏に立ち、数分で聞き終わるドラマを iPod(当時)で聴く、というものです。
実際は5本程度の作品をつくり、町歩きしながら2、3時間で完結するように組み立てました(途中、お寺の境内や路上で短いダンス鑑賞などが差し挟まれます)

「やればできるな」というのが、実際につくってみての感想です。

またイギリスから来たアートユニットの「現地共同制作アーチスト」という立場で、一緒に作品を創ったこともありました。
期間は1週間程度と短かったのですが、ライター活動とはちがった充実感がありましたよ。

wearecircumstance.com

ライターであっても、アーチストと共同作業することは十分可能です。
経験を踏まえて語っていますから、間違いありません。

 

「ツアー型演劇」というライター向きの創作手法

ポストドラマ演劇の一種で「ツアー型演劇」とよばれる形態があります。

この分野を開拓した高山明さん(Port B)には信望者が多く、影響力を無視できない作家です。
出発点が演劇(演出家)ということもあり、一連の高山作品においては、世の中にインストールする仕組み作りに力点が置かれています。
アートとはいえ、特殊なテクニックが導入されているわけではありません。
2010年代に発表された「完全避難マニュアル」「ヘテロトピア」「マクドナルド放送大学」あたりは、リサーチとその成果物の配置が肝です。ライターが後追いするとしてもハードル自体は高くありません。
むしろ問われるのは、着眼点や切り口など「企画」の部分でしょう。
しかし批評眼のあるライターなら、乗り越えられる部分ではあります。

portb.net

この頃の高山作品の「劣化コピー(とあえて言う)と考えられるのが、藤原力さんの「演劇クエスト」です。
彼は出版社勤めの編集者だったという経歴の持ち主で、ライターにとって「高くない山」だと言えそうです。

yokohama-sozokaiwai.jp

「演劇クエスト」もツアー型演劇です。町の歴史を断片的なミニストーリーに落とし込み、脈絡のない形でパッケージングした『冒険の書』。参加者はこの本を手に、ロールプレイングゲームを解く要領で町歩きを敢行します。

 

……どうですか?
ある程度取材経験を積んだライターなら、つくれますよね。
なぜこの手のジャンルをアーチストに独占させておくのか、理由がよく分かりません。

 

アートをテーマに批評やリサーチをする

今世紀に入り、現代アートの世界では史実を取り扱う重要性が増してきました。
おそらく全世界規模で「アートフェスティバル」が催される傾向が高まり、アーチストが滞在制作しながらご当地作品をつくるようになったことが、その理由の一つだと思います。

以前ご紹介した長崎の原爆爆心地を取り上げた小田原のどかさんのリサーチも、彼女のアートプロジェクトの一部です。

www.yanvalou.yokohama

小田原さんは芸大大学院出身の批評も行う人で、出版社の代表でもあります。つまりアートの世界から我々の世界へ結果的に近づいている例ですが、逆に僕たちの側から彼女と同じ地点へ向かうことも、決して出来ないことではないはずです。

美大を出ていなくてもなんとかなります。
建築や音楽など、畑違いのジャンル出身者は結構います。
絵が描けなくても大丈夫。
現代アートの世界では、マテリアルの制作が必要な場合、外注に出すことが認められています。
ですからデッサンが出来なくても、彫刻を彫ったことがなくても、コンセプトの立案とやり抜く力さえあれば、なんとかなってしまうように思えます。

 

「物語の力」の排除

素材として言葉を扱う上で注意しなければいけない点もあります。

アートの世界における言葉の取扱いで特徴的と言えるのは、(すくなくとも僕の理解では)「物語の力」の排除にあると言えるでしょう。

通常、私たちは

逆境→成功→カタルシス

のような物語に興奮し、感動を覚えます。

しかしそれは小説や映画における話であって、アートワールドでは「言葉の力そのもの」に力点を置いているように見受けられます。
いわゆるアートにおける言葉は(狭義の)テキスト・コンテンツではないようなのです。

どういうことか、一例を挙げましょう。

「禅問答」ってありますよね?
禅問答は純粋に言葉だけで成り立っていますが、文学ではありません。
言葉を起点にした思索の方法論、修行の設計だと思うのです。

「両手をうてば声がするが、隻手せきしゅ(片方の手)には何の音があるか」
白隠禅師の公案

このような言葉を出発点として真理について思索を深めるのが禅問答の仕組みと言えます。

この仕組みをつくることそのものがアートです。

これは文学とは異なる体系です。

 

お金のことを一旦脇に置けば……ありじゃね?

大野左紀子さんの『アーチスト症候群』という本があります。
「なぜ人はアーティストを目指すのか」「アーティストになりたい病の本質はなにか」を追求した本です。

その結論に関しては実際に同書を読んで頂くとして、

「ライター業で金は充分稼げるようになった。今後は金銭とは別の尺度でワンランク上を目指したい。
しかしライターには賞があるわけでもなし。
どうしたら人とは違う形でブランディングできるだろう?」

と考える人には、出口の一つとしてアートがあると思います。

結局ライターがアート方面に足を踏み入れないのは、利潤を得る仕組みが謎だからでしょう。
お金も掛かりそうだし、どこから手を付けたら良いのか分かりません。
どうやったら評価されるのか、一般には知られていませんしね。

しかし漫画家・小説家・アーチストの小林エリカさんのように、アートと商業出版を股にかける作家も珍しくありません。

彼女の書いた『親愛なるキティーたちへ』は、2010年代のノンフィクション文芸を語る上で、欠くことの出来ない傑作だと思います。

であれば、僕たちが向こう側に越境しても構いませんよね?

実際僕自身、ライター活動の傍ら、アートの世界にも足先くらいは突っ込んできまして、前述のものとは別に、いくつかワークショップ形式のプロジェクトに参加しました。

artscommons.asia

geidai-ram.jp

自分で立ち上げたプロジェクトもあります。

hijikata1960.yokohama

まぁブランディングになっていないし、完全にスルーされていますけどね(爆

 

今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!

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ロシアやベトナムからは受け入れていたのに…。なぜ日本は難民に門戸を閉ざすようになったのか?

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Photo credit: European Parliament on VisualHunt / CC BY-NC-ND

ども。檀原(@yanvalou)です。

ここ数年、茨城県牛久市にある東日本入国管理センターで長期収容されている外国人に対する対応が、問題視されています。
正確に言うと、入管での対応がひどくなったのは2016年以降だと言われます。

この施設は出入国管理局の施設ですが、難民認定を待つ人々が収容されています。「人権を無視して外国人を抑圧している」と、各方面から非難されている訳ですが、その根幹にあるのは難民を受け入れたくないという日本政府の姿勢でしょう。

しかし僕のこの部分に引っかかりを覚えていました。

たしかに現在の日本は難民受け入れに及び腰です。
資料に拠りますが、ここ数年の難民認定率は0.2〜0.4%程度とされています。
しかしメディア上で「ボートピープル」という言葉が飛び交っていた1970年代から80年代にかけて、日本はベトナム難民を大勢受け入れていました。
うちの実家はキリスト教ですが、現在の神父様はベトナム難民だった人物です。

外務省の公式ウェブサイトには

「(前略)1970年代後半,ベトナム戦争後のインドシナ難民の発生でした。日本が受け入れた約11,000人のインドシナ難民の多くが,現在も神奈川,埼玉,兵庫などの地域に定住しています」

と書いてあります。

また戦前のロシア革命の時にも、大量の白系ロシア難民を受け入れていました。
ウィキペディア情報ですが、ロシア革命の翌年時点で、日本には7,251 人の白系ロシア人がいました。その殆どが亡命者/難民です。

難民のなかには野球のスタルヒンのような、スター選手までいました。

www.yanvalou.yokohama

かつての日本では現在よりも外国人が珍しかったはず。
とうぜん彼らに対する警戒心も強かったはずですし、純血へのこだわりも強かったはずです。

にも関わらず、日本は大量の難民を受け入れていました。

なぜ日本は難民に門戸を閉ざすようになったのでしょうか?

 

 

 

経済難民偽装難民への警戒心

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Photo credit: Joshua Zakary on Visualhunt / CC BY-NC

難民への壁が一挙に高くなったのは、1989年の事件がきっかけだと思われます。
ベトナム戦争終結した後も、ベトナムラオスカンボジアから粗末なボートで漂着する人々(いわゆるインドシナ難民)が大勢いました。
その多くは華僑や華人だったそうですが、社会主義への移行、ポル・ポト政権下での圧政などで累計144万人の難民が発生したとされます。

本当に困った末の脱出劇だったら、隣国と言うこともあり、日本も彼らを受け入れたのかも知れません。
しかしそうとばかりは言えないのが国際社会。

ちょうど1980年代に入ってから、中国で鄧小平による改革開放路線が始まりました。
一部の中国人は、ベトナム難民を装うことにより日本に漂着するようになったのです。

とくに酷かったのが1989年。
入国管理局の調査の結果、ベトナムからの難民を自称した漂着者2804人のほぼ全員が、中国人だということが判明しました。
日本政府は人権擁護団体などの反対を押切り、経済難民を受入れない方針を決定。
翌年6月までに、1520人が中国に強制送還されたそうです。

おそらくこの事件がひとつの判断材料となり、難民への態度も硬化しているものと考えられます。

 

欧州が難民を受け入れるのは、地理的に近いから

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シリア難民の子供たち。ヨルダンのアル・ラムサにあるクリニックにて(2013年8月27日撮影)wikimedia / CC BY 2.0

欧州に関して言えば、「難民の多くは自分たちの旧植民地からやってきている」とか「地理的に近い」という事情があります。欧州人にとって、中東やアフリカは自分たちの庭のようなものです。日本とは感覚が違うのです。

シリアのように旧宗主国であるフランスが受け入れない場合もありますが、たぶんに地理的な近さが受け入れの土壌となっているのだと思います。

特にドイツが積極的に受け入れていますが、これはメルケルの個人的決断によるものが大きいようです。
受け入れの数値目標を先行させ、偽装かどうかの判断は重視していません。
州単位で難民を割り当て、審査と住居提供、移動制限を課していますが、大変なようです。
おまけに EU には域内の移動の自由を認めるシェンゲン条約があるため、ドイツが受け入れた難民が欧州各国へ拡散する可能性が考えられます。そこでドイツの受け入れは、非難の嵐に晒される結果となっています。

またアメリカに関しては、政治工作を行って離反させた反体制勢力が政権を取れなかった場合、アメリカが責任をもって彼らを引取る、という密約をもとに行動している場合が少なくないようです(フロリダの亡命キューバ人などが、このケースでしょうか)

 

ベトナム難民を受け入れたのは、アメリカからの圧力が原因

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ベトナムボートピープルwikimedia 15 May 1984撮影)Public Domain

いろいろ調べていくと、日本は一貫して難民に冷たい姿勢を保ってきたようです。
ではなぜインドシナ難民を受け入れていたのかというと、「親分」であるアメリカの要請があったからというのが理由のようです。

東京市民活動コンサルタントArco Iris」という団体のウェブサイトによると

日本では1978年、政府が政治判断によってインドシナ難民の受け入れを決定したことによって、本格的な難民政策が開始されました。(中略)
 日本のインドシナ難民の受け入れについては、冷戦体制のもとで、ベトナムからの大量の難民を引き受けなければならない状況にあったアメリカ合州国による強力な圧力があったと言われています。その結果、日本は合計8000人以上のインドシナ難民を受け入れることになりましたが、これはすべて入管法の枠ではなく、特別な判断として行われたものです。

とのことです。

www.kt.rim.or.jp

また日本近海に漂流しているボートピープルを見殺しにすることは、国際社会から大きな批判を浴びることを意味します。一旦受け入れてしまったが最後、最終的な目的地に至るまでの通過国として振る舞うにも限度とがあり、かなりの人数を受け入れざるをえなかったという側面もあったようです。

そうしてインドシナ難民の流入がほぼ鎮静化した80年代後半以降になると、日本の難民受け入れは1981年に制定された「入管法出入国管理及び難民認定」に基づいて行われるものが主流となりました。

つまりベトナムなどからのボートピープル受け入れは、超法規的措置だったのです。
原則は「難民は受け入れない」で一貫しているのです。

vintagenewsdaily.com

 

白系ロシア人の受け入れは、共産主義打倒が理由か

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コソボ難民たち 1999年3月撮影: United Nations Photo on VisualHunt / CC BY-NC-ND

白系ロシア人(反ロシア革命派)を受け入れていた背景ですが、国際的な反共産主義的な機運が、亡命者の受け入れを後押ししていたと考えられます。

なにしろ日本はロシアの共産主義革命に反対して、1918年〜22年までシベリアに出兵しているくらいです。
関東大震災の混乱に乗じて、社会主義者10人を刺殺(亀戸事件)やアナキスト大杉栄一家を絞殺するなど、ずいぶん荒っぽいこともしていました。

社会主義つぶしの一環として、反革命派を受け入れる動機は充分にあります。

もちろん地理的な近さも理由の一つとして考えられると思います。
とは言え、第1の理由は人道的な見地よりも共産主義に対する警戒心だったのではないでしょうか。

 

革命家の亡命を受け入れていた歴史はあるものの……

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晩年の孫文WikimediaPublic Domain

日本にはアジアの革命家達を受け入れていた時期がありました。
孫文とボースが有名ですが、朝鮮の金玉均、中国の蒋介石ベトナムファン・ボイ・チャウも日本を拠点としました。

しかしそれは日本の「アジア主義」と無関係ではありませんでした。
アジア主義には頭山満玄洋社的な性格のもの(欧米列強の脅威の排除とアジアとの連帯を目指す)と、陸軍が唱える覇権主義日本を盟主として八紘一宇を実現する)とがありましたが、いずれにしても政治が動機であり、純粋に人道主義的観点だけで動いていたわけではないと思います。

これは私見ですが、現在難民を受け入れている国々も政治的な理由を抜きに難民を受け入れている事例は多くないのではないでしょうか?

先進国が受け入れている難民は

が上位5ヶ国を占めます。典拠:UNHCR 2018年

シリア、アフガン、ソマリアで難民が発生する理由は、欧米の中東介入と無関係ではありません。

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Photo credit: UNMISS MEDIA on VisualHunt.com / CC BY-NC-ND

一方日本における難民申請者の上位5ヶ国は

だとされています。 出典:法務省「平成30年における難民認定者数等について」

法務省は「大量の難民・避難民を生じさせるような事情のない国からの申請者」と説明しているそうですが、たしかに欧州にやって来る難民と顔ぶれが違います。

 

人道的見地と国際関係を天秤にかけるという視点

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Photo credit: jonathan mcintosh on Visual Hunt / CC BY

難民問題でしばしば話題になるのがクルド人です。
埼玉県の蕨市川口市周辺に1500人のクルド人が在住しています。彼らは難民申請を繰り返していますが、今のところ受理された人はいないようです。

rijityoo.exblog.jp

www.huffingtonpost.jp

www.sankei.com

彼らはトルコ、イラク、シリア、イランの各国に跨がる「クルディスタン」と呼ばれる地域に住んでいますが、少数民族であるが故に差別や弾圧の対象になっています。
他所の国に行きたいと考えるのは当然でしょう。

しかしもし戦前の日本から朝鮮人や中国人が「差別」を理由に「亡命」を希望したら、他国は受け入れたでしょうか?
もし日本の近隣諸国が彼らに門戸を開いたら、日本との関係は悪化したでしょう。
つまり人道的配慮だけで決められる問題ではないと思います。
ある種の覚悟が必要でしょう。

もしクルド人の受け入れを決めた場合、「親日国」と呼ばれるトルコとの間に懸念材料が生まれます。
もちろん「甘い言葉ことばかりではなく、厳しいこともしっかり言うのが本当の友達」だという視点に立つならば、なにも恐れることはありません。

しかしあなたにそれだけの覚悟がありますか?

今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!

 

 

【追記】

ウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」に掲載された「冷戦下の代理戦争から東京の生活戦争へ。シャン民族料理店「ノングインレイ」スティップさんの人生」(2020.08.27掲載)が、この件を考える上で参考になりますね。
まだ日本がインドシナ難民を受け入れていた時代の話です。
高田馬場ラオスのシャン料理店を経営するハンウォンチャイ・スティップさん(72歳)の過酷な半生が綴られています。