メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

原爆投下の物語はどんどん語りやすく、単純化されている

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ども。檀原(@yanvalou)です。

今日は長崎に原爆が投下された日でしたね。
近年、広島や長崎の被爆後の状況に関して、立て続けにユニークな研究が発表されています。

 

被爆瓦礫を進駐軍に売りつけた「アトム書房」

まず2012年の『季刊レポ』第10号への寄稿を皮切りに、山下陽光さんが調べ上げた「アトム書房」の一連の記事。

https://yutakasugimoto-blog.tumblr.com/post/27996578101

yutakasugimoto-blog.tumblr.com

広島で原爆が落とされてからまもなく、何もない焼け野原の原爆ドームの近くで開業された一軒の書店。

店頭に並んでいるのはわずかな本のほかに、焼け爛れたビンや瓦といった被爆した瓦礫。
それを進駐軍兵士がお土産として買っていったという!
原爆を投下した当の米兵に、その瓦礫を売りつけるという逞しさ。
奇しくも看板は『Bookseller Atom』と英語で書かれていたそうで、進駐軍を目当てにしていたのかも知れません。

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爆心地に立てられた謎の矢印

さて今年の春先、横浜の BankART Station で小田原のどかさんというアーチストの『↓(2019)』という作品が展示されました。

こちらは1946〜48年に長崎市の爆心地点に設置された「原子爆弾中心地」と記された標柱をモチーフにしたもの。
当時はグーグル・マップのマーカーのようなものが爆心地に設置されていたのです。
このページのトップ写真がそれで、米兵たちが記念撮影しています。

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なぜこのような標柱が立てられたかと言えば、当時は進駐軍の政策により、戦死者を慰める慰霊塔の類が建てられなかったからだそうです。
だからこういうマーカーのようなものしかつくれなかったのでした。

現在に至るまで、日本には戦死者を弔う国レベルの慰霊塔はありません。
かろうじて戦死した軍人を祀る靖国神社があるくらい。
あとは「ひめゆりの塔」とかローカルなものが、時折見られるくらい。
小田原さんは、この標柱を「戦後日本の公共空間の彫刻の起点」と考えているそうです。

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一方、有名な長崎の「平和祈念像」ですが、じつは作者の北村西望は戦時中、戦意高揚彫刻を制作していたそうです。
そんな彫刻家が、平和の彫刻制作を依頼されたという皮肉。

たいていの場合、平和祈念彫刻は女性像か、男女ペアと相場が決まっています。
にも関わらず、男性の像というのは考えてみれば変です。

実際、小説家の堀田善衛はこの像を「ファシズムを表象している」と書いているそうです(典拠:堀田善衛「間奏曲 人と馬」:朝日新聞社・1995年刊『美しきもの見し人は』に収録)。

原爆の物語は語りやすくするため徐々に単純化され、角を落として語りつがれてきたのでしょう。
しかし単純化されているのは、戦争にまつわることだけでしょうか?
なんだか考えさせられる話です。

今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!