ども。檀原(@yanvalou)です。
人気漫画『ゴールデンカムイ』が実写映画化されましたね。
劇場には足を運んでいませんが、原作は大好きです。客入りも好調とのことで、続編も作られるのではないでしょうか。
さてご存知の通り、この作品のヒロインはアイヌの少女です。
ポリコレの嵐が吹き荒れる昨今、ハリウッドでは「人種間の機会平等」を掲げ、白人に独占されていた役をマイノリティーにキャスティングする機会がずいぶん増えてきました。性的マイノリティや聾唖者の役を当事者に演じてもらうという流れも定着しています。「流れが定着」というよりも、むしろ必須事項と化している感すらあります。
しかしこのキャスティング問題、高邁な理想論ばかりが先行し、中身が空虚になっている恐れはないでしょうか?
アイヌの役はアイヌが演じるべきか?
長らく「変な日本人」がスクリーン上を跋扈してきたハリウッド映画。「こんなヤツいねえよ!」と日本の観客のひんしゅくを買いつつも、なかなかいなくなってくれません。
だから「日本人の役は日本の役者に任せるべきだ」という声が上がるのは自然な流れです。しかしそれが先住民などのマイノリティーの話だったとしたら?
白人とネイティブ・アメリカンのように、外見からしてそれと分かるくらい違いが顕著であれば、先住民の役は先住民に任せるべきでしょう。しかし本人が名乗り出ない限り、外見からマジョリティーと区別がつかない場合、どのような対応が理想とされるのでしょうか?
役者で喰っているアイヌがはたしてどの程度いるのか、僕には分かりません。おそらく統計そのものが存在しないでしょう。
有名所では宇梶剛士さんがアイヌの血を引いていることが知られています(母親が北海道浦河町出身のアイヌ)。しかし宇梶さんはほとんど例外ともいえる存在で、アイヌの役者陣は層が薄いのではないかと思います。実際に何人いるかはともかく、カミングアウトしない以上、数えてもらうことが出来ません。この条件下でアイヌの役者を起用し、それが大根役者だったらどうするのでしょうか? 目も当てられないでしょう。その上、一度アイヌとして注目されてしまうと、色が付いてアイヌ以外の役のオファーが来づらくなります。
ケース・バイ・ケースですが、少なくとも『ゴールデンカムイ』のアシㇼパ役に関しては、アイヌにこだわらなくても良いと思えます。誰も幸せにならないでしょうから。
台湾の少数民族の抵抗を描いた名作『セデック・バレ』との比較
日本統治時代の台湾で起きた先住民族の反乱、いわゆる「霧社事件」を描いた『セデック・バレ』という映画があります。ほんとうに出来の良い作品で、アマゾン・プライムで配信されているのでぜひ見ていただきたいのですが、主役級のセデック族の英雄たちは素人の先住民たちを起用していました(ちなみに日本人役は安藤政信さんなど日本の俳優が演じています)。
この映画を引き合いに出し、「『ゴールデン・カムイ』でもアイヌを起用すべきだ」という声がX / Twitter上で目に留まりました。
台湾映画『セデック・バレ』は主役もほとんどが民族の身を引く素人をオーディションで選んで撮影した。主役(首狩族の族長)は牧師さんだよ!もちろん『ゴールデンカムイ』の原作者はそれをよく知っているわけで、意識しないはずはないのになあ。https://t.co/FpDo1cRUjkhttps://t.co/9WM2tZKNPW pic.twitter.com/qr5Zre8LfZ
— ぽとむ@プりンせスチュチュBD再販してくださいキングレコード!CDも期間限定だからみんな早く買おう! (@p0tt0m) 2024年1月20日
しかし問題がありまして。
先住民族といってもセデック族ではなく、セデック族の近縁に当たるタイヤル族たちを起用しているんです。
FF外から失礼します。
— 檀原照和【新著絶賛取材中】 (@yanvalou) 2024年1月21日
でも主人公モーナ・ルダオ役を演じたダーチンは、セデック族ではなく、タイヤル族ですよね……?
(タイヤルとセデックは近縁のエスニックグループだったと記憶してますが)
現実的なキャスティングの限界を感じました。 https://t.co/rAiHkVXep4
まあ、蜂起した人たちはほとんど死んだ話だし、生き残った人たちもさらに虐殺されたり、強制移住させられて病気になったり、戦争に連れて行かれたりなので…。私が行ったときは、川中島のおばあさんに「本物のモーナ・ルダオはもっと背が高くてかっこいい!」と言われました。https://t.co/PDpKH10POj
— ぽとむ@プりンせスチュチュBD再販してくださいキングレコード!CDも期間限定だからみんな早く買おう! (@p0tt0m) 2024年1月21日
体型の話はどうですか?
— 檀原照和【新著絶賛取材中】 (@yanvalou) 2024年1月21日
歴史上の彼らはヒョロヒョロ。
映画はガチムチ。
体型が違いすぎて違和感感じました。
川中島行ったなら、きっと資料館見たでしょう。
先住民起用も結構ですが、考証を大事にしてヒョロっとした役者を揃えるという選択肢もあるのでは? https://t.co/weFQbLDmqj
このヒョロと……
このガチムチのギャップ。
先住の役を先住民にやらせたい。理念として正しいと思うのですが、歴史考証の再現性が疎かになるのはどうでしょうか?
「信長や家康に似てない役者がそうした役を射止めていることもある。問題ない」という意見もあるでしょう。
実際『セデック・バレ』の場合もガチムチの方が絵になりますから、必ずしも歴史考証道理でなくても良いがしてしまいますが……。
皆さんはどう思いますか?
ちなみに僕はこの映画に感動し、霧社事件の現場に行ったり、セデック族の人たちに会いに行ったりしました。
村で話した老人から「娘が九州で暮らしている」と言われたり、片言の日本語を話せる人が結構いたりして、強い印象が残っています。
今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!