メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

早く産んで良かったと思う。「百戦錬磨の私」は学生結婚のおかげだった(1)

ども。檀原(@yanvalou)です。

約10人/組の学生結婚夫婦を取材した話の第2弾を公開します。
(一度お蔵入りさせて、3年ほど寝かせていた原稿になります)

今回の話は、2020年ごろ、noteを中心に輝きを放っていた文筆家の「ちゃこ」ことみくりや佐代子さん。現在はnoteを卒業し、さまざまな媒体で書いているようです。

apartment-home.net

彼女の書くエッセイは「微炭酸系」と呼ばれ、完成度の高い文体から高い支持を集めていました。そんなみくりやさんは学生結婚当事者の一人。学生結婚を取材する上で、話を聞いておきたい一人でした。

一方知り合いのライターから「女性と男性とでは、学生結婚に対する向き合い方、直面する問題が違うのではないか」と言われたこともあり、女性ライターにインタビューを任せたいという思いもありました。そこでみくりやさんの取材はとある女性に任せてみたのです。

予想に反して彼女が書いたものからは、女性ならではの視線のようなものは感じられませんでした。どちらかといえば「学生結婚をしながら夢を勝ち取る方法」という成功の部分にフォーカスを当てたかったようで、男性の僕にも書けそうな切り口だったのです。内容的にも突っ込んで欲しい所が突っ込めていないもどかしさもあり、結局自分で追加取材した上でゼロベースで書き直してしまいました。

以下、僕がリライトしたバージョンです。

第1回をどうぞ。

* * *

 若いお母さんに憧れがあった。彼女の母は若くして結婚したが、兄は彼女と8つ年が離れている。彼女は母親が30歳のときの子供だった。もっと早く産んでくれれば良かったのに。

 友達のお母さんが娘と仲良くプリクラに収まっている姿を横目で見る。自分の母親にはないその若さに感嘆した。私はお母さんに「一緒にプリクラ撮ろう」なんて言えない。

 中学、高校時代は典型的な女子生徒。おしゃれとか、テレビとか、そういうものが好きだった。中学時代から好きになったり、なられたり。だいたい自分から好きになって、自分から別れた。

 漠然と文章を書く人になりたかった。

「文章を書きたいなら、絶対に東京の大学に行ったほうがいいよ」。

 高校3年のとき、担任の先生にそう言われた。

 当時つき合っていた彼氏は、広島の大学に行くという。東京の大学を選んだら、遠距離恋愛になってしまう。将来は彼と結婚をしたかったので、東京への進学は眼中になかった。

 恋愛が理由で選んだ広島大学教育学部日本語コース。だが大学に入学してすぐに彼氏にフラれてしまうのだから、運命は残酷だ。

 みくりや佐代子さん(1988年生まれ)のキャンパスライフは、こんな風にして幕を開けた。

 

恋愛を軸に人生の選択をした

「もう最悪。後悔しています……」。

 そんな気持ちで始まった大学生活。しかし女の子は立ち直りが早い。

 通学の高速バスで仲良くなった友人と、さっそく女2人でルームシェア。実家暮らしから抜け出して蝶のように安楽な生活を送った。その子も結構な恋愛体質で、とにかく暇があれば飲みに出た。カッコイイ男性がいるとキャーキャー言って、今の夫に会うまでは一途さからはほど遠く浮ついていた。

 大学2年の3月からはスナックで働き始めた。「キャストが大学生」が売りの、同年代が多い店だ。

 自由気ままな学生時代のことは彼女自身が著書『あの子は「かわいい」をむしゃむしゃ食べる 〜恋をやめられない私たち〜』 (impress QuickBooks 2020年)のなかで開陳している。そこで繰り広げられている物語を今日は繰り返さない。ただ一つの例外を除いては。

 

bookwalker.jp


 大学3年の夏。スナックに、5、6人連れの常連グループが現れた。その中のひとりに、背が高くて肩幅の広い、おしゃれな男性がいた。妙に印象に残る人だった。

 彼のどこが良いのか、自分でも良く分からない。顔は全然タイプではなかったし口数が少ない人だった。でも直感が、この人だと告げていた。体つきが好みだったし、スーツ姿も様になっていた。一緒に働いていた友人もこの寡黙な客のことが気になるようだった。

 当時佐代子さんは、ゼミで知り合った一つ上の大学院生の彼氏持ちだった。彼氏の存在、そして友人との恋のライバル関係。きな臭い予感があった。だが、そこで止まらないのが佐代子さんだ。このときもまた恋愛を軸に進むべき道を決めた。

 人生初めての追う恋だった。彼の連れから彼の連絡先を訊くのをためらわない。しかし女子大生と火遊びする気のない彼はつれない。そこで彼女は「じゃあ、大学辞める!」と伝えた。

 その辺りから彼の態度が変わり始め、二人だけで会ってくれるようになった。それまでの彼氏は大学院生だったのでいつでも会えた。しかし今度の彼は勤め人だったのでそうはいかない。彼の仕事終わりに合わせてお店を抜け出して会いに行くなど、かなり頑張って成就させた恋となった。

 12月に何度も遊びに出かけ、つきあい始めたのは2010年の1月。初詣から3回目のデートの後で彼女になった。

 一緒に働いていた恋敵の友人は彼女から離れていった。昔から友情より恋愛を優先するので、好かれてばかりの人生ではなかった。しかし何かを失おうとも好きな人の傍にいられるのは幸せだった。

 

若い母親に憧れていたので素直に喜べた

 空気が澄みわたり、突き抜けるような青空の広がる10月。佐代子さんは妊娠していた。

 そんな彼女の事情を見透かしたかのように、講義中の女性教授が言った。

「早く結婚をして、早く子供から手が離れる人生もありですね」。

 それは私のことだ!

 若い母親に憧れていたので素直に喜んだ。一見ちゃらんぽらんなようにも見えても彼女は優秀で就職氷河期にも関わらず、某金融機関への就職が内定していた。でもそれは辞退してしまえば良い。学校の方もあとは卒論を提出するだけだった。

 一刻も早く彼に伝えたい。

 彼の勤める銀行の駐車場で、仕事が終わるのを待った。彼の姿が見えるや否や、事実を告げた。

 当時の彼は入社3年目の26歳。一瞬驚いたが「結婚するか」と言われた。ありのまま受け止めてくれたことが嬉しかった。

彼は冷静な人なので、建設的な話を始めた。これからつわりが始まったら、卒論が書けなくなるかもしれない。だからすぐ結婚していっしょに暮らそう。家事は全部オレがやるよ。だから大学は卒業しよう。結婚したから卒業出来なくてもったいなかったね、と言われないように頑張ろう。

 彼は本当に頼もしかった。

 じつは最初に妊娠を報告した相手は彼ではなく、ルームシェアしていた女友達だった。彼女の反応は「人生終わった」と言わんばかりで、幸せの絶頂にいる佐代子さんをたじろがせた。

 彼女は東京のIT 企業 mixiに行くことが決まっていた。佐代子さんは東京での就職に失敗していたが、その友人はかねてからこう言っていたのだ。

「金融機関なんてすぐ辞めて、受験でもなんでもいいから東京に出てきて、また私と暮らそうよ」。

 金融業なんか絶対楽しくない。ITの仕事しなよ。そんなことを始終言われていた。

「子供なんか出産したら、東京来れんやん」。

 結局彼女は結婚式まで口を聞いてくれなかった。

 いまでも彼女とは連絡を取り合っている。東京に出てからは女性と付き合うようになり、今も女性と暮らしているという。彼女が女性も男性も好きだということは、上京後に知った。

 

父親とラーメン

 妊娠をしてうれしい反面、両親の反応を考えると身がすくむようだった。「産まれたらこっちのもの」という感覚こそあったものの、ファースト・リアクションだけは怖かった。「今すぐ帰ってきなさい!」

 案の定、母親に怒鳴られた。 佐代子さんは実家に飛んで帰った。

 母親は妊娠を父親に伝えていないという。私が言わなければ。心拍数が上がった。

 ちょうどその日は、実家の近くでお祭りが行われていた。その帰り道。佐代子さんは父親とふたり、歩いていた。

「子供ができたよ」

 唐突に切り出す。父親は近くの木を力任せに蹴りつけると、ずんずん歩いて帰ってしまった。家に戻ると父親の姿は消えていた。そのまま飲みに出てしまったようだ。佐代子さんは悶々としたまま一夜を明かした。夫となる人も紹介しないまま、父親を傷つけた。私はいつも順番を守れない。

 翌朝父親と顔を合わせても、何も言えずにいた。父親から声が掛かる。

「ご飯食べに行こう」

 ふたりでラーメンを食べた。

 父親は学歴にこだわる人だった。昨夜ずっと酒を飲みながら考えていたのだろう。涙を浮かべていたのかもしれない。

「到底許せんけど、とりあえず産むなとは言えんけ、命じゃけ。相手の親連れてきて」

 もともととてもやさしい人だった。ほとんど怒られた記憶もない。そんな父親にとって「広島大学に通う娘」は自慢の種だった。だからこそ「卒業できなくなるかもしれない」ということは、ショックだったのである。

 日を置いて彼が両親といっしょに挨拶にやって来た。ご両親は平謝り。佐代子さんは既にご両親とは面識があり可愛がってもらっていた。だが自分の親たちには付き合っていることも伝えていなかった。

 夫になる人は銀行員で親御さんもきちんとした人だったので、落ち着くべき所に落ち着くような形になった。

 

学生時代には学生結婚で嫌な思いをしたことはあまりありません

 その後はするするとことが進んだ。妊娠が発覚したのが10月。11月に入籍、12月に結婚式と息つく間もなく環境が変わっていった。

 挙式は60人くらいの規模で、彼女は友人を、彼は銀行の支店長や同僚たちを招待した。女子大生と結婚したということで、お堅い仕事に就いている彼の査定に響くかとも思ったが杞憂だった。結婚前から夫の職場の飲み会に呼ばれていたが、上司が好人物で笑いながら「本当にこいつでいいん?」などと茶目っ気をみせていた。

 年が改まってすぐ一緒に暮らし始めた。彼女はひたすら卒論に没頭した。妊婦だったがアクティブに動き回った。徹夜もしたし、研究室に資料を取りに行きたくて深夜の高速を飛ばしたこともあった。そんな彼女に夫となった彼はお茶を入れてくれた。夫は約束通り家事をしてくれたので、むしろ普通の1人暮らしの学生よりも楽だと思えた。彼女にとってそこが学生結婚のメリットだった。

 なによりも大きかったのはつわりがなかったことで、「この頃の私は本当に絶好調でした。なんなら『妊娠してるのに卒論を書けた自分はすごい』くらいに思ってましたね」と述懐する。

 ただし両親のわだかまりは完全に解けたわけではなく、微妙な形で尾を引いていた。式を挙げたり新居に引っ越ししたりするとき、親からの金銭的な援助はほぼなかった。家電を何点か買ってもらったくらいだ。妊娠していたらおちおちアルバイトも出来ない。もし学生同士の結婚だったら、金銭的に行き詰まってしまっただろう。

 幸い彼は社会人だった。家賃や光熱費などの生活費は彼が負担し、食費だけは彼女が自分の貯金(スナックで働いていたので多少蓄えがあった)で賄った。しかしそれでも足りない分は、夫の財形貯蓄を崩すなどして捻出した。

 新居は1LDK だったが、昼間は彼がいなかったので窮屈には感じなかった。そこは文字通り小さな「愛の巣」だった。

 結婚したので姓が変わった。だが学生生活の残り期間は短い。学生証の名前欄を書き換えることもないまま、卒業へとなだれ込んでいった。 

〈思い返すと学生時代には学生結婚で嫌な思いをしたことはあまりありません。
 あれこれ言ってる人もいたことはいました。「あの娘、妊娠したらしいよ」みたいな。でも耳には入りましたけど、その分自分が幸せになって選択が正しかったと証明しなくちゃ、と思いました。ちゃんと卒論を仕上げようとか、責任もって卒業しようとか。そうでないと自分のしたことが間違いだったと決めつけられてしまうから〉


  先生の態度も好意的だった。仲の良い先生には「元彼の先輩と結婚していたら100万円もらえたのに。どうしてサラリーマンにしたの?」と冗談めかして言われた。彼女の通っていた大学には、当時「学生同士で結婚すると大学から助成金が給付される」という制度があったらしい。

 友人たちも3月に上京したばかりなのに、6月の出産には広島に戻って子供の顔を見に来てくれた。

〈でも真っ直ぐで揺るぎない決心を持っていたのは22歳までの話ですけどね。なにもかも順調だったので社会を舐めくさっていた部分があったんです」〉

 

*ふつうは「舐めていた」と書くと思うんですが、ちゃこさんの著作を見たら「舐めくさっていた」が何度か出てきたので、その表記に合わせました。

 

大企業ならではの四面四角な制度に救われた


 佐代子さんは、就職氷河期にも関わらず見事に就職先を決めた優秀な生徒だった。しかし内定後に妊娠が発覚したいま、働くことは現実的とは言えないと考えた。彼女は、就職先に自ら辞退を申し出る。

 ここで話が終わっていたら、今の佐代子さんはいない。この年は就職氷河期ゆえに内定者が少なかった。それが幸いした。

「良い意味でも悪い意味でもマニュアルがキチっとした会社だったので、『こういう場合は内定者を切っちゃいけない』という基準がたくさんあるみたいなんですよね。だから規則上、私のような者にもセーフティネットを適用しなきゃいけなかったみたいなんです」。

 そのため 2011年4月の就職後、6月初旬までは営業ノルマや残業などを免除してもらい、そのまま育児休業に入った。そして翌年4月から1つ下の職員たちと新卒研修を受ける形で、育休復帰を果たした。

「本当だったら採らないよ」と入社してからかなりきつく言われたそうだが、とにかく就職できたのはラッキーだった。

 学生結婚当事者はしばしば就職の壁に直面する。男子学生は会社側に子供がいる旨を伝えても「それなら仕事を頑張んないといけないな」とプラスの材料として扱われることが多い。しかし女性は異なる現実を突きつけられる場合が少なくない。「転勤は無理」「子供がいてはキャリアアップはしにくい」という雰囲気で敬遠されてしまうのだ。

 取材中で出会った学生ママはこんな風に語っていた。

〈就職できなかったらきついだろうな。旦那さんがはつらつとしてるのを見てイライラしてそう。同じ大学出たのにあっちはバリバリ仕事して、飲み会とか行っちゃったりして〉

 佐代子さんは、就活とライフステージの狭間に陥っていたが、大企業ならではの四面四角な制度に救われた。

 かなりイレギュラーな形にはなるが、その後のキャリアを継続できるように会社は配慮してくれた。今度はほかの同僚たち同様、窓口に立って働いた。子供は4月入園の形で保育園に預けた。

 しかし育休復帰後の日々は、佐代子さんの想像とは違うものだった。入社からの数年間のことはもう思い出したくない。それほど風当たりがきつかったのだ。

* * *

第2回につづきます。

ご期待下さい。