メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

コロナ禍で学生結婚が急増? 自粛がもたらした思わぬ副産物と途切れることのない学生結婚の歴史を振り返る

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ども。檀原(@yanvalou)です。

ブログを更新するのは久しぶりです。ここ1年ほど学生結婚について調べていました。

だいぶ色々なことが見えて来ましたので、暫定的に発表したいと思います。

 

私の娘には戸籍はありません。その理由は……

「女性の婚姻は16歳にならないと認められていません。だから私の娘は戸籍上存在していないんです」。

 都内・足立区の団地に住む中学生の言葉である。彼女の「夫」は17歳。軟式野球とオートバイが好きな高校生だ。妊娠に気付いたとき、「妻」である彼女はまだ14歳だった。

 2022年(つまり来年)4月から改正民法が施行され、男女とも18歳にならないと結婚が認められなくなる。しかし現実の問題として、中高生で妊娠してしまう女性たちが一定数存在している。彼女たちの子供はどうなっていくのだろう?

 ここに2019年6月12日に行われた日本記者クラブ記者懇談会で発表された14歳未満の出生数を表した表がある。作成者は日本産婦人科医会常務理事の足立知子氏である。

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出典:瀧澤透、浜中のり子、宮澤君子「16~18歳の妊娠・出産・人工妊娠中絶の検討―統計資料を用いた都道府県の比較―」(『学校保健研究』60号 2018年)

 

 この表によると、14歳以下の出生数は9件(1975年)、23件(1985年)、37件(1995年)、42件(2005年)、51件(2010年)、46件(2016年)、37件(2017年)である。

 これが15〜19歳になると、15,990件(1975年)、17,854件(1985年)、16,075件(1995年)、16,531件(2005年)、13,495件(2010年)、11,049件(2016年)、9,861件(2017年)と爆発的な数字になる。(*註1)

 近年中高生に相当する年齢の出産は減少傾向にあった。しかしコロナ禍において、部活動の休止や自粛の機運に流され、高校生の妊娠事例が急増しているという(*註2)。想定外の妊娠の結果、行き着く先は大きく三つに大別される。

1)中絶
2)出産して施設に預ける
3)結婚して出産する
である。

 多くの場合、議論の俎上にのぼるのは非嫡子(いわゆる私生児)やシングルマザーである。十代の結婚、特に学生結婚の実情を掘り下げた議論は寡聞にして知らない。

 そうなのだ。学生結婚はその場限りの扇情的な物語として消費されてきた。公的機関や研究組織で統計さえ取られたことがない。だから学生結婚について語る際には、数字を上げることも出来ない。

 1970(昭和45)年ごろの週刊誌には、中学生妻や高校生妻のルポルタージュがさかんに掲載されていた。

 

  • 「聞いて! これが”おさな妻” 結婚の現実です!17才で二次の母、そして離婚」(「ヤングレディ」1970年12月28日号)
  • 「おさな妻・賀美和歌子 14歳で中学生妻、21歳で3児の母(「女性セブン」1971年3月10日号)
  • 「私は高校3年生のおさな妻 東京・豊島区の私立高校にかよう福島仁子さん(18才)」(「女性セブン」1972年9月20日号)
  • 「中学生夫婦 両親の反対を押し切り同棲するまで」(「女性自身」1973年9月8日号)

 

 上げればキリがない。これは1970年にテレビドラマ『おさな妻』が放映され影響だ。同作品は富島健夫の小説を映像化したもので主人公は女子高生。アルバイト先の保育園で母のない女児と仲良くなり、男やもめの父親と結婚するという筋立てである。全50話の長編で、1970年と80年に都合2回映画化もされるという人気ドラマだった。

 ダメ押しは『金八先生』である。3年B組金八先生』の第1シリーズ(1979年放送)のメインテーマは、「15歳の母」杉田かおる演じる中学3年生の女子生徒が妊娠・出産するという、ショッキングなエピソードだった。

 脚本を書いた小山内美江子は、中学校を舞台にしたドラマを作るに当たって取材を重ねるなかで、中学生の妊娠問題は決して珍しい話ではないことを知った。そこでセンセーショナリズムに振るわけでも、美談にして泣かせるわけでもなく、真摯でリアルな物語を書くつもりで中学生の妊娠を書き上げたのだという。

 つまり実際に起きているにも関わらず見過ごされてきた現実を、写実して見せたのだ。40年も前のドラマなので、当然非難の声は大きかった。ゴールデンタイムの放送なので当然である。番組スタッフはその場しのぎをしなかった。後日談が繰り返し語られたのだ。

 第2シリーズ終了後に放送されたスペシャル「贈る言葉」では、父親である保が15歳にして父親になるという決断を下した後、揺れ動く姿を描いている。さらに第4シリーズでは、金八が受け持つクラスの生徒として、保の子供・宮沢歩(橋本光成)が登場する。歩は「15歳の母が産んだ子供」ということで、いじめの対象になる。「なんで先生はボクを産ませたんですか!?」と問い詰められた金八は、何も言えなくなってしまう。

 


「3年B組金八先生」25周年記念メモリアル (カドカワムック (No.202))

 

 童謡「赤とんぼ」(三木露風・作詞、山田耕筰・作曲)の三番の歌詞は、以下のようである。

 

〽十五で、ねえやは嫁に行き、お里のたよりも絶えはてた。

 

 この歌が発表された1921(大正10)年当時は、15歳で嫁入りするのが普通だったのだろう。

 前述の通り、世の中には法的に地位が不安定な中学生の母たちがいる。高校生、そして大学生の母も含めれば、その数はどれほどになるか見当もつかない。つまり「赤とんぼ」の世界は、必ずしも遠い過去の世界ではない。

 

 学生結婚増加の直接原因は進駐軍による統治

 歴史上、学生結婚がブームになった時期が2回ある。

 

最初のブームは1956年〜58年前後。

つぎは1968年〜70年初頭だ。

 

 第1次ブームは大学生が中心だった。きっかけはアメリカ軍による日本占領である。日本が戦争に負けると進駐軍がやって来て、さまざまな変革を実行した。財閥解体、農地解放、軍隊の解散、天皇人間宣言、新憲法の施行……。そうした改革のひとつが、男女共学の実施だった。共学のモデル校として男子校と女子校を合併した都立一橋高校(千代田区)が創立したのは、1950(昭和25)年である。

 男女共学は男女平等が前提となっている。しかし戦前の学校教育は教育勅語が根拠であり、男女不平等が社会の根幹となっていた。それがある日突然、刷新されたのである。

 今日的視点からすると、すばらしいことに思える。しかし現場の混乱は容易に収まらなかった。

 日本は変化を嫌う社会だ。急速な変化は大きな反発を招き、社会を不安定にする。だから日本社会の変化は実にゆっくりしている。「和を以って尊しとなす」社会は、各方面間の調整をしながら時代に合わせて徐々に姿を変えていく。

 しかしアメリカ人はことを性急に進めたがる。それは社会を進歩的にするが、「忘れられた人たち」を産み出し、社会を分断する(トランプ時代の「ラストベルト」をみれば、それが良く分かる)。

 10年以上にわたって、マスメディアは繰り返し男女共学の是非を論じ立てた。しかし表だった反対は憚られる空気があった。なぜなら共学化は支配者である進駐軍からの命令で拒否権はなかったし、異議を唱えれば「再軍備賛成派か?」「教育勅語や修身を復活させたいのか?」と国民から非難されるからだ。したがって後戻りは許されなかった。

 日本の歴史上ほとんど初めて、男女が机を並べて勉強するという制度が取り入れられた。いまや当たり前すぎるため、私たちは男女共学に違和感を感じることはない。しかし「男女七歳にして席を同じうせず」という儒教教育で育てられた年配の日本人にとって、男女共学というのは異常事態だった。

 戦前の日本では高等学校への女性の進学率が著しく低かった。

「女に学問はいらない」。

 この世論を反映するかのように、女性の進学率は低く抑えられていた。しかしアメリカの「民主的」な占領政策によって、女性にも学問の門戸が大きく開かれた。女性参政権などと同じ男女同権の一環として行われたのである。

 いくら「民主的」で「より文明的」だと説得されても教育勅語に馴染んでいた「真面目な」国民……教師を筆頭に、その多くは高学歴で社会的な地位も高かったであろう……ほど戸惑ったに違いないのである。

 それまで「目上」の存在だった男子生徒と机を並べる女子生徒たちの動揺と高揚感……。もちろん若い男子たちも動揺と高揚感を感じたに違いない。しかしその時感じたことが、男女間でどこまで同じだったのかは定かではない。メディアには「男女交際」「不純異性交遊」「学力低下」の文字が躍った。その結果が、それまで表だって存在しなかった学生結婚夫婦の出現である。

 戦争一色の茶色い世の中の終了。学業を中断し学徒出陣した学生たちの復員。男女同権。そして戦後のベビーブーム。

 新しい憲法は結婚を「両性の合意」に基づくものとし、旧来の「家同士の結びつき」からの解放を保証した。機は熟した。新しい時代の到来である。こうして戦後の民主主義と男女共学を背に、1955(昭和30)年頃から学生結婚が流行した。1957年に国際基督教大学のキャンパス内に日本初の学生夫婦寮「シブレーハウス(SIBLEY HOUSE)」が建てられていることからも、一過性のブームで終わらないと考えられていたことが窺える。

 この時期を代表するのが、1955年に結婚した石原慎太郎(1932年生まれ)と1957年に結婚した小田実(1932年生まれ)である。つまり第1次ブームの主役は1930〜1935(昭和5〜10)年頃に生まれた世代だった。

 ここで注意しておきたいのは、男女共学になった途端、学生結婚が身近になったわけではないということである。多くの場合、学生結婚は恋愛の結果生じる。順番として、まず恋愛結婚の母数自体が増えなければならない。日本で恋愛結婚が定着したのはじつはバブル景気の頃で、1950年代当時は見合い結婚が主流だった。「恋愛結婚」でなおかつ「学生のうちに結婚」というケースは、メディアが大きく報じていたとはいえ、実数としてはたかが知れていた。つまり一部の先鋭的で特別な層が実践していたにすぎない。

 世の中のトレンドというものは得てしてそういうものである。フーテンも、学生活動家も、暴走族も、コギャルも、チーマーも存在感は大きかったが、実際になっていたものは一握りだ。

 この当時の学生夫婦は「出来ちゃった結婚」とは無縁であり、生活に余裕があった。まだまだ大学進学率は低く10%前後だった(東京オリンピックの開かれた1964年でさえ12%)。つまり学生は依然としてエリートだった。そして学生夫婦になっても、親の金で学業や生活が成り立つ身分だった。

 この当時の雑誌記事を読むと「学生妻」「学生ママ」という言葉の使い分けに気がつく。在学中に結婚しても子供のいない女性は「学生妻」、子供がいれば「学生ママ」と呼ばれた。つまり両者の間には、歴然とした線引きがなされていたのである。

 一方夫の方は、生活に潤いを与える必要性からアルバイトをすることもあったが、大抵勉強を続けて大学院に進学するか、親の金で生計を立てながら一端の社会人になった。

 

 「おさな妻」と「ヤンママ」、メディアが先導した学生結婚ブーム

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  第1次ブームの頃はまだ「学生結婚」という言葉は定着していなかったのか、メディアでは「学生女房」「学生妻」「学生夫婦」などの言い方が多い。雑誌の見出しに初めて「学生結婚」という表現が登場したのは、『若い女性』1957年2月号、次が『サンデー毎日』の同年4月28日号である。おそらく「学生結婚」という言葉は、英語の”Student Maridge”をこの時期に直訳したものではないだろうか。

 やがて1968年頃から70年代初頭に掛けて「おさな妻」という言葉が雑誌に頻繁に登場するようになり、第2次ブームが到来する。前述の通り、このブームはテレビ番組がきっかけでメディアが競って中高生夫婦に焦点を定めて書き立てた。この頃の主役は中高生と、彼らよりやや年かさで大学に進学していたベビーブーマーたちだった。

 


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 時代は学生運動まっただ中である。1969年には東大安田講堂事件、71年から72年には連合赤軍の山岳ベース事件が起きている。火炎瓶やゲバ棒が振りかざされる中で、既存の価値観は揺らいでいた。フリーセックスが喧伝された時代でもある。「女性の処女性」や「婚前交渉」など、結婚や社会における家族規範が問われるのも自然な流れだった。

 若者たちの運動に力があったのは、単純にこの世代の爆発的な人口が背景だった。進学率自体は戦前とさほど変わらない10%程度だったが、母数となる若者の数がちがう。彼らの多くは地方から上京し、安い下宿に潜り込んでいた。学生運動の時代は下宿の時代でもある。それまでは大家族で暮らすのが日本の住宅事情だった。しかし若者たちは狭くとも自分だけの城を手に入れたのだ。学生結婚が増えていく様は容易に想像出来る。

 しかし大多数の学生の心を捉えたのは、結婚よりも同棲だったようだ。学生結婚ブームは長くはつづかず、1972年頃から「同棲ブーム」が起こる。若者は責任の伴う結婚よりも、自由な同棲に走った。評論家の四方田犬彦はこの当時のことを「若いカップルの同棲がいたるところで目に付くことになった」(『歳月の鉛』工作舎 2009年)と書いている。

 しかし恋愛が熟して同棲生活に入っても、その先は行き止まりだった。当時の世情を描き出した漫画『同棲時代』(上村一夫)では、主人公は失恋しヒロインは人妻に収まる。フォークソングの「神田川」(かぐや姫)も実らずに終わった恋の歌である。

 


同棲時代 (10)

 

 学生結婚や同棲の舞台となった下宿は、70年代前半をピークに下降期に入る。70年代前半は転換期だったのだ。『同棲時代』や「神田川」が哀愁を帯びながらひろく受け入れられたのは、社会全体が 大きくその姿を変え始めたことが了承されていたからだ。

 こうして「学生結婚」や「同棲」は影を潜め、トレンドは共同生活をしない恋愛へ移っていく。メディアからも「学生結婚」や「同棲」という単語の露出回数は激減する。実際「非親族世帯(世帯主の親族がその世帯内にいないカップル)」数は1970年代後半から1980年にかけて大きく落ち込んでいる。

 同棲ブームの後を引き継いだのは、金銭的に余裕ができる実家暮らしの礼讃である。1980年代に入って、恋愛結婚が見合い結婚の数を上回った。異性を引きつけるために、男性は車を乗り回し、襟を立てたポロシャツを着て、お洒落なデートプランを駆使しなければならない。貧乏同棲の魅力は遠い過去となった。日本はバブルに浮かれ、我を忘れていく。

乱暴にいってしまえば「アンアン」「ノンノ」「ホットドッグプレス」が学生結婚や同棲を沈静化させたのだ。

 そんな世情にありながら、貧困と結びつけて語られる動きが静かに始まっていた。十代の少女が若くして妊娠・出産し、子育てをする「ヤンママ」である。このブームは1980年代のツッパリ(不良)ブームの影響で、不良少年・少女がさかんに不純な交際をした結果だった。人気漫画『ビーバップ・ハイスクール』(1983〜2003年)、『ホットロード』(1986〜87年)、雑誌『ティーンズロード』(1989年創刊)を始め、不良や暴走族カルチャーを扱ったさまざまな作品が若者の心を捉えた。

 兆候が現れたのは、1984年頃だったとされる。最初は中学校・高等学校在学中あるいは卒業直後に妊娠・出産するケースが相次いだことから始まった。当然「産んで終わり」とはならず、従来の「母親」のイメージからはほど遠い、不良や遊び人の外見のまま子育てする若いママたちを見かけることが多くなった。彼女らのこと「ヤンママ」と命名したのは、1993年12月に笠倉出版社から創刊された雑誌『ヤンママコミック』の初代編集長・田村恵子だった。

 ヤンママは社会現象となり、早速94年秋に斉藤由貴主演のテレビドラマ『福井さんちの遺産相続』がヤンママを主人公にして放送され、同年の「新語・流行語トップテン」のひとつに「ヤンママ」が選ばれた。

 ヤンママブームは、次なるブームを牽引した。「できちゃった婚」ブームである。不良たちの結婚は多くの場合、計画外の妊娠を契機にしている。「結婚には金がかかる、だから結婚出来ない。ましてや学生のうちに結婚など」という考え方が社会通念として存在しているが、先に子供が出来てしまえば、この価値観は反古にされる。それまで学生結婚と言えば、富裕層の特権だった。60年代までの学生夫婦は結婚しても卒業するまでは子供を作らなかった(仮につくっても、お手伝いさんに子供を任せられるだけの経済的な余裕があった)。しかしヤンママブームがゲームチェンジャーとなった。

できちゃった婚」は二つの段階を経てブームになった。

 まず芸能界の早婚ブームが世を席巻した。本木雅弘の妻・内田也哉子(当時19歳 1995年)、安室奈美恵(当時20歳 97年)、雛形あきこ(当時20歳 98年)、宇多田ヒカル(当時19歳 02年)。これが現在の早婚ブームの先駆けである。

 この結婚のうち、安室奈美恵とTRFのダンサーSAMの結婚は安室の妊娠による「できちゃった婚」だった。カリスマ・シンガーである「安室ちゃん」の影響力は絶大だった。さらに木村拓哉工藤静香の出来婚が2000年につづく。翌年にはドラマ『できちゃった結婚』が放映され、さらに翌年には『現代用語の基礎知識』に「出来ちゃった結婚」が掲載されている。「子どもをつくる(産む)のは結婚してから」という固定観念の強い日本において、「出来ちゃった結婚」の一般化は衝撃的であった。

 

 

まとめ:コロナベイビーズと法律改正の奇縁は凶と出るか、吉と出るか

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 簡単にまとめてみよう。学生結婚は文明開化とともに始まった。しかしそれはエリート階層のなかだけで完結する罪のないものだった。

 戦後になると学生の数が増え、働く学生夫婦も出現する。それでもまだまだ余裕があって、第一次学生結婚ブームの頃は、お手伝いさんに家事や育児を任せて通学する妻もいた。

 やがてベビーブーマーが大学生になる1970年頃(第二次ブーム)には、四畳半で貧乏所帯を構える学生夫婦が世間の目耳を集めるようになった。

 平成に入るとヤンママブームを経て「できちゃった婚」が一般化。この波は学生結婚にも波及し、子供ができたから結婚する学生が続出した。私たちが連想する「子供ができちゃったから結婚した」という学生夫婦の出現は、じつはここ二十数年のことなのである。

 その一方、生まれてきた我が子の存在に絶望し子殺しを行ったり、虐待を行う親の報道に私たちは接している。子供の存在を理由に就職活動で苦戦を強いられる学生ママの存在も、動かしがたい事実として存在する。

 2022年4月から民法が改正され、男女とも18歳になれば結婚出来る。今までと大きく異なるのは、成人年齢が18歳に引き下げられることで親の承認を得ていなくても、十代で結婚出来るという点にある。女性の結婚年齢が18歳に引き揚げられることで、無戸籍の子供が増える懸念がある。非嫡子やシングルマザーの増加も容易に予想出来る。十代の妊娠や学生結婚が社会問題になる可能性は小さくない。

 人口減少が日本の将来に大きな影を落として久しい。しかし学生や未成年者による若年結婚が歓迎すべき事柄だとは思えない。法律改正とコロナ禍が出会ったことで、私たちの社会は思わぬ方向に舵を切ろうとしているのかもしれない。

 


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*註1 2010年の16〜18歳の出生率は全国平均は千人当たり3.5人、2015年のそれは全国平均が3.3人である(典拠:瀧澤透、浜中のり子、宮澤君子「16~18歳の妊娠・出産・人工妊娠中絶の検討―統計資料を用いた都道府県の比較―」(『学校保健研究』60号 2018年))

 国勢調査によると、2010年度の15〜18歳の総人口は487万9千人、2015年の15〜18歳の総人口は484万1千人である。つまり2010年には約1万7千件、2015年には約1万6千件の出産が15〜18歳によって行われた計算になる。足立氏の数字とやや開きがあるが、中高生に相当する年齢の出産が概ね年間1万数千件存在するということは間違いないと言えるだろう。

 

*註2 日本財団によると、いま日本では、妊娠をきっかけに社会の中で孤立してしまう女性が、若年層で目立っている。特に最近では、新型コロナウイルスによる休校などの影響で、10代女性からの妊娠相談が急増しているという。(https://www.nippon-foundation.or.jp/journal/2020/51764)。

 同様のニュースが名古屋テレビでも報道された。(10代からのSOS “コロナ禍”で増える“妊娠相談” 小学4年生の相談も https://www.nagoyatv.com/news/?id=001889

 

久々に本気出しました!

今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!