学生結婚をした文筆家のみくりや佐代子さんの話の第2回です。
第1回はこちらからどうぞ。
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社会に出てから、どれだけきつく当たられるか、まったく予測していませんでした
学生結婚した新卒者をそのまま受け入れてくれた会社なので、てっきり寛容な職場だと思っていた。しかし支社と現場(支店)の雰囲気は全く違った。支社の担当者が電話で「うちは福利厚生が整っているから心配しなくて良いんだよ」と言ってくれたので、すっかり安心していた。だが現場の現実は落差があった。
この金融機関には1支店に1人新人が入る慣例がある。小規模支店と大規模支店があるが、彼女が入社した2011年当時は新人は小規模支店に入るのが習わしだった。大規模支店は原則として新人を受け入れない。若手は小規模支店で育て、成績優秀者だけが大規模支店に配属されたのだった。
ところが小規模支店には職員が4、5名しかいない。佐代子さんが小規模支店に配属されると、子供のことで早退したり休んだりする怖れがある。すると彼女が抜けた穴が大きな負担になるため、異例だが最初から大規模支店に配属された。
このとき小規模支店に配属されていたら、大分違う展開になっただろう。小規模支店はアットホームに迎えてくれる傾向があるからだ。しかし彼女が行った先は「6年ぶりに新人が来た」という大規模支店だった。「6年振りの新入社員」という位だから、年が近い職員はいない。一番近いのは35歳のお姉さん。それからお局さんと彼女が働く、という感じだった。
〈女子休憩室で質問されて答えるじゃないですか。そしたら、みんなが目配せするんですね。
旦那さん何の仕事しとるん?
金融ですって?
えー!
銀行名何?
「どこどこ銀行です」って答えたら、えーとか言って目で会話してるのが分かるというか。本当にね〉
使えない子持ちの新人が大規模支店に来るなんて。しかもちょくちょく休むし。新人は小規模支店に行けばいいのに。そんな空気があった。
大規模支店には結婚している女性社員があまりおらず、みんなバリバリ仕事をしてたことも彼女を孤立させたようだ。
学生の時は「赤ちゃん楽しいー! 結婚最高!」という感じだった。だが社会に出た途端、色物扱いだ。
「あの子よ、あの子。子持ちの新人」。
男性陣もきつかった。子供のことで遅刻や欠勤すると、毎回職員1人1人に謝りに行かなければならない。男性職員には手ぶらで、女性職員にはお茶菓子を持って行き、休んだ理由を伝えて廻る。彼女以外のお母さんたちもみんなやっていたことなので避けて通れない。やさしい言葉を掛けてくれる人もいたが「そんなんで、やってけるん?」と言われることもある。
ルームシェアしていた女友達の言葉が脳内リフレインした。
「金融業で働いても楽しくないよ」
休憩室で話を振ってもらったときに、コミュニケーションを取ろうとリップ・サービスしすぎたと思う。訊かれたことすべてに答えていた。学生結婚は噂になりやすい。それを明るく話せる話題として差し出したのは失敗だったと後悔している。訊かれるがままにプライベートなこともベラベラ話してしまった。人によっては、それを売りにしてると誤解したかもしれない。職場ではプライベートな話はほどほどにしておくべきだった。
「お恥ずかしいんですけど、学生の時にちょっと結婚しまして。結果的に良かったんですけどね……」 くらいのテンションの方が良かったかもしれない。
自分から「恥ずかしいことなんですけど」と言ったら、相手が「そんな恥ずかしいことじゃないよ」と返してくれただろう。そんな風に人間関係を構築していれば良かったと思う。
そんななか一人だけ、職場で味方になってくれる男性上司がいた。二回り以上年上で、役職は課長代理。その人だけは自分のことを理解してくれたので嬉しかった。彼女は課長代理の前では涙をみせ何でも相談した。そうして心の均衡を保っていたのだ。
やがて課長代理は、仕事が終わると駅前で彼女を待つようになった。
「今日は大丈夫だった? 心配でちょっと待っとったんよ」。
徐々にそれが別の意味で迷惑になってきた。執拗な誘いが続いた。断り切れずに対応していると「親しすぎる」と誤解が広まった。職場での立場はさらに悪くなった。
1人目の出産でちょっと心が離れました
心身共に削られていく日々だった。
出産したとき彼女は23歳。赤ん坊の小さな手を見つめながら、母としての責任を強く感じていた。我が子は夜泣きがひどく、彼女は満足に眠れなかった。夫は仕事で疲れた身体で手伝ってくれた。しかし女性である彼女の立場からすると、それはとても育児に参加しているとは言えないレベルだった。夫は子供をかわいがってくれるが、多忙を言い訳にしてオムツ替えを積極的にやってくれない。保育園への送りや小児科へも連れて行ってくれたことがない。けれど本人はしっかり育児に関わっているつもりなのだろう。
私はろくろく寝ていないのに、この人、よく眠れるな。
そんな風に感じてすこし心が離れた。だが26歳の男性というのは、そんなものである。
毎日がひとりぼっちのように思えてならない。学生結婚の厳しさを卒業後に思い知るなんて、想像していなかった。卒業したときは「どれだけ幸せになったか、みんなに見てもらおう」という前向きな気持ちでいっぱいだった。
Facebook のなかで友人たちは、みんな海外旅行に出かけている。一方私は苦手な家事に振り回されている。同じ世代のママ友もいない。ひとりぼっちだ。
彼女はインターネットの世界に溺れていった。同年代で出産してる人はいないだろうか?
出産や育児のお悩み掲示板が心のオアシスになった。よく書き込みをした。
〈同年代はみんな東京でキラキラ楽しそうで、挫けそうです〉
すぐに優しいコメントで溢れかえった。文字通り、彼女はネットに支えられた。夫から、支えになる言葉さえもらっていなかったのだ。
日中は1LDK の狭い部屋で我が子と二人きりだった。実家が近かったから、子供の体調が悪かったときなどは預けることもできた。しかし親の前で弱音を吐けば「だから結婚が早すぎるって言ったでしょ」と叱られるのが目に見えていた。弱い自分を見せられる場所はあまりにも少なかった。そんな日々を10ヶ月以上過ごした後に、彼女は職場に「新人」として復帰していたのである。
「百戦錬磨の私」は学生結婚のおかげだった
育児休暇は夫から心が離れていった日々でもあった。しかし職場での居場所のなさが、逆に彼女と夫の距離を近づけた。
社会人2年目、3年目の肩身が狭まかった時期、夫は根気よく話を聞いてくれた。それまで彼女は夫を愛してはいたものの、あまり尊敬している風ではなかった。しかし自分自身が社会に出たら夫は社会人として先輩である。出会った頃は「私の彼氏はサラリーマン」という感じだったのが、頼れる存在として映った。同じ業種だったため、話が合うという点も大きかった。
彼女は2014年の7月に2人目を出産している。26歳になっていた。彼女の友人たちも段々結婚し始めていて、同じ時期に子供が出来た娘もいた。
友人とタイミングが重なると、こんなに安心するなんて。視界が明るくなった。
育休を終えると配置換えがあった。「検査係」という事務職から「窓口係」という営業職に転換された。外回りする渉外社員の戻りを待たなければならないため、事務は残業が多かった。窓口なら残業がない、という上の配慮によるものだった。
この頃彼女の中でなにかが変わったのだろうか。明くる年、営業で新人賞を獲得した。職場での佐代子さんの評価が変わっていった。
「学生結婚したから」「子供がおるけ」そんな理由で、仕事を辞めたくなかった。負けん気が強いのだ。土日に契約してくれる顧客がいれば、愛車に子供を乗せた。背中に幼子をおぶりながら契約書を差し出す日もあった。母は強し。そうすることでマイナス評価をご破産にした。勝ち続けなければ私は終わる。顧客を一件獲るごとに足元のぬかるみが乾いていく。
成果主義の職場だったため、周囲も佐代子さんを認めてくれるようになった。結果をのこせば、何も言われない。いつの間にか職場に居場所が出来ていた。「子供いるのにすごいね」と言われるのがうれしかった。「営業百戦錬磨の私」は学生結婚のおかげだった。
私はもうそろそろ私として満たされてもいい頃だと思う
佐代子さんのいた金融機関には営業成績順で厳格なカースト制度が存在していた。成績さえ上げれば文句は言われない。家庭を犠牲にして営業数字をあげる者が続出した。段々感覚が麻痺して疲れ果ててしまった。
20代後半を仕事に捧げたことを、少し後悔していた。もう充分自分の正しさを積み上げて証明した。私はそろそろ私として満たされてもいい頃だと思う。
2019年1月頃からインターネット上のメディアプラットフォーム「note(https://note.com/)」でエッセイを綴り始めた。それまでは「子持ちじゃ転職は無理」と思い込んでいたが、思い切って8月に退職。文章を書く仕事に就こうと決め、見事広告代理店に転職を決めた。彼女の文体は、ささやかな刺(とげ)と技巧を凝らした修辞にあふれ「微炭酸系」と称される。あっという間に大勢のファンを獲得するや著作を2冊出し、いまはエッセイストと二足のわらじである。
〈年収は金融業界時代の半分以下なんですけど、自分らしさが違うと感じます。20代の私は別人でした。いまは学生時代の自分に近づいた気がしますね〉
母になってもいづれ自分の時間は戻ってくる。しかし手をこまねいていたら、母や妻ではない自分は持てない。
母以外の自分になれる道は、どこにでもある。例えば料理が得意だったら、Instagramに料理の写真を上げ続けるだけでも構わない。そういう時間を大切にしていくことで、なりたい自分に近づいていく。
いま彼女の周囲では逆転現象が起きているという。20代後半で出産した友人たちの SNS を眺めると鬱っぽくみえるのだそうだ。しんどい時期はみんな公平に廻ってくる。ライフステージの時期が前後しただけなのだ。5年早く産んだ彼女はささやかな自由を味わっている。
9歳になった長男は、もう一人の人として会話ができる。頼んだらお風呂も洗ってくれるし、妹も可愛がってくれる。そんな子供の成長ぶりを見るのがなにより幸せだ。早く産んで良かったと思う。
〈ちゃんとできているだろうか。丁寧に食事を作ること。ワイシャツにアイロンをかけること。おはようとおかえりを欠かさないこと。
そうやってこれからもささやかに暮らしたい。週末にはお揃いのスニーカーを履いて、子供たちの鉄棒の練習に出かけよう〉
(みくりや佐代子・著『あの子は「かわいい」をむしゃむしゃ食べる』より)
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みくりやさんの物語は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!