メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

同年代のホームレスに身の上話をきいた結果……!(その1)

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ども。檀原(@yanvalou)です。

若者の貧困や派遣切りの報道が耳慣れたものになり、ホームレスへの転落は「誰にでもありうること」だとメディアが書き立てるようになりました。実際のところ、どうなのでしょうか?

いままでこのブログの「未公開取材記事」「WeWrite(100人取材)」カテゴリーでは自宅教室の先生方や個人商店の店主さんたちを取り上げてきました。今回はガラッと趣向を変えて、地元横浜で見かける『ビッグイシュー』の販売員さんに話を聞いてみました。

個人的に『ビッグイシュー』の販売員で印象に残っている方が二人います。一人は数年前まで横浜駅東口の郵便局前で声を張り上げながら必死で売り子をしていた40過ぎと思しき男性。いつも黄色っぽい服を着て目立っていました。人伝にこの方は「卒業」したと聞いています。

もう一人が今回登場していたく方です。この方は若葉町の「Art Lab Ova」関連のイベントで出張販売をしていることが多く、また関内駅の駅前にいつもいるということもあって、なんとなく見知っていました。

メディアに登場する路上生活者といつも見かける販売員。
実際に話を聞いてみると、すこしズレを感じます。彼らと自分の間に根本的な差は感じません。

以下、書き慣れた「である体」で3回に渡ってお届けします。

いまの暮らしは自業自得。それでも「若いときは好きなことが出来て良かった」

「僕みたいに本能のままに、やりたいことだけやっている人、少ないんじゃないかな? 世間の皆さんがきちっと生きているのは、それなりに後始末しているから。自分はそれが出来ないから、こういう立ち位置にいるんだと思います」
今年で51歳になるという N さんは淡々と語った。
自分で過去を清算せずに、苦労していないことのツケが回った、というのだ。
その上で「若いときは好きなことが出来て良かった」とも語る。
黒いチロリアンハットを被った人好きのする笑顔は、言葉とは裏腹にあっけらかんとしているようにみえる。

Nさんは、いわゆるホームレスだ。
横浜の旧市街にあたる関内駅で、『ビッグイシュー』(ホームレスの社会復帰を支援する雑誌およびそというから、今年で6年目だ。51歳になる。
ホームレスとはいえ『ビッグイシュー』の販売は接客業だ。汚らしいと本は売れない。だから身繕いはきちっとしている。私は Nさんとそう年が変わらない。そのせいもあって、自分の友人たちとさして変わらない感じを受けた。

しかしその生活はやさしくない。
ビッグイシュー』は定価350円。1冊売れる度に170円が『ビッグイシュー』の取り分となり、残り180円が販売員の収入となる。
個人差や場所によるハンディはあるだろうが、Nさんの場合、1ヶ月間の平均的な売り上げは300冊。多いときは350冊だという。この数字に販売員の取り分である180をかける。1ヶ月の収入は5万4千円から6万3千円だ。いくら家賃が掛からないホームレスとは言え、これでは先が見えない。
おまけに『ビッグイシュー』自体の売上も落ちており、N さんの収入が一番良かったのも1年目だった。2年目、3年目で下向きになり、そこからなんとか横ばいを保っている状態だという。
Nさんは、なぜこんな境遇に陥ってしまったのだろうか?

沼に足を踏み入れる

「転落のきっかけはギャンブル、パチスロです。当時の同僚に声掛けされて、いっしょに行ったのがきっかけでした」

その当時はスロットでいう4号機の後半の時代だった。4号機の登場は1992年である。そのギャンブル性の高さはすさまじく、熱狂的にハマる愛好家が続出した。お上が抑制に動いたのは、15年も経った2007年9月である。

Nさんが好きだったのは「番長シリーズ」の最初の機種。それから「ルパン」シリーズ、「アントニオ猪木」、「北斗の拳」などメジャーなアニメやキャラクターの台だった。

「29で結婚したんですが、ハマり始めたのは2人目が生まれた32歳のとき。はじめてやったのはハタチくらいですが、1、2年ですぐやらなくなったんです。そのまま10年ほど遠ざかっていたんですね。ところが4号機にハマってしまった。リスクもありましたが、ハイリターンで当たるまでの画面上の演出が上手いんですよ」

当時、Nさんは港北区に住んでいた。職場も港北区で、打ちに行くのは夕方仕事が終わってからだった。平日は18時から良い頃合いまで週の半分くらいは通い詰めた。
自宅から連絡があったときのことを考えると遠くに行く訳にもいかず、車で港北区周辺の店に通っていた。万が一妻から連絡があった場合は「仕事が終わらなくて」と言って、誤魔化した。休日は川崎にも遠征し、日がな1日台に向かいつづけた。やがて軍資金が足りなくなり、消費者金融で200万もの借金を重ねていった。

(つづく)

*2019.5.5 タイトルを変更しました