メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

教育改革で話題の麹町中学校・工藤校長の講演を再現しました

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ども。檀原(@yanvalou)です。

先月のことになりますが、「スーパー公立中学校」として知られる東京・麹町中学校の工藤勇一校長の講演を簡潔な報告書にまとめるという仕事をしました。

じつは工藤校長のことはまったく知らなかったのですが、話術の巧みさ、熱量、なによりその内容に惹かれ、圧倒されました。

これは広めなければ、もったいない!

そのときの内容を文字起こししました。かなり長いですが、よかったら読んでみてください。


学校の「当たり前」をやめた。 ― 生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革 ―

演題:学校教育を本質から問い直す

 3年間、私の学校では「勉強しろ」とは言いません。本当に全ての教員が生徒に対して「勉強しろ」とは全く言いません。理由はまた後程、お伝えします。また「服装・頭髪の乱れは心の乱れ」と、日本の教育では古くから言われていますが、私の学校では迷信を捨てたと言うと語弊がありますが、全く取り入れておりません。

 今日の私の話は、専門的なお話というよりは、保護者の方でも、学校の教員でも、それから文科省の方でも、どなたでも一緒に語れるお話をしたいと思います。

 さて、今日のタイトルは「学校教育を本質から問い直す」です。学校教育の本質をある意味ではド素人の目で、そして専門家の目でお話をします。なぜ、先ほど「服装・頭髪の乱れは心の乱れ」は迷信というような攻撃的なお話をしたかと言うと、フランスに行けば全然問題ないわけですね。ということは、もともと本質ではないということになります。なぜか日本ではそれが浸透しています。

 私はここの学校の校長になって6年目になりますが、校長に赴任したころは、体育館で全校朝礼が毎週1回あり、そこで女子は膝立ちをして、スカートの丈が床にきちんと付くかどうかを調べる学校でした。それくらい厳しい学校だったわけですね。それを私がまるっきり変えたのです。現在では、転校生はピアスをしている子がいれば茶髪の子もいます。でもそういう子に生活が乱れていることは一切ありません。それは相関がない(反比例している)ということです。なぜなら概念がないからです。

私の教員のスタートは山形県の片田舎の松山というところでした。当時は飽海郡松山市で、現在は酒田市になっており、人口6千人ほどの小さな町で教員を始めました。期間は5年間です。土日はありませんでしたし、部活は朝練から、土日はもちろんで、私が休んだことがあるのは夏休みと正月くらいしかありませんが、楽しくてたまらなかったです。当時、スポーツに相当な力を入れていた教員であった私が、今回のテーマのような事を言っていくわけです。

だんだん時代は進んで、6年前の麹町中学校の特徴は私のトップダウンの学校でした。現在は、実は生徒も学校経営の一人となっています。コミュニティスクールをご存じかと思いますが、私もそれを取り入れました。そして学校運営協議会という経営会議がありますが、それに生徒も年に1度参加します。保護者にも経営権を一部与えております。このように生徒も保護者も経営権を持っています。

当時(6年前)の教員は文句ばかり言っていましたね。「最近の生徒は本当に質が悪い。家庭教育が成っていない」と皆が言っていました。保護者も然り「教員がなっていない」、生徒も「先生や親が悪い」というような当事者意識のない学校です。その学校が、今や生徒がどのように学校をより良くしようかと考え、行動を起こす雰囲気へとシフトしています。

例えば最近の話で言いますと、委員会活動をなくしました。体育委員会や図書委員会などありますよね。そういうものを全て生徒総会で廃止にしたわけです。なぜかと言うと、「それはボランティアでできる。やりたいことをすればいい」と生徒会長が私に提案をしたからですね。生徒総会で諮(はか)ると言い出したときは、さすがに私も「まだまだ早い。ここの学校はそのレベルに達していない」と言いましたが、生徒会長は、本当に総会で提案し、廃止しました。実際に生徒が集まったかというと、今までよりもたくさん集まり、総会以降、自分たちで学校運営を考え、改善をしていくようになっています。

他にも教員の姿が相当変わったことが挙げられます。6年前は職員会議を月に2回行っていました。1コマ45分の設定でしたが、ほぼオーバーして1時間超えます。現在は月に1度、しかも15分で終わります。その理由も後程お伝えします。

最近、テレビで話題になっているのは、「テストが3年間出ない、宿題も長期休暇を含め一切出さないこと」です。特に1年生にはとにかく徹底して遊ぶよう伝えています。次に固定担任制をやめたことですね。全学年のクラスの担任をチームで持っています。それから先ほどお伝えしたように、服装・頭髪指導をしないこと、また学校のルール決めをPTAに任せました。スマホなどの持ち物のルール等、全ての決まり事を保護者同士で考え話し合い、決定しています。このほか、経済産業省の事業で行っている、数学をAIで教えるというようなことも取組み始めています。

少しだけ麹町中学校の紹介もしたいと思います。私の学校の教育には、外部講師が山ほど参入しており、スポット的・常駐の方々をカウントしていくと、延べでなくても200人は超えます。

そのうちの幾つかを紹介すると、学校の側に四川飯店という中国料理店があり、そのオーナーの陳(ちん)健一(けんいち)さんが毎年、家庭科の調理実習に入ってくれています。ほかにも洋食料理家の三國シェフに入ってもらったり、東京會舘総料理長に入ってもらったり、様々な方にご協力いただいています。

部活については、例えばサッカー部は“FC千代田”というクラブチームにコーチを依頼していますが、中体連を脱退しました。ですので、子どもたちは平日・土日とも、コーチに習いに行き、中体連ではなく、クラブチームとして大会に出場しています。教員が入れ替わっても、ずっと安定して地域でスポーツ指導できるよう、サッカー部やテニス部、水泳部にもそのような方法を取り入れました。

次に校内にある購買部のお話です。今までは大人が経営をしていました。もともとPTAに属した変わった存在でしたが、今では生徒がまるごと請け負っています。これは3年前から取り入れたもので、EYというロンドンに本社がある会社の全面協力のもと、全て無料で、子どもたちのスタッフの募集、面接から採用・研修まで行っていただいています。子どもたちは企画、物品の発注、販売、経理、報告まで行うので、全く社会人と同じことをしています。私は関与していないので、内容は全く分かりません。完全にEYと子どもたちの関係でしかなく、保護者も少し関わってはいますが、最近ではSkypeで結んで研修を受けながら購買部の運営をより良いものに変えています。

先ほどお話をした、部活動だけではなく、私の学校では校内に様々な取り組みを立ち上げています。部活がない日は色々な講座を受けることができます。校内塾を開いたり、水泳、華道、茶道だったり、他には私が主催するリーダー養成講座もあります。また、地方と違って土地がないので、普段は施錠していますが芝生がある屋上を農場に変えたりするようなことも行っています。これについては、様々な自治体の方から苗をいただいて、農業コンサルタント会社にも協力をいただきながら農場づくりに勤しんでいます。将来、収穫量が増えたら学校の目の前にYahoo!がありまして、その食堂で売ろうということで、社長にもお願いをし、現在はそれを目標に頑張っています。

学校の紹介をしてきましたが、「凄まじい学校だな」と感じられたかもしれません。ここからは、全国の自治体でできるお話をしたいと思いますが、本題に入る前に、おそらく皆さんが興味を持っておられる、全員担任制(チーム教育)についてお話をします。

これは私の学校が始めて、広がりつつあるもので学級崩壊というものが劇的に、あっという間に減ります。私の学校では各学年とも4クラスありまして、旧制度(固定担任制)だとAからDクラスに1人ずつ担任がいました。どこにでもある普通の学校運営ですが、問題はなぜこの制度が学級崩壊を生むかです。

簡単に言いますと権限と責任が明確であるからです。1人の先生が、1つのクラスの権限と責任を持つ状態だと、必ず他クラスの担任の中で、勝ち組と負け組ができます。どのようなことをしても。営業成績のようなものですね。この負け組の先生が信頼を得るためには、他の先生よりもサービスをして、または信頼される努力をしなければならない。このような現象が起こります。更には、保護者と生徒の学校教育に対する要望が高くなってくるため、ますます過剰になります。

そうなるとこの先生は他の先生に勝たないといけないので、言葉は悪いですが、他のクラスの味方をしない教員もいます。学級王国を作りたがるわけですね。価値観も相当押し付けられます。また、あるクラスで問題が起こり、生徒が困った状況にあったとして、担任ではない先生に相談した方が、解決が早い場合があるとします。その場合、子どもを救う事よりも、担任が優先的に窓口になりますので、解決が遅くなってしまいます。

悪いことに問題事が起こるとほとんどは担任のせいになるわけですね。特に新規採用教員だと「朝の挨拶の仕方が悪い、教室の整頓が成っていない、子どもの名前の呼び方が不適切」など、次から次に、ありとあらゆるものがこの先生の責任になります。そうなってしまうと、その雰囲気は子どもに蔓延し、保護者にも蔓延し、教員の中にも広がっていき、最終的には立ち直りがききません。

このような状況に鑑みて私の学校で始めたのが、全員担任制(チーム教育)なのです。非常勤も含めて全員が担任となりますので、7〜8人の教員で学年全体を見ます。朝礼から道徳、総合学活に至るまで、全て前日までに担当が決まり、学年によっては1週間同じの場合があれば、1日で変わることもあり、ときには1日の中で変わることも多々あります。ただしこれは“意図的に”です。全ての教員がそれぞれの役割で関わっていくわけですから、困ったことがあるとチームの中で一番適応した教員が対応します。常に学年主任と副学年主任がマネジメントし、クラスの状況を見てベストな対応を考えています。

簡単に言うと医療の世界と同じで、チーム医療がそうです。医師が1人で患者を診るとなると、経験の違いで救える患者も救えなくなる可能性が出てきますよね。それを防ぐための制度であり、同じ仕組みを学校教育に取り入れてからは、職員室の雰囲気は大きく変わりました。

まず職員室で子どもの悪口を言う先生はいません。この変化は本当に凄まじいものです。この方法は子どもの自立を、また保護者の自立を進めてくれます。なぜなら逆指名だからですね。生徒が困ったときに面談をするのも全て逆指名です。3年生になると更に先生の数が増え、進路に詳しい教員も面談担当になりますので、保護者の方は三者面談において最も信頼できる先生を選ぶことができます。自分で選ぶと生徒も保護者も文句は言いません。逆に与えられたものに文句を言うわけですから。

この5年間の取組みは、とにかく「目的は何か」を進めてきたことです。「教育の目的とは」、「この学習は何の意味があるのか」など目的を徹底的に、全教員で見直してきました。ですから今からお話しする内容は皆さんにとって耳が痛くなるかもしれません。なぜなら、教育委員会で行っている施策が、子どもの自立するための仕組みと真逆だからです。幾つも。実はこの真逆の施策が全国に浸透していて、結局、教員も子どもも、保護者も皆が苦しみ、自分で自分の首を絞めている状態なのです。私に取ってもとても苦しい話です。これまでの自身の教員生活を否定していく作業ですから。その作業を教員全員で行ってきました。

4つのお話をこれからします。

最初に“学校から見える課題”です。セリフを2つ用意してきました。今の日本の社会を象徴するセリフです。学校や行政はサービスをしますが、サービスを与えられた人間はそれに慣れてきて、だんだん質に対して不満を言うようになります。例えば、補修の要望があり、教員が臨時で行ったとして、それが続くと、次は補修を仕組みにしてほしいという依頼がくるようになります。その依頼を受けた教育委員会は補修の予算を計上します。そして補修が日課になると、最終的には補修の仕組みに対して不満を言う、このような流れです。医療の世界でいうところの、「高校生まで医療費が無料」と同じで、全て無料にしてしまうと、少しでもお金がかかることが起きてしまった場合、不満を言います。つまり当事者意識が無く、サービスを与えられ続けた人間は文句しか言わなくなるということですね。

本来、子どもは主体的な生き物で、やりたいことしかやらないように生まれてくるものなのです。それが幼児教育になり、特に千代田区は教育熱心な方が多いので、みなさん早期教育をしたがります。少しでもトップランナーにしたいわけですね。その影響で小さい頃から大学まで、ずっとトップを目指し、保護者は与えつづける、手をかけ続ける、あれをやれ、これをやれ。これをやめろあれをやめろ。その環境で育った子どもは、

姿勢をまっすぐにしましょう。手は膝の上。

全部の子供にそれが成り立つわけではないんですけど、徹底してそれを優先していきます。

すると子供は自分で考えることができなくなります。一言で言えば先生の言うことを聞くのが良い子供です。先生の言うことを聞く子はどうなるか。うまくいかないことがあると必ず失敗するという特徴があります。手をかけてくれないと恨みます。つまり勉強が分からないのは、先生のせいだ。あの先生の教え方が悪いから、自分は勉強が出来ないという子が育つ。

僕は今年度で60になりますけど、片田舎の山形で育っています。高校は地元の進学校です。昔の旧制中学の名残がありますから、先生の教え方が悪くて勉強が出来ないと思った事はありません。自分の仲間もみんなそうです。でも今はみんながそういう。手を掛けても誰かのせいにされる。ますます教員や教育委員会はサービスをします。また文句を言われる。悪循環です。日本中ですね。

学校だけじゃないです。世の中そのものです。会社に入れば会社の文句を言い、上司の文句を言い、組織の文句を言う。

教員は子供の文句を言い、保護者の文句を言い、文科省の文句を言う。みんなが文句ばっかり言っている。勝手に理想を描いて勝手に文句を言っている。この状態がいまの日本社会です。

これをぶっ壊したい。もう一回当事者になろう。責任はみんなが持とう。僕を含めて子供たち全員が責任者であるという教育をしたいというのがうちの学校の目指しているところです。

うちの学校に入る子供たちは、自立性、主体性を失った子供です。千代田区は教育熱心なんてもんじゃありません。うちの学校の取り組みは最初のうちはですね、「宿題なくたって勉強するんでしょ。みんな塾行ってるんでしょう?、地域の方はもの分かりが良くて、みんな教育してくれるんでしょう?」といわれました。

まったくちがいます。

うちの子供たちは普通の公立よりもずっと傷ついています。なぜかというと小学校時代、千代田区のお子さんの大半が私立を受験しています。私立ですね。小学校の5、6年生がですよ、うちで食事を取らずに夜弁当を持って塾に行きます。10時、11時に電車で帰って寝る、こんな生活ですね。

これで合格した子は良いです。うちには合格していない子が入ってくるんですね。その落ち込みようは普通ではありません。勉強が嫌いです。学びが嫌いになった12歳。先生は嫌いです。小学校時代、塾でもっと難しいことやっていますから、小学校の先生を馬鹿にします。それで管理をしようとするとますます嫌われる。押しつける先生を嫌っています。

うちに入ってくる子は大人が嫌い。勉強が嫌い。親が嫌い。挙げ句の果てに友達が目立てばすぐ叩きたくなる。弱いものがいれば虐めたくなる。そういう子供たちが入ってきます。

最近はうちが有名になってきたので、不登校のお子さんが山ほど入ってきます。極端に言うと全国から、わざわざ転居までして、小学3年から不登校だったとか、ずっと虐められてきたとか、発達に障害があって上手くいかないとか。自分が嫌いです。劣等感でいっぱいです。自分が嫌いな子供は多くの場合、人を攻撃します。やっていけないからです。

うちの学校は1年生のうちをリハビリする期間だと思っています。一番早い学年で、約1年でリハビリが終わります。段々不登校が減ります。普通の学校は不登校が増えていきますね。

毎年私立を中退して入ってくる転入生もいるので。去年の転入生は27人。今年はもうそれを越えてしまっています。1年で30人以上が転校してくるんですね。その子供たちの多くも問題を抱えています。その子供たちをリハビリしていく。

その一つとして服装頭髪というのを取り去ったんですよ。この学校に来たときに、先生方があまりにも服装頭髪にうるさくて、辟易しました。

僕、先生呼びました。もし先生が服装頭髪の話をしなかったら、なに話してるの? 先生と子供の会話は生き方のメッセージだよ。あなたは何を教えているの?

先生全員集めて研修会やりました。何を一番叱るの? 僕の本を読んでくださった方は、十数項目ある中の、外で万引きした、などの問題が書いてあるんですけど、何を一番叱るかの答えはみんなバラバラなんです。驚きますよ。みんな価値観がバラバラなんです。それは当たり前です。でもな。一番叱るのは法律でしょ。人権じゃないか。命とか犯罪とか、そういうことを叱るんじゃないか、と言いました。

嘘をついたとか、忘れものをしたとか、どうでもいいこと。つまり自分の中で伝えるものが何もない。

本質から外れたことはなくそう。

A君とB君がケンカしても我々がやることは仲直りさせることじゃない。子供が将来自分で考えて自分で解決できる子にしたいんだったら、そのことを支援しよう。うちの教員が悩んだのは、この場面は叱って良いのか、いけないのか段々分からなくなってくるんですよ。家に来た教員は悩み続けながら教員やります。校長が何を言っているんだろうと悶えます。今まで染みついたものを拭い去らなくちゃいけない。

なぜ学校がこうなったかというと、手段が目的からズレた。一番おかしいのは学習指導要綱のトップに書いてあります。ここからおかしいんです。

「生きる力を育成したい」

言い換えれば、自分でものごとを考えて行動できる。そういう力ですね。我々は自立と呼んでいます。日比谷高校の教育目標もこれですけど、自立した人間を育てたい。そのためにはチートーク(?)バランス良く。これは日本独特のものです。これが教育を分からなくしてしまう。

なぜかというと説明するのが長くなるので問題点だけお話しすると、生きる力を育成するためには学力が必要だ。みんなこれを疑いません。本当なんでしょうか?

みんな全国一斉学力調査に注目しちゃうんです。全国の教育委員会が右往左往します。出来るだけ多くの知識をインプットしてそれを解答用紙にアウトプットするだけの力です。これは学力とは言いません。この学力を付けることだけに躍起になっている。

やることは簡単です。補習をすれば良い。つまずいたところを繰り返させれば良いです。宿題出して徹底的にやらせれば良いです。たくさんやらせれば学力は絶対上がります。

問題はここですね。上げちゃいけないんですよ。

みなさんがやっていることは真逆のことなんです。学力を付けるためにつまずいたところを繰り返させるほど、子供は自立しなくなります。子供は自分で学べる力を持たなければいけないんで、自分で繰り返せる意思を持って繰り返せる子にしなきゃいけない。繰り返させて学力を上げてしまったら、一生繰り返させなきゃ行けないです。

いま働き方改革があります。働く時間を短くして成果を上げようという運動です。今文部科学省は……宿題がもっとも象徴的です。日本全国宿題だらけですね。好きな学習をやって来なさい。それを親や教師がチェックします。間違いなく学力は上がりますよ。この子の生きる力はどうですか?

20題出したとします。女の子はしっかりしているから全部やります。2問だけ分からなかった。この子はその数をよく調べて、分かるようにして提出します。先生は「完璧だね」と褒めちゃったりします。

もし宿題がなかったら? そしてこの子が自立してたら? 分からない部分しかやりません。

宿題だったら知っている部分もやって来ます。普通の子は宿題を提出することが目的なので、分からないところを飛ばします。勉強はわからない部分を分かるようにすれば学力が上がるんですけど、すべての自治体がすべきは、この子が自分で分からない部分を把握して分からない部分を分かるようにするにはどうすれば良いのか。

僕だったら先生が許してくれそうなくらい省いて出します。この子は勉強する前と何も変わっていません。時間だけ費やした。

日本中で勉強時間の家庭学習時間調査をします。これって働き方改革の真逆ですから。本当はフィンランドのように、フィンランドは過去最低の教育時間です。宿題を出しちゃ行けないルールになっています。学校でしか勉強しません。彼らは自分の力で勉強することを求められて大人になっていきます。一時フィンランドに抜かれたので、日本は勉強時間を増やしました。働き方改革の真逆ですね。学習習慣が大事だと言って誰も疑いません。でもやることないのに机に向かう必要ありますか? 24時間しかない時間をどう使うのか考えられる子が正解。

先生や親の言うことを聞く子は、課題意識が育たない。

勉強はわからなかったことが分かるようになれば伸びます。人と比べなければ、劣等感は持ちません。

分からないことを分かるようにするためには、2つの行動パターンがいる。

ひとつは聞く、調べる。

もうひとつは、繰り返す。

分からないものを分かるようにするためには、聞く、調べるが必要ですが、もし分からないことだらけで出したら、子供はうちで勉強できません。聞く相手がいなければ、家庭学習はとてもつらいものなんです。分からない子は劣等感がどんどん上がる。

まともな教育ならこう言います。「宿題出すよ。分からないことだけやっておいて」

分からないことがあったとき、聞くの大変でしょ? 1問だけで良いからやってご覧?それでも分からなかったら、誰かに聞いてご覧。友達に聞けなかったら、先生でも良いよ。こういうことです。これが学習の本質を分かった教員の言葉です。

しかし、ずっと言われたことをやれと言われた子が、教員になっています。その教員が自分の頭でなにが本質か考えずに、宿題を出しまくり、それを評価する。

書いて覚えるのが得意な子もいれば、絵を見て連想して覚えるのが得意な子もいれば、耳で聞いて覚える子もいれば、読んだ方が覚えやすい子もいます。でも小学校はノートを取れといいます。でも男の子は耳で覚えたり、映像に強かったりします。覚え方が違うんですよね。

有名な方にスピルバーグトム・クルーズがいます。彼らはディスレクシアといって読み書き障害があります。でも世界的なスーパースターです。彼は録音をして台本を覚えました。いまは簡単です。スマホがあるからです。読み上げソフトもあれば、音声入力も出来ます。

日本の子供たちは漢字を覚えます。海外よりももっと苦しいです。僕はそういう苦しい思いをした親子を山ほど見てきました。日本の場合はそういう子は、昔で言う特殊学級ですね。知的障害に当たってしまいます。

慶応の先生が書いている「最高の子育てという本があるんですけど、この高橋さんがハーバードに留学したとき、ボスが女医さんですが、世界的な遺伝子の権威だったそうです。その女医さんがディスレクシアだった。メールが来ても自分で返信できないんです。秘書が読んでそれに回答する。その人が世界的な権威になっている教育だということです。ノートを取れということを押しつけていないということです。

小学校時代漢字で苦しむくらいなら、その子にはじめからスマホを渡せば良い。なぜかと言えば、世の中でどうやって生きるのかということを教えるのが学校教育でないといけないからです。その子が鉛筆を使わずに、スマホを使って会話をするのであれば、そういう教育をしないといけない。日本はいつまで経っても、型にはめようとする。研究が進みません。

うちはテストをやめたんですけど、単元テストはやっていて、だからテスの数自体は増えているんですけど、本当は日本の入試制度が欧米のように点数主義ではなくなって、面接があり、人物評価で合格するという制度なんです。成績は足切りのような物。

日本は平等主義で、人が人を評価することをとても恐れているのでそれを平等だと言わないんですね。世の中で通用する力というのは、人が人を評価することなのに、みんながそこを恐れてしまって、受験制度がなにもかわらない。その受験制度を否定することが出来なかったので、定期テストはやらないけど、子供が勝手に勉強する仕組みを作ろうとしました。教科ごとに単元テストにしたんですね。ポイントは本人が自己申告で希望すると、成績がダメだった場合、もう一度出来るんです。何点以下は再テストではなく、全部子供任せです。40点でも僕は受けませんという子もいれば、80点でもう1回受けさせて下さいという子もいます。

もう少し詳しく言いますと、80点越えると4なんです。90点越えないと5にならない。

75点取った子はあと5点で3から4になるので、もう1回受けさせて下さいと言います。すると受けるといった途端、その成績はなくなります。再テストの成績になります。なかには再テスト受けて成績が下がる子もいます。だから子供たちは本気で勉強します。どこを勉強するかというと、100点に充たなかった25点を勉強します。だから宿題はいらないということです。

2回受けようが、3回受けようが、この子の成績がどうかと言うことで評価します。だから子供たちは比較もしません。平均点も出しません。クラス担任もいないですから、みんなが競争しません。

クラス担任を置くと、教員がクラスの平均点を自慢するのでろくな事がありません。それが子供たちにどう影響しているのか感じないんですよね。

うちの子供たちはやたら質問します。分からないものを分かるようにするアクションを教えているからです。人に訊くか、調べるしかない。だから友達同士相談するし、先生にもやたら質問します。勉強しろと言わないのに、やたら質問が来ます。

うちの子供たちは1年のうちはあまり勉強しません。宿題はない。テストもこんな。みんな「やったー」という感じです。それが段々自立と言うことを話していくと、2年生の後半か3年生くらいから自分たちでものごとを考えます。

進路もそうです。

昔の麹町はものすごい名門校だったので、難しいところばかり受けたがりました。でもいまはいろんな所を受けたがります。オール5だった子が、通信制高校に行きました。彼女はやりたいことがあったから。いまも活躍してます。どうしてもフィギュアスケートをやりたい。だから日比谷とどちらを受けるか考えて、日比谷をやめました。そういう判断が出来ます。

はじめから工業高校に行きます、と言う子もたくさんいます。東京ではすごく珍しい。

はじめから海外を選ぶ子もいます。

高校行きませんという子もいます。

学校は目的を見失った物が山ほどあります。耳のイタイはなしばかりですよ。

誰もいない作文ですね。年度当初になると、今年の抱負を書け。大きなお世話ですよ。

運動会終わると感想文。文化祭終わると感想文。子供は感動したと書きます。先生に怒られるから。つまり他者意識がないですね。

目標もそうですね。小学校に行くと、そこら中に目標が貼ってあります。高学年になるとどうでも良い目標になります。なぜかというと自己開示できないからです。人に嫌なことを言われるから、せいぜい遅刻しないとか忘れものしないという目標を1時間かけて書きます。学校は今日の学活なにやる、今日の道徳なにやる、今日の総合なにやる、なんていう学校がいまだに日本中にあるのに、忙しい忙しいと言います。おかしいですよね。

学活を年間35時間やることが目的になり、道徳を35時間やることが目的になる。総合を70時間やることが目的になる。中身ではなく、やることが目的になっている。これが文部科学省がやっていることですよ。なんとかこれを変えなきゃいけない。

2020年の学習指導要綱は大幅に変わりましたけど、これをつくった豪田課長とも僕はよく話しますけど、まだダメです。

挨拶運動もやめました。毎朝校長が先生方が立って挨拶するのをやめました。やめると地域から校長が叩かれます。挨拶運動すると、挨拶が増えると思っています。子供たちは本当に通るのがいやです。待ち受けられて、列を作ったところを通っていく。その子供たちの気持ちですね。全員が大事にされるためには挨拶運動いらないですよね。すぐになくしました。でも僕はこれを説明しました。地域の方は何も言いません。みんなで同じ目標を持つと、きちんと説明がつきます。

修学旅行も変えました。京都奈良に行くんですけど、皆さんと同じように子供たちが斑別で行きたい場所を考えて行きます。でも全然つまらなかったですね。6年前ですね。なんだこれはと。

子供たちは自分で考えるんですけど、先生方の目標は「時間を守れ」。「違反物を持っていくな」「夜は騒ぐな」。「集団行動を守れ」。もう集団訓練ですね。

で、なにも問題が起こらなかったら「最高の修学旅行だったね」と言います。班別行動で京都・奈良を回るとき、子供たちは細部は飛ばしていきます。時間を守ることが優先だから、遅刻したら「なんで考えなかったんだ」と怒鳴られるから必死になって帰ってきます。一時間半くらい前に帰ってきて「先生、もういいよ」。そういう修学旅行。

で終わってから、みんなで新聞作ります。誰も読みません。金閣寺が何年に建立した。誰が読むんですか。手段が目的化しているからですね。最高の罪です。言うことを聞く子を育ててはいけません。その子たちが大人になってから課題解決が出来る訳がありません。そういう大人を我々は育てているし、その音長教員をやっています。これを根底から変える作業はすごく大変な作業です。

修学旅行は JTB や近ツリさんと組んでます。年によって違いますが、若手の社員に来てもらってだいたい2年目の方をお願いしてるんですが、なんで JTBに入ったか語って欲しいと。旅行って最高だぞ。私は人生を変えられたから JTB に入りました、その幸せをみんなに上げたいと思ってこの会社に入った、という話をしますね。で、君たちにミッションをあげる。君たちは JTB の社員だ。JTB に1泊2日の京都奈良の旅を提案してくれないか。ターゲットは君たちで決めて。おじいちゃん、お婆ちゃんでも良いぞ。友達同士でも良いぞ。家族でも良い。旅行を自分たちで作ってくれ。企画の立て方の出前授業を何度もしてくれます。で、自分たちでツアー企画を立てます。

なかにはおじいちゃんお婆ちゃんを対象に、健康祈願の神社だけをまわったグループがいました。その企画をつくったときは笑いましたけど、「本当にこんな所行くのか」と聞いたら、「これが僕らの修学旅行だから」と言って本当にマイナーな神社だけまわったグループがあります。

で現地に取材に行って、インタビューして写真を撮って、旅行パンフレットを作ります。プレゼンテーションとパンフレットを旅行会社に表彰してもらう。

これ、日本全国に広まりつつあって、高校なんかはパンフレットじゃなくてプロモーションビデオを作ったりします。地域の宣伝に使ったりするんです。それをみんなで競い合わないか?

JTB さんは大きいので、全国に広がったら JTB 大賞にして学校単位で競い合いませんか?

これは旅行会社にとってもプラスです。旅行に興味がある子供たちが出来るからです。将来のユーザーになる。Win - Win にもなって。

子供たちがつくった旅行パンフレットですけど、たった4ページです。本気で作ります。写真も記事も全部自分たちで。僕みたいに原稿なしで300人くらいの前で話してますね。

学びはなんのため、誰に対してとう意識があれば、黙っていても深まります。主体的で【聞き取れず】で深い学びと文科省は言います。その意味というのはリアリティーがなくてはいけない。これであれば、子供たちが黙っていてもやりたくなります。その環境を作ることが教育だと僕は思います。

じつはうちのカリキュラムは3、4年で全とっかえしました。運動会は体育祭に変え、文化祭は作りました。入学してノート手帳ガイダンスとかフレームワークを教えたり、2泊3日の「スキルアップ宿泊」は山梨の西湖に教育用ホテルに行きます。自然体験はしないで、大学生と一緒にミッション出されてみんなで話し合ってミッションに答えていく。2泊3日ずっと話し合います。このときから子供たちのいじめが激減しています。

「チームでミッションに答えてもらうけど、世の中はな、人は動かないし言葉は伝わらない。必ず対立が起こる。みんなちがっているから。チームで何かやろうとすると、そもそもやりたくない人がいる。大人の世界でも同じだよ。

でもな、このことが起こると人間はイライラするんだな。イライラすることを自覚してご覧」

これを最初に言います。そのときの対立の解決方法を教えるよ。といってブレインストーミングとか形成法(?)などの対話の方法を教えます。不登校だった子もこれに無理矢理来ます。これに来たら自分が変わると思ってくるんですね。親もそう思います。ほとんど欠席はありません。だれもバックアップしません。2泊3日イライラしながらも、やりきるんですよね。ここから劇的にいじめが減っていきます。

なぜかと言ったら感情をコントロールすることが得意になっていくからですね。2泊3日の間、合い言葉があります。プレゼンをすると「いいね」と言うんです。大人がたくさんいるんですけど、子供たちはずっと「いいね」といいます。3日間「いいね」と言われていると、子供たちが挑戦できることを知るんです。つまり誰もが尊重される環境は人を挑戦させるということを体感します。今風に言えばメタ認知能力ですね。自分を俯瞰的、客観的にみてこれを意味づける。ここから子供たちは意識をして人に嫌がらせをしないことを覚えていきます。

三つ目です。学校はそもそも目的を合意していません。うちの学校の保護者は相当教育熱心ですから、1年生のうちは物を言う保護者です。その保護者も含めてなんですが、3年生になると、大応援団になってきます。うちは学力調査の結果も出しません。アップしていますけど一切出しません。学力調査の結果を出すと、麹町は学力が上がる学校だというレッテルを貼られます。うちはいつも言っています。自分で考えて自分で行動できる生徒を育成することが運営でいくら成績上がってもダメです。これを言いつづけます。3年生になると保護者の方もそう思います。なぜなら子供が変わったからですね。うちの子供たちはさん遠征になると虐めません。出る杭討ちません。

うちの学校、授業面白くないですよ。レベルは低いです。先生もレベルは低いですし、年齢も若くて30代です。新人なんてこの6年間で10人取ったくらいですから新人だらけです。その教員が下手くそな授業しても3年生になると、そこら中で手が上がるんです。なぜか。叩かれないのを知っているからですね。

そのために目標を入学前から保護者の人と何回もやります。入学してからも。学校の目的ってなんですか? この子が障害があってもなくても、社会の中でコミュニケーションを取っていく。社会の中でより良く生きていけるようにするのが学校の役割ですよね。学校って「世の中出たくない子供」「大人が嫌いになる子供」こんなんだったら学校いらないよ。そんな学校じゃない学校にしたい。これをみんなで言います。何度も何度も。

一人一人がよりよく生きるだけじゃなくて、より良い社会が作られる。みんなちがっていて対話をして合意をして平和を目指すようなそういった力を身に付けさせる。つまり友達と仲良くするには能力がいるんですよ。手間を掛けることの技術を覚えることが出来る子供たちにしたい。

学習指導要綱はそういう子供を育てるためにあった筈なのに、われわれは勘違いしたんですね。学習指導要綱をこなすことが目的になっている。1年間で140時間数学をやると2年生になれる。おかしいということですね。たぶん欧米はこれを捨ててますね。履修主義ではありません。習得主義、到達度主義です。合田さんと話をするときに、2020年ではなくその10年後の2030年にはこれが話題になって欲しい。2030年には(履修主義ではなくて)「子供が分かったかどうか。なにを学びたいか。そういう時代になって欲しいなと思います。

これからの時代 AI が進みます。経済構造は大きく変わります。仕事がなくなったり、仕事が増えたりします。とくにスマホはものすごい進歩です。1世代の進歩が人間は30年と言われてますけど、スマホでは3G、4G、5G という進化は5年と言われています。5年で大企業が生まれて5年で大企業が衰えていきます。そういう時代です。

子供たちが生涯同じ会社に務めつづけることは絶対にありません。公務員もないかもしれない。副業制度が話し合われるくらいですから。

子供にとって大事なのは、そういう力である。なのに日本は高度経済成長からこればっか言っています。ぼくも染みついています。我慢することが大事。礼儀が大事。協力が大事。

大事なことなんだけど、強調されすぎだ。これより上を忘れてしまった。本当に大事なのは、自分で考えて自分で行動できる力。これを育てた上で礼儀があって協力があってということなんです。

上位目標を忘れて手段だけだけにこだわってしまって教育が歪んでると言うことですね。これを質さなきゃいけない。自立より優先するものはないです。

もうひとつ。グローバルな社会になっています。1国だけでは問題解決できない時代です。第二次世界大戦でいやな思いしました。ヨーロッパは千年、2千年、3千年、国を奪われ奪い合い、もうこれ以上科学技術が進歩したら破滅してしまうんじゃないか。ということを肌で感じています。だから EU がつくられました。戦争の原因を取り去ろう。通過を統一し、関税をなくし、資源をお互いに分かち合う。難民が出てもそれを受け入れよう。ということを EUとして大統領とか首相クラスが本気で言います。このことを教育は本気で教えなきゃいけない。なのにメディアでは隣国を差別したりなんかしたりすることがある。学校教育がそれに影響を受ける。でも学校教育こそが教えなきゃいけないのは、こういうことが起こらないように違いを認めて多様な考え方、他社を尊重する、尊重と言うことを教えなきゃいけない。

今回のラグビーなどはまさにそれを教えてくれたと思う。

うちの教育目標は僕が校長になってから2回変えました。

ここを自立、尊重、創造としたんですが、じつは世界が求める教育目標なんですね。これは OECD が目指しているキーコンテンシーとよばれるもの。自分をコントロールする力。自立です。それから尊重。このふたつがあると世の中でものごとが創造できる。つまり学力のことなんですけど、ならった言語、知識、情報技術、それを相互作用的につかえる。つまり自分がいくら暗記したって大事じゃない。学んだものを相互で社会のために創造するために使え、といいます。そこから目指す生徒像をやっつけました。

うちの子供たちの中には相当言えます。意識しての感情コンソーションってありますね。意見の対立、理解の相違の解決。これはとんでもなく難しいことだ。なぜかというとみんなちがっているから。でもそのためには感情をコントロールする技術もなくちゃいけないし、そういったことを子供たちは何度も繰り返して覚えていきます。本当に学校で教えなくちゃいけないのは世の中出たときの再現性ですね。知識、技能ではなくて、自分が学んだことを再現できる力。

最後のお話です。僕がどうやって学校を変えたか。

じつはすごくシンプルなんです。学校経営というのは、じつはふたつのことで出来ています。ひとつは何かというと、全員を当事者に変える。文句ばかり言っている人間を、自分たちの経営者に変えていく作業ですね。そうするためには一つのことをやれば良い。権限を与えてあげる。決定権を与えれば良いんですね。でも決定権を与えるだけではかならず失敗します。問題点はですね、誰もが自分の価値観にこだわるからです。昔の成功体験、どこかの成功体験、その手段を持ってきます。黙々と清掃するなんて言うのもそうですね。それがどこかで良いとなると、それをやりたがります。手段にこだわる。なんのためか忘れていく。なんのためかと論議はする。大事なことは手段が目的化しちゃいけないよね、一番上位ってなんだっけ? 一番上位のものを実現するための手段をとろう。この手段が目標になって、つぎに手段とる。このことがひっくり返らないようにしようという吟味が出来る組織にしなきゃいけない。麹町はこれに3年から4年掛かりました。いまは職員会議が月1回でも15分で終わる理由は、ここです。

全部任せても上位目標を損ねるアイデアは出さない。理科の学録が低いとしても、理科の補習なんてやりません。そういうことですね。補修をやらずに学力を高める方法を考える。それを徹底していく。

分かりやすいのは運動会ですね。ヨーロッパの人達は民度がとても高いです。対話をして上位を探すことができる国民です。日本はまだまだ。みんな違っていいまでは分かっています。あなたが「運動会何が一番大事ですか」って言われると、規律が大事だったり、集団行動が大事だったり、楽しんだり競争だったり、組み体操だったりする訳ですよ。

6年前、うちの先生方は「シャツ入れろ」と言うんですよ。暑いのに「シャツ入れる」。なんだそれ、という感じですよね。つまりなにが上位かまったく分かっていない。組織になりません。

だいたい若者に聞くと「協力、団結」と言います。ホントですか? チームワークを学ぶために運動会があるんですか? 

ヨーロッパでは全員を大事にする、両立させるための方向で対話するんです。これ、民主主義なんですね。民主主義の考え方はみんなちがっていい。でも全員を大事にする。これは難しいんですよ。ものすごく対話をする。運動会に不登校が出ない。団結団結と言われると、発達に障害がある子はいやなんですよ。コミュニケーション苦手だから。小学校で「仲良くしよう」という目標が立てられると、この子たちは置いて行かれるんですよね。人は仲良く出来ないよ、と教えなきゃいけないんです。そうでないとこういう人達は阻害されていきます。

だから体育はなんのためにやるのといったら、スポーツは障害があってもなくても運動が上手くても下手でも、一生涯の友達でしょ。これを教えなきゃ学校教育じゃありません。

音楽も同じです。レベルを上げて合唱コンクール、指揮者が来ると軍隊のように足を開く。うちは合唱コンクールなくなりました。学級対抗もやめました。みんなで楽しむことを優先します。

体育も、音楽も、美術も、学校教育がなかったらみんな大好きです。最低ですよね。

文部科学省に「評定つけるのやめませんか」、それを声を大にしていうのは学校現場であり、教育委員会であり、みんあで話し合ってもうそろそろ変えましょうという声を上げなきゃいけない。

うちの学校は生徒が対話をして民主的に問題を解決します。そいう訓練をしてます。だから体育祭はぜんぶ生徒にあげました。経営権をあげたというのは、そういうことです。

ミッションは1個だけ与えます。全部上げちゃうとダメなんです。なぜかというと、最上位目標を生徒が決めるから。すると絆とかですね、心一つにとか、団結という目標を立てるんです。すると対話が出来ない。団結できない子が阻害されます。

「運動会を楽しめない子がどうしたら楽しめるか、考えてくれ」と毎年、教員から子供たちに与えます。必死になって考えます。運動が苦手な生徒が楽しめる、得意な生徒が競争できる。運動会で目立ちたくて一生懸命練習している子供たちがいる。それを両立させると言うことですね。

いろんな種目を考えました。三輪車競争とか。我々を楽しませなくて良いから、自分たちが楽しめと。

文化祭はもっとレベルが高くなります。芸能だから人を楽しませろ。ただし生徒全員で観客の皆さん全員を楽しませろ、と僕は言います。

じつは学校教育では、リーダーが最上位目標を設定できるかどうかが勝負なんですね。経営理念が出来ないと、民間企業も同じですが、社会貢献するという理念のあるところは長く生き残りますけど、金儲けしようという理念を立ててしまったところは社会から見捨てられたりしてつぶれるなどします。

つまり経営するときには、最上位目標に何を設定するかで対話がスムーズにいくかどうか決まります。

保護者も一緒になって考えています。

最後一言言って終わりにします。今後の学校のあるべき姿は。いままでは必死になって全員に何を教えるか、カリキュラムを考えていました。どう教えるかの研究ばかりしていました。それでは小中高大と常に受け身の状態で授業を受けることになります。コミュニケーション能力が出来る訳がありません。教育は江戸時代まで遡る必要があります。寺子屋時代、藩校、私塾、ぜんぶ先生が教えてません。すべて学びあいです。教材があってみんなで学び合いをする。いまでいうアクティブ・ラーニングです。日本は最高識字率でした。その時代の教育に戻す必要がある。

これからは学習者主体でなにをどう学ぶかという時代ですね。そこに ICT がありますから、いろいろな子供たちが救われます。画一的な教育から多様な教育へと言っていますが、誰もが疑いません。でも日本がいまやっているのは「すべての子供に多様な教育を与えようとしている画一的な教育」だと僕は思います。

本当にやらなきゃいけないのは「多様な子供たちに出来るだけ個別体的な教育を行う」。これはお金も時間もかかりません。すべての子供に同じ教育を与えるのには時間がたっぷり必要ですし、お金も掛かります。子供たちはあっぷあっぷしてやりたくないのにやらされます。ますます受け身になります。

でも子供主体で最適な教育を行って、多様な人生が生まれる教育にしなきゃいけない。これを文部科学省が学習指導要綱を定めたから全国はどうしますかという時代はもう終わりですよ。現場が教育の本質を考えて、教育を変えるという時代にしなきゃいけない。

えらそうなことを言いました。教育長の方々の前でこんなことを言うのはお恥ずかしい話なんですが、教育庁の方々がお集まりになっているのでこのお話があったときにやらせて下さいと、どうしても喋りたいと言いました。ありがとうございました。

2019年11月6日「第16回B&G全国教育長会議」(東京都港区・日本財団ビル)に