メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

住まいもフリーアドレス!現役大学生アドレスホッパーに率直に訊いてみた(後編)

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大学生アドレスホッパー、野口福太郎さんへのインタビュー記事の後半です。

アドレスホッパーになると、エンゲル係数が上がる?

Q: アドレスホッパーには「せっかく来たんだから、ここでしか食べられないものを食べよう」などと、飲食にお金を掛けている印象があります。食べ物関係の話題、または今の生活に入って体重が増えた/減ったなど、変化はありますか?

ふ:明確にあります(笑

アドレスホッパーには「現地の文化により深く浸かりたい」という思いが強い人が多いんです。それこそ「移住と暮らしの間」ということで、その地域のコミュニティーに積極的に味わっていく。だから食に関して、お金は普通より掛かります。

でもそこからつながりが生まれます。

たとえばアドレスホッピングの走りだったなおちゃんさんは、今年の夏、釜石のウニの漁師さんとつながりができて「採れ立てを人数限定で直送しますよ」という企画を請け負っていました。

 

お金を払うという形を取ってはいますが、食事は相手の懐に一歩踏み込んで関係構築するための、ある種のコミュニケーションなのかもしれません。

僕もその地のものを積極的に味わいます。

九州を廻っていたときの話ですが、僕が利用しているCo-Living サービスの施設が、宮崎のとある商店街にあるんです。その商店街は味わい深いところでした。僕は趣を感じるものが好きで、昔から継がれてきたものに惹かれます。泊まる宿も日本を感じるところが好きなんです。日本人の DNA だな、と。

そこで良い繋がりが出来て、また来ようと思いました。現地の人たちも「遊びに行くよ」と言ってくれて、一回こっきりで終わらない関係性が出来たと思います。本当に行って良かった。

ちなみに体質的に体重は増えません。

Q: 食事はどういうところが多いですか?

ふ:東京にいるときは、「まいばすけっと」などで安物を買っちゃいますけど(笑、地方に行ったときはその地のローカルな食べ物を食べますね。ちょっとくたびれた定食屋に行ったりもしますし、ローカルな居酒屋も行きますね。

仙台の居酒屋に行ったときは「ザ・大将」みたいな人や常連さんたちがいました。常連さんと仲良くなって、僕が若者で「こんなことしている」と言うと、めっちゃご馳走してくれて、大将も酒振る舞ってくれて、最後は奢ってもらってしまいました(笑

Q: 「いまどきの若者は酒を飲まない」というイメージがありますけど……? その一方アドレスホッパーには酒好きのイメージもある訳ですが?

ふ:僕はお酒好きですよ。酒は地酒などを味わいたいですね。コミュニケーションも弾みますし。

Q:自炊と外食は?

ふ:外食ですね。自炊はときどき気が向いたらという感じで。


「旅暮らしが日常」となった人間から見た旅の価値

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Q:言ってみれば「旅=日常生活」という暮らしですよね。そういう人間から見たとき、「旅行」ってどうですか? 一般の方は非日常を求めて旅行します。でも福太郎さんにとっては、もう旅や移動は非日常ではない訳ですよね?

ふ:グラデーションなのかな、と思います。日常と非日常の間を自分で選択できる。

僕は首都圏にいるのであまり非日常に飛んではいませんが、アンテナの感度が上がって毎日小さな発見はあります。変化の幅は小さいかも知れないけれど、その変化を敏感に捉えるようになりました。見慣れない場所に身を置いたときに視界が広がって、いろいろなものが目に飛び込んでくるときの感じ。それが日常的になる。

例えば歩いていて、「めっちゃチョウチョ飛んでるやん」「この花きれいだな」「空きれいだな」などちょっとしたことの良さに気付く。

それから出会いもありますね。

いづれにせよ、旅は特別ではなくて、日常と非日常の連続のなかのある1コマです。

Q:アドレスホッピングに向いているのは、どんな人だと思いますか?

ふ:外向的な人ですね。他人と触れ合ったり、宿で他人と同じ空間にいたりするので、内向的な人にはあまり向かないんじゃないかな。外界からの刺激がある環境なので、そこに意識が向く人は楽しめるかな、と僕は感じます。

Q:ほかのアドレスホッパーの体験記を読んでいて印象的だったのが、「月曜日が憂鬱ではなくなる」ということだったんですが、ご自身の経験と照らし合わせてどうでしょうか?

ふ:僕は社会人ではありませんが、「毎日フレッシュな気分でいられる」ということが、憂鬱感がなくなるひとつの要因なのかな、と思いますね。

仮に同じ場所にもう一度泊まったとしても、その都度顔ぶれが違います。毎回楽しみがあるので、メリハリがつく、ということがあるんでしょうね。

Q:情報を仕入れるときは、どんなソースが多いですか?

ふ:まず第一に人からの情報。実際にやってみての感想や「こんな人が友達にいてさ」という話を一番重視してますね。

1杯500円のコーヒーに対して「食べログ」で検索していくよりも、ダンバラさんが「ここ、めちゃくちゃ良いですよ」とお薦めしてくれて「なるほどな」と思いながら行く方が、500円以上の価値を感じます。

2番目は TwitterTwitter は普段関わることの出来ない人にフォロー/フォローワーの関係のなかで手を伸ばすことが出来ますよね。経営者などをフォローすると、彼らの考えが分かるし、リツイートやメンションの流れで、新しい技術に気がつくこともあります。

逆のベクトルで言えば、「こんなに苦しんでいる人がいるんだ」という情報にも触れられます。自分から取りに行けなかった領域にリーチ出来る。めちゃくちゃ有効活用してますね。


アドレスホッパーの熱量が、日本の問題を解決する?

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ふ:20年後のアドレスホッパーはただフラフラしているだけじゃなくて、もっとちがう位置づけになっていると思うんですよ。

日本は人口が減っているじゃないですか。いまはそこが問題視されるています。でも本質的な問題はエネルギー(熱量)の減少じゃないかと思います。日本人の活動量の総和が減って、経済的な観点から見たエネルギー切れの状態になっている。

アドレスホッパーには人を巻き込む力があります。

例えば「秋田で何かやろう」となったら、人がわっと集まって、その地の人、風の人(=アドレスホッパーなどノマド指向の人たち)が混ざり合う。その場にいなかったら出会えなかった人たちが、出会う。そして意気投合した人たちが「今度これやろう」と新しい動きを作る。分散的かつ同時多発的に事を起こすポテンシャルが、アドレスホッパーにはあると思うんです。そうしたら人が減っても、エネルギー(熱量)は維持できる。

そういう意味で人口減少の解決とまでは言わないけれど、そのポテンシャルはあるように思います。

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Q:現在首都周辺でホッピングしていますが、本質的に都会へのこだわりはない?

ふ:ないですね。東京も一つの機能だな、と捉えています。暮らすための場所ではなく、機能として使えば良いじゃないですか。

いま東京で暮らしている人は、「東京で暮らすために雇われている」節もあるんじゃないでしょうか。逆に自分の人生をつくれる人は、東京以外の余白を染め上げることを楽しんでいます。
なかには無人島を開拓する人もいたりいて、分散化は始まっているな、と。本格的な流れになるには、あと20年くらいは掛かるかもしれませんけど。

都市にいたら、日常はデジタルで完結します。しかし、あえて地方や自然の方に行くと「風が気持ちいい」とか「海に浸かって気持ちいい」「外で作業して身体を取り戻すことも出来るな」と。

人間も動物ですが(スマホをいじる)指だけの運動に陥りがちです。身体感覚を取り戻すということに、誰もが価値を感じるようになっています。「仕事疲れを癒やそうぜ」というリトリート的な部分も、受け入れられつつあると思います。


ちいさな町なら自分でデザインする余地があります

Q:先月までインターンで福島の南相馬にいたんですよね?

ふ:就職先は南相馬です。僕が行くところは3年前まで帰還困難区域だった町で、原発20キロ圏内ですね。

元々は1万2千人くらいの人口だったのが避難指示で離散して、現在は3,700人くらい。文字通り1度町がゼロになってしまって、「もう一度創りあげていくぞ」という気風が強いところです。

地方にはがんばるプレイヤーはいますが、それを支える右腕的な人材が足りません。NPO法人アスヘノキボウの“Venture For Japan”というプロジェクトがありまして、就職した会社で2年間、社長の右腕として新卒者に経営の本質を学んでもらう、というプログラムです。そこで知識も知見も不足ない程度に身に付けた後は、「そのまま企業に残る」「転職をする」「起業する」などの選択をします。僕の就職は、このプログラムが前提です。

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周りにいる人たちは事業を走らせようとする人たちばかり。都会には強いプレイヤーが揃っていて余白がありませんが、ちいさな町なら自分でデザインする余地があります。日本の課題を先取りして解決するチャンスでもあるし、恵まれた環境だと思って行ってみることにしました。

いまは30万円くらいあれば起業できる時代ですが、ビジネスを走らせるのは別の話です。いまはそこを学びたいと思っています。

Q:福太郎さんは将来どうするのですか?

ふ:僕がやりたいのは「終活」に関することです。あらゆることに関して選択が増えている時代ですから、死にまつわることも選べる時代にしたい。自分の人生の指針を立てる手段の一つとして、多様な終活を提供する。

「自分の寿命を明確に意識したときが、人の価値観が大きく変わる瞬間なのでは」というのが僕のなかでの仮説ですが、個人がどういう指針をもつか、真剣に考える機会はほとんどありません。

こんなことを考えたのは、14歳のとき「なぜ自分は生きているのか?」という中2病的な疑問に突き当たったことがきっかけです。ふつうは忘れていくことですが、僕は忘れられなくてニヒリズム的になっていました。

でも19歳のとき『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健・共著)を読んだんです。主題のメッセージとは違うかもしれませんが、僕は「世界というのは『環世界』、つまり人の主観で出来ている。空っぽな世界だけど、そこに意味を見いだしているのは人間だ」というメッセージを受け取りました。


嫌われる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教え

5年くらいかかりましたが、価値が転換して「俺は自分で楽しいように、意味を生みだしちゃおう」と180度考え方を変えました。それ以来ハッピーモードで生きています。

Q:就職したら、いまの暮らしをつづけるのはむずかしいんじゃないですか?

ふ:アドレスホッピングこだわっている訳ではなくて、「多様な暮らしを実験したい」という気持ちがあるんです。

いまは、「バンライフ(ライトバン1台に必要なモノを詰め込んだ車上生活)もありかもな」と考えています。

南相馬は一人暮らしにやさしくないんです。ちょうどいい値段やサイズの物件がない。「住み手に逃げられたらお金にならない」ということで、貸家よりも売り家の方が多いんですよね。

だからスポッとバンの荷台に居住スペースをインストールできるハコを利用するして、住まいにするとか。一生のうちにやりたいことはいろいろあるので、「今やっちゃうのもありかな」と思います。


福太郎さんとのマッチングには、Look Me を活用しました!

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