メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

のと暮らし……稲穂に埋もれるようにして歴史が息づいていた

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ども。檀原(@yanvalou)です。

志賀町と言えば「能登金剛」など海沿いの風光が売りですが、じつは内陸部にも見るべきものがあります。

まずは、茅葺きの拝殿をもつ「松尾神社」です(トップ画像)。緑豊かな地域のなかに佇む落ち着いた神社です。この建物は石川県の重要文化財建造物に指定されているのだとか。創建は室町時代だそうですが、もしかしたら創建当時の形を留めているのでしょうか?

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戦国時代のキリシタン大名として有名な高山右近の墓も外せません。

キリシタンというと、天草四郎が有名で九州の話と思いがちですが、じつは大阪や福島にもいたことが明らかになっています。そして志賀町にも、キリシタンゆかりの歴史があったという訳です。

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高山右近を記念した公園。5分程度歩くと、右近の墓がある。

大名の地位を捨ててまで信仰を守った右近ですが、慶長19(1614)年、徳川幕府キリシタン禁教令によってフィリピンのルソン島に追放され、63歳で没しました。

右近は大阪の高槻を治めていましたが、一時、加賀藩の客将としてこの地に滞在していました。その関係もあって、右近の没後、娘のルチアと孫の一人がひそかに帰国したとき、志賀町末吉にある高山家の墓を守ってきた家を頼ったのだそうです。そして右近の子孫はキリスト教を信仰したまま、この地に根を下ろしました。現在の当主は16代目だそうですが、代々医者をしているそうです。この記念から5分歩いた場所に、子孫によって建立された右近の墓があります。

f:id:yanvalou:20190720185433j:plain子孫が建立した高山右近の墓

ちなみに右近は2017年に、ローマ法王庁から「福者」という称号を授けられました。「聖人」の次のランクに位置づけられる評価だそうです。

最後は棚田です。能登で棚田というと、どうしても「白米千枚田」に目が行きがちです。しかし志賀町にも棚田があります。能登金剛から近い「大笹波水田」です。

眼前に日本海が広がる「白米千枚田」のようなダイナミックさはありませんが、農林水産省が制定した「日本の棚田百選」に選ばれています。残念ながら、僕は時間がなくて廻れなかったのですが、これから志賀町に行かれる方は立ち寄ってはいかがでしょうか。

蛇足になりますが、関東には段々畑はありますが、棚田は見かけません。ですから「棚田」の読み方が分からなくて、悩みました。「たなだ」だったんですね。