メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

メディア出演多数。しかし「料理は地味な世界ですよ」と語る著名シェフの話

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レストラン BistroQ 山下 九さん

2015年5月14日に取材した東京・赤坂のレストラン「BistroQ」の紹介文です。
お蔵入りしていたものを蔵出しいたします。
取材文のサンプルとして御覧下さい。
記事の内容は取材時のものです。
 

大人の街・赤坂にできた大人の食堂、それが『BistroQ』です

 公式サイトにそう書かれている。店内のインテリアは「大人」が満足出来るだけのシックさをもっているが、「食堂」の気安さも兼ね備えている。その「気安さ」の部分はオーナー・シェフの人柄に負う部分が多いのだろう。「鉄板焼きフレンチ」という前例のないスタイルで多くのファンを獲得した山下 九さんの店は、不思議なバランスの上で成り立っていた。

 山下さんといえば、前述のとおり「鉄板焼きフレンチ」である。テレビ番組にも度々出演し「鉄板焼きの人」のイメージが強い。しかしオーナーとしてはじめて構えたこの店では、イメージの拡張に挑んでいる。目指すのは「オーダーメイドできるレストラン」。メニューにないものでもお客様からの要望があれば、どんどん作っていく。吟味した食材を相手に調理の腕を振るう。そのさまをカウンターキッチン越しに楽しんでいただこう、という趣向だ。

 ときおりわがままなお客様もいらっしゃるそうで、洋食屋だというのに「中華っぽい料理を作ってくれ」とか、二人連れの外国人客が「食べられない物リスト」を持参し、その組み合わせがパズルのようで頭をひねりながらメニューを考案し……、と他所ではとてもできないような相談にも積極的に応えているという。

「ビストロ」を名乗ってはいるものの、いわゆるビストロとは毛色が違っている。「おしゃれなフレンチ・レストラン」よりもふつうに美味しいものを食べてもらいたい、と考えているのだ。看板メニューも「フォアグラ入りハンバーグ」や鉄板で調理した「焼カレー」など、フレンチとはいえ誰もが知っている料理に独創的なひねりを加えたものだ。店内のレイアウトもダイニングバー風で、気取りがない。赤坂の福榎商店街という店のロケーションも、赤坂という街のイメージに反して慎ましやかである。看板メニューの影響もあるのか、お客様の比率は男性優位で、女性客がつれだって訪れる店とはちょっと様相が違う。

 山下さんの料理人としての原点は、漫画『美味しんぼ』にあるという。子供の頃から美味しいものが好きで、「家のうどんより関西のうどんの方が美味しいな」などと、食に関するアンテナを張っている子供だったそうだ。テレビ番組「料理の鉄人」に登場するシェフへのミーハーなあこがれもあった。しかしはじめから料理人を目指していたわけではない。大学受験を目指して浪人までしていたものの、バイク事故にあって三ヶ月間入院。この災難で受験に挑戦する意欲がなくなってしまったのが飲食業界に飛び込んだきっかけだった。

 もともと高校時代に飲食店でウエイターのアルバイトをしており、飲食という仕事には興味があった。当時山下さんは接客を担当していた訳だが、マスターが厨房に引っ込んでいるときに、自分ではなくマスターが表に立った方が店のためになったんじゃないか、もし自分が料理もできる人間だったらマスターを助けられたんじゃないか、という思いがあった。あの頃は助けられなかった、じゃあ、料理人を目指してみようか、と考えたのだ。

 本格的に料理人としてスタートを切ったのは、銀座にあった「チボリ」という店である。この頃は店のやり方をみながら「もっとこうしたらいいのに」と考えるような、勝ち気で早熟な部分があったという。

 その後、渋谷で新規出店のフレンチ・レストラン「モン・フィナージュ」に移籍。ここでオーナーシェフ・中村伊伸氏のもとで、料理のみならずワインの勉強にも励んだ。当時はバブルの影響もあり、ひじょうに忙しい時代だった。その分刺激も多かった。たとえば中村氏も在籍していたフレンチシェフの会「クラブ・ミストラル」だ。メディアで取り上げられる機会が多かったこの団体は面白いと思い、自分たちの代でも同じ趣旨の活動をやってみたい、と考えるなど、このときに吸収したことは料理に留まらず多岐にわたるという。

 その後、西麻布にオープンしたレストラン「ahill」で料理長に就任。コンセプト立案や物件探しも任されたこの店で、山下さんは大成功をおさめる。メディアにも頻繁に登場するようになり、人生が変わったという。

www.ahill.jp

 とはいえ「昔に比べて見た目は派手になってきましたが、料理は地味な世界ですよ」と山下さんには浮かれたところはない。

 その後2010年に「ahill」を離れ、35歳で「Bistro Q」を独立開業。とんとん拍子に思えるが、

「28で『ahill』を任されているのでオーナーになっても開業前との意識のギャップはありませんでした。しかし経営も何もわからないまま前の店がいきなり売れてしまったため、震災のときは困りました。リーマン・ショックの落ち込みがあって、その後でしょ。イベントやったり、DM送ったりという地味な努力と新しい挑戦で経営に変化を持たせようとしましたね。

 震災直後はラッキーな部分もあって、被災翌日は閉める理由もないのでなんとなく店を開けていたんですが、近所にあるホテルが休業した影響でうちが満席になったり。家族を帰国させて居残りを決めたアメリカ大使館の職員が、彼らとしては異例の男性だけの団体で来てくれたり。しかしすぐに厳しくなりました。あのときは近所にお住まいの方に救われましたね。そのあとテレビに出たりしたお陰で徐々にお客様が戻ってきてくださいました。あのときは悲壮感ばかりでなく、いろいろな経験をしました」と語る。

 多くの料理人がそうであるように、筆者の目には山下さんは厨房で叩き上げられた人、という風に映った。多くの人の心をつかみ、ながく活躍している人にはそれだけの裏付けがあるということなのだろう。

 BistroQ(びすとろきゅー)
オーナーシェフ:山下 九(やました ひさし)
東京都港区赤坂2-20-15 HAGAビル1F

www.bistro9.com