ども。檀原 (@yanvalou)です。
ブログ1発目の記事は旅行ログにするつもりだったのだが、いつまで経っても始められそうにないので、書きやすい記事から書くことにしようと思う。
4月2日に東京の吉原に残る最後の料亭で落語会を主催することにした。
いわゆる「席亭」という奴だ。
もちろん初体験である。
写真は吉原弁天
「昭和元禄落語心中」のお陰で、ここ数年落語ブームだ。
僕は「落語心中」を3巻が出た頃から読んでいるのだが、ここまでヒットするとは思ってもみなかった。
先日、新宿の末廣亭の土曜寄席(毎週土曜日の夜、500円で寄席が見れる)に足を運んだところ、寄席の遙か先まで行列していてびっくりした。
なんとか入れたから良いものの、日によっては最後尾あたりのお客さんにはお帰り頂いている日もあるかも知れない。
落語はおっさん臭がする芸能だと思っていたのに女性客も多く、なんだか大変なことになっていると感じた。
この落語会は、ブームにあやかって企画したわけではない。
(もちろん、ブームだから失敗する確率が低いだろうという読みはあった)
僕と落語の馴れ初めは後日、日を改めて書くつもりだが、ここではまず吉原と落語の関わりを紹介したい。
今回の企画は
吉原落語会イベント『廓話のたのしみ』
というのだが、身内の間では「郭落語の会」と呼んでいる。
この会のオンライン・チケットサイトに、僕はこんなテキストを載せた。
■廓話のたのしみ
遊廓跡の多くは下町にあります。下町の芸能と言えば、落語。遊廓と落語ほど筋が通った組み合わせはありません。
落語ファンの間では知られる通り、古典落語の演目のなかには「廓噺(くるわばなし)」と呼ばれる遊廓ネタがあります。ざっと数えただけで30以上。廓噺を聞くことで、私たちは落語と遊廓ののっぴきならない関係性に気づくことができます。
江戸の昔、東京には100も200も寄席があったといわれます。客のほとんどが男衆でした。そのせいでしょうか。男の桃源郷、吉原にも寄席があったというのです。
日本有数の廓でどんな高座がみられたのか、興味は尽きません。卑猥な艶笑噺がてんこ盛りだったのか、それともパチンコ屋の軍艦マーチのように景気のいい話がじゃんじゃん語られたのか。想像は高まります。場所が場所だけに、市中の寄席と少々ちがう演目が上演されたのではないでしょうか。
おっと、この時代の吉原には女衆もやって来たのだそうです。堅気の女性は普段は立ち入れませんでしたが、7月の玉菊灯籠、11月の酉(とり)の市のときは入ることが出来たとのこと。お目当ては斬新な着物や化粧、そして独特の賑わい。物見遊山で艶やかなものを愛でたという訳です。
その独特な様式美としっとりした風情から、しばしば遊郭は隠花植物にたとえられます。そこで花ひらいたのは、哀しみを伴った美しさです。
なかには憐れみを押しつける輩もいます。しかし人間のダメなところ、格好悪いところをカラッと描く落語は、変に憐れみを誘ったりはしません。難しい理屈ではないのです。
しょうもない若旦那や長屋の遊び人が失敗しながらも、逞しく生きていく。花魁も駆け引きやしたたかさを駆使しながら、どっこい生きていく。生きてりゃ御の字。
映画やテレビの吉原と、ひと味もふた味もちがう、落語のなかの吉原。
こんなことを考えながら、日本一の遊廓跡で落語会をひらくことにしました。遊廓跡に心惹かれる皆様に、吉原最後の料亭「金村」で廓の噺を聞いていただきたいと思います。(文:檀原)
こんな訳だ。
この会は大評判で、2月10日に販売をはじめ、昨日(3月5日)に60席が完売した。
当日まで一ヶ月以上早く完売するとは、予想外の動きだ。
じつは七福神巡りのコースがあるなど、江戸の情緒を色濃く残している町でもある。
桜咲く季節の吉原が楽しみだ。