メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

文豪の文豪たる所以は、同じ机に飽きずに座り続けられること?

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ども。檀原(@yanvalou)です。

単行本の再校作業中ですが、茅ヶ崎にある開高健さんのご自宅を訪ねてきました。
現在「茅ヶ崎市開高健記念館」として、毎週金・土・日の三日間限定で一般公開している建物です。

数年前にフロリダにある小説家ジャック・ケルアックの家を見学して以来、作家の自宅に興味があります。
有名作家というのは文筆業界のトップですよね。
トップの仕事場や生活環境というのは、そのまま真似するのはむずかしいとしても、色々参考になる部分が多いと思うのです。

たとえばヘミングウェイがスタンディング・デスクを愛用していたのは有名な話ですが、当時そんなことをしている人はいなかったと思います。
ところがシリコンバレーでスタンディング・デスクが注目され、「あの時代にスタンディングデスク? ヘミングウェイすげえ!」と海外では感心されたようです。
そんなヒントが作家の書斎や自宅にはあると思っています。

このタイミングで開高健記念館に行ったのは、気分転換で読んでいた『作家の家―創作の現場を訪ねて』(フランチェスカ プレモリ=ドルーレ・著 西村書店 2009年)をちょうど読み終えたタイミングで、実際に作家の家を見に行きたいと考えたからです。

これを読んで感じたのは、「欧州の作家は人里離れた森の中や片田舎など、人気のないところに住んでいる人が多いな」ということです。

創作を邪魔されたくない。
だから俗世と距離を置きたい。

そういう気持が伝わってきます。
それを端的に表しているのが冒頭のマルグリット・デュラス(映画にもなった「愛人 -ラマン- 」の原作者。フランス人)の言葉です。

家にいる時、人はひとりになれる。それも、家の外ではなく、家の中にいる時に。庭には、鳥や猫がいるから。
(中略)
私が今あるような作家であり、作家であったことを、自分自身に、また他の人たちにわからせるような本を書くためだ。いったい、どうやってそんなことが可能になったのだろう?どう言ったらいいのだろう?ひとつだけ言えるのは、ノーフルの地で味わうような孤独は、自らつくったものだということ。それも私のためにだけ。私が孤独になれるのは、この家の中しかない。書くために、それまで書いてきたのではないものを書くために孤独になる。すべては、自分にさえまだわからない本を書くためなのだ。
(中略)
孤独というのは、探し出すものではない。つくってゆくものだ。孤独はやがてひとりでに生まれてくるが、私がそれをつくったとも言える。なぜって、この場所でひとりにならなければいけない、本を書くためにひとりになろうと、私自身が決めたのだから。

開高健の家にも同じものを感じました。
現在は普通の住宅地になってしまいましたが、開高さんが暮らしていたときは辺り一面松林だったそうです。
海外の文豪のように静寂を好んだのでしょう。
当時、開高さんの自宅は杉並区井草にありました。お籠もりするために、わざわざ首都圏の人気のない場所に仕事場を買ったのです。
最初は純粋な仕事場だったのが、家族も茅ヶ崎に転居してきたため、開高さんは仕事場を増築。
建て増した部分を仕事部屋にします。

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ご家族が移ってくるまで仕事部屋だった場所。いまは展示スペース。
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カリブーの剥製。当時だからこそ持ち帰れたのでしょう。3メートルはありそうなへび皮が階段に貼り付けてあるなど、作家とは思えない野趣に溢れた家です。ベトナム戦争取材のときに携帯したジッポーコレクションなども展示されていました。

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仕事部屋ですが、興味を惹いたのはほかの部屋から完全に独立していることです。
一応廊下でつながってはいます。
しかし専用のキッチンやトイレを備えており、一度入室したら余程のことがない限り家族もふくめた外界との接触を遮断出来るようになっているのです。
徹底していますね。

「デスクの前は窓ガラス。その向こうが森」というパターン、『作家の家』で紹介された作家さんのなかでは割と多かったのですが、開高さんもこのパターンでした。

f:id:yanvalou:20180210022824j:image作家の家を見ていていつも気になるのが机の広さです。
作家によってはキッチンの片隅で書いたりもしているのですが、開高さんの場合は畳一畳よりも巨大な天板を持つ掘りごたつです。
掘りごたつ、集中出来そうです。
僕も普段は机で書いていますが、気乗りしないときや集中出来ないときはちゃぶ台で書いてます。

個人的に不思議に思うのが、お金に余裕のある大作家でも机はかならず一つと決まっていることです。
気分によって変えたりしないのでしょうか?

僕は気分を変えるため椅子を三つ持っていて、ときどき交換してリフレッシュします。
それから前述の通り、ちゃぶ台に場所を移したりもします。
もちろんカフェに行って書くこともします。

文豪の文豪たる所以の一つは、ホームポジションとも言える決まった机に飽きずに座り続けられることなのでしょうか。
だとしたら僕はまだ修行が足りないようです。

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記念館から5分も歩けば海岸です。
開高さんもここで作品の構想を錬ったのでしょうか。