メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

ライタースクールに行く意味はあるのか?(後編)

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ライター・スクールに行って驚いたこと

ライター・スクールに行って驚いたこと。
それは参加者の書く文章が、ものすごく上手いことでした。

一応その時点で僕は書籍を2冊出していましたが、クラスの他の生徒たちの方が明らかに僕より流麗なテキストを書いていました。ざっくり言ってクラスの生徒約10人の内、純粋に文章力だけで勝負したら、僕は下から3番目くらいだったと思います。
長い原稿を書くためのクラスでしたから、それ相当の人たちが集まっていたのでしょう。

しかし僕は悲観しませんでした。
というのも、ライターの実力というのは文章の上手さとは無関係だと分かっていたからです。
もちろん必要最低限の文章力は必要です。そこはクリアしていなければなりません。
しかしそこさえクリアできていれば、それ以上は求められないものです。
最上級の文章力が求められるのは小説などの文学の世界であって、ライターには不必要です。

今年(2017年)の4月1日に下北の書店「B&B」で以下のようなイベントが行われました。

登壇者の一人、ライターの田代くるみさんが開帳したエピソードは、ライター仕事の本質を如実に表しています。

田代さんはアニメが好きで、同人誌にも参加しているといいます。同人仲間の一人がライターの仕事に興味があるというので、ある日、声優のイベントを取材する仕事を振ったそうです。
するとライター経験ゼロのその友人は、並のライターよりもずっとクオリティーの高い原稿をあげてきたというのです。

つまり、そういうことです。
ライターの優劣を決めるのは文章力ではありません。
ストックしている知識の豊富さであったり、人脈であったり、対象に対する切り口や着眼点が重要なのです。文章の上手い下手は決め手になりません。

店舗取材だっていくらでもドラマチックに出来る

スクールの話に戻ります。

あるとき「どこか適当な店の店長にインタビューして原稿を書け」という課題が出ました。
インタビュー未経験者が取材する際に、店舗がいちばん取っつきやすい、というのが切通さんの持論で、この課題はどの講座でも毎回出しているそうです。

こういう課題の場合、たいていの参加者は店舗を経営している友人とか長年通っている地元の店などに話を聞きに行きます。
それはそれで有意義なことです。市井の人生は結構豊かなものですし、埋もれている人たちの中にこそユニークな物語が隠れているというのは世界の真理です。

しかし僕がやったのはまったくちがうことでした。
僕は横須賀に行って、親子二代に渡ってドブ板通りで米兵相手の飲食店を経営している人の所に話を聞きに行ったのです。
ほかの生徒たちがほんわかしたハートウォーミングな原稿を提出する中、僕の原稿だけ浮いていたのは言うまでもありません。他の生徒の原稿が日常生活に根ざしたものであるのに対し、僕の話はベトナム戦争とか兵士同士のケンカ話とか横須賀の都市伝説とか、そんな内容でした。
切通さんも含め、教室が魂抜かれた状態になったのが分かりました。
たぶんこんな原稿を出した生徒はいなかったんじゃないかと思います。

しかし「店に行って店長にインタビューしてこい」というフォーマットはきちんと踏襲しています。
それ以外の注文はついていなかったので、なんらルール違反ではありません。
ただ課題に対して想定外のアプローチをしたので、みなが度肝を抜かれたのです。

ちなみにこのときの提出原稿に加筆したのが、こちらの電子書籍です。

自慢話がしたいわけではありません。
ただライター業が内包する本質的な話をしたいだけです。
ライタースクール自体は他の生徒と自分を比較することで、「気づき」を得る場所だと思います。

実際、生徒にはユニークな人が少なからずいて、「現役カメラマンだけれどライター仕事もやりたいから」といって参加している人もいたし(彼の提出課題は面白かった)、新卒で出版社に入ったという新米編集者もいました。ふつうの勤め人もいましたが読書量が半端なく、頭が上がりませんでした。

たかが半年程度ですが、こういうメンツと毎回同じ課題に向き合っていると、さまざまな気づきが得られます。スクールの意義はこういう部分にこそあるのだと思います。

今回書いたことは、1文字=0.●円で仕事をする場合には関係ない部分です。
だからキュレーションメディアを主戦場にしているWebライターには響かないかもしれません。
とは言え、いつかなにかの機会で関係してくるかも知れませんから、いつか思い出していただけると書いた甲斐があるというものです。