メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

ノンフィクション書籍の新たな展開として、論文を書くのはありか?


ども。檀原(@yanvalou)です。

昨年の9月から次に出る書籍の執筆をつづけています。1年半くらいやっているので、いい加減マンネリ化してきました。

「開高健ノンフィクション賞」に出すために、3月の時点で一旦完成させたのですが、これからが本当の初稿で、二稿までやらないといけません。まだ先は長いです。

さて、それはそれとして、本を書く上で前々から不満に思っていたことがあります。
僕はノンフィクションの書き手なので、これは主にノンフィクションに当てはまる話ですが、取材や調査にえらく時間が掛かるのに出口が書籍しかないことです。
何年もかけて取材して、成果物が本だけ。
これってなんなんでしょうか?
あまりにももったいない。

調べたことを論文にしてみる

そこで今回は、調べたことを論文にしてみました。
僕は学会に入っていないので、普通であれば書いても提出する場所がないのですが、今回は違います。
第七回JICA海外移住「論文」募集に応募してみました。

www.jica.go.jp

しかも1本だけでなく2本。

  • 応募作品1:日本人と日系人は、いかにして遠ざかっていったのか――バディ・ウノの戦時体験を手がかりに
  • 応募作品2:同化願望と排除のジレンマ——戦前の日系アメリカ人とフラタニティー文化

2本とも日系二世のジャーナリスト、バディ・ウノ関連です。たまたまYouTubeで観てから6年も調べています。

www.yanvalou.yokohama

www.yanvalou.yokohama

2本目の「同化願望と排除のジレンマ」の方は、次の本の紙幅の関係でカットせざるを得なかったパートを仕立て直して論文にしています。
「本が厚くなると売れなくなるから」というあんまりな理由でページを割愛せざるを得なくなることが往々にありますが、大抵の場合、削った内容は闇に葬られます。もったいないですよね?
そういう訳で論文にしました。

 

破綻のない論文を書くのはむずかしい

論文調に書き直すだけなので数日で終わると目算していたのですが、9日も掛かってしまいました。まさかこんなに手こずるとは……。

理由は明確で、読み直すたびに些細な破綻が見つかり、それを修正するたびに深みにハマってしまったからです。
論理展開に破綻のない論文を書くのは、案外むずかしいものです。AIに推敲してもらったのですが、小さなほころびが後から後からみつかります。それを直していると新たな気付きがあって、また調べ直すことになり……と時間が掛かってしまうのです。

論文には典拠が必要ですが、先に論理展開の閃きがあり、あとから論拠となる論文を探さなければならないときなど、地獄のように大変です。

論文に求められる緻密さは、一般的な原稿とは段違い。しばしばライター業では薬事法に関わる医療関連の記事、あるいは求人広告の表現におけるレギュレーションが厳しいと言われるのですが、それどころの騒ぎではありません。
ただ今回の経験から、大学院で学んだ経験はない僕ですが、大学院生と勝負できそうな原稿が書けるという自信はつきました。

本を書くのは手間がかかりますが、出版しても多方面で展開できるわけではなく、せいぜいトークイベントをやる程度です。
エンタメ路線なら映画やアニメ、Tシャツや小物などのキャラクターグッズなどに横展開できるかも知れません。
でもノンフィクションは実話で実在の関係者がいますから、それはむずかしい。
しかし、論文という形でスピンオフさせるのはありなのではないかと思っています。

できればJICAの職員の方に気に入ってもらって、展示や講座などをやらせていただければと考えているのですが、そこまで実現できるかどうか。
結果を待つしかないですね。

論文を書くことだけでなく、他の展開のさせ方も考えています。
もっとも、金にはならないので鼻で笑ったり説教をしてくる年長者がいるでしょうけれど……手探りで色々試してみたいと思います。
自分の書いたものをアニメや映画にしたいと思うのって、金銭だけが目的じゃないと思うんですよね。
論文にするのも同じことです。

そういえば今年は開高賞もふくめて既に四つのコンテストに応募しています。
そちらで手いっぱいでまったくブログが書けていないのですが、折りを見て書いていこうと思います。

今回は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!