メケメケ

メケメケ

町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

首都圏版・珍日本紀行!東京の間近で水浴びを楽しむ牛の群れ その2

f:id:yanvalou:20201004112252j:plain
新型コロナウイルスの影響で遠方への旅行へ出かけづらい世の中となりました。そこで足元を見直す流れが出てきています。
東京圏在住だったら、関東近県の良さを見直すということですね。

今一度関東平野を眺めてみましょう。
意外な穴場や見過ごされてきたあれやこれやが見つかると思います。

前回に引き続き、2011年に『レポ』からのお蔵出しです。

牛の誤解を解いておくよ(2)〜危ない! 命がけじゃないか

 悪戦苦闘しながら、なんとか船体を航路に乗せる。今いるゲートボールのコートは常総大橋から比較的近いが、もう一方の端である長豊橋は上流に位置している。なので牛を探して遡りながら漕いで行く。ちょうど上げ潮になっていたようで、海岸線から50キロほども離れているにもかかわらず、川の水がゆるやかに逆流している。おまけに川面が波打っているが、川幅が広いせいか、比較的楽に移動できる。

 岸辺は延々一面の緑である。広々した空間を満喫。来てよかったなぁ。おっと遠くになにか見えるぞ。葦で組んだ漁師小屋らしい。一転ジャングルクルーズの様相を帯びてきた。はたして「幻の牛」は発見されるのであろうか。

 と、ある淵を越えたところで突然潅木がまばらになり、視界が開けた。そこに一群の牛たちが5メートル間隔で並んでいる。いた!

 先ほど一度牛の群れを見ているので免疫ができてしまったものの、川淵でくつろぐ牛たちの姿は印象的で、異国の風景を思わせた。ひとしきりシャッターを切ってみる。そしてすべるように接近。岸辺で休んでいた牛が一斉にこちらを見た。立ち上がった奴までいる。犬猫でもここまであからさまな反応はしない。ほとんど野生の王国並みの過剰反応である。

f:id:yanvalou:20201003120314j:plain
 すでに秋も深まっているため、水浴びしているのはホルスタイン1頭だけだった。額に鎖をぶら下げている。特別な牛なのかもしれない。広角レンズの画角にカヤックの舳先と牛が入る距離まで接近。「未知との遭遇」ならぬ「牛との遭遇」の決定的瞬間である。

 このまま上陸してスキンシップを試みるも、岸辺がぬかるみになっていて、ずぶずぶ足首まで埋まってしまう。牛までの距離が遠い……。彼らの視線が冷たい気がする。そんなこんなでもたもたしているうちに、ホルスタインは離れていってしまった。ああ。

 泥だけになりながらようやく草地に上陸。ここまでが長かった。

 再度スキンシップを試みようと挑戦。まずは撮影から、とファインダーを覗きながら何気なく干草を食む漆黒の1頭に近づいたところ、突然下から突き上げるような動作をされてびっくり。カメラ越しだと肉眼の数倍にもおよぶ異様な迫力があり、正直、「獲られた」という感覚があった。まさに命がけ。こいつが綱につながれていなかったら危なかったかもしれない。利根川で牛に襲われて死す、なんて泣くに泣けない死に方だ。

f:id:yanvalou:20201003114404j:plain

 それにしても牛はでかい。牝牛の乳房なんてサッカーボールより断然大きそうだ。家畜というと不潔なイメージがあるが、のびやかな蒼天の下で寝そべる牛たちは、獣臭も気にならず、飛び回るハエの影もなかった。

 むかしどこかの牧場で見た牛を思い出す。糸を引く滝のようなよだれ、忙しそうにハエを追うひょろ長い尻尾。ちっともかわいくなかった。しかし放牧牛はいい。精悍で精気に満ちている。人間の祖先は、よくこいつらを家畜にできたものだ、と思う。写真とるだけでもこれだけ面白いんだから、野生動物を狩ってた時代はすごいドラマがごろごろしていたに違いない。

 本日のノルマである「川からの撮影」は終えたが、「家路に帰る牛の群れの図」の方も是が非でも撮らねばなるまい。童謡の「夕焼けこやけ」ではないが、カラスが寝床に帰る夕暮れ時まで暇をつぶさねばらないのだろうか。