メケメケ

メケメケ

町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

地元ライターが提案!横浜のおすすめブックカフェ3選

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ども。檀原(@yanvalou)です。

以前気まぐれに書いた「横浜からブックカフェに行くとしたら、ここしかないでしょ?」ですが、一貫して高いアクセス率をキープしておりまして、2匹目のドジョウを狙ってみました。

www.yanvalou.yokohama

 

横浜西口の岡野の交差点から5分の距離にあった「喫茶へそまがり」が1番のおすすめだったのですが、閉店してしまった今、個人的にお勧めできるのは、以下の3軒です。

 

HEART BREAD ANTIQUE(菊名

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菊名駅東口から徒歩1分、 TSUTAYA菊名駅東口店内にあります。

なんと言っても、パンが本格的!

小腹に入れるためではなく、ちゃんとした食事になるようなきちんとしたパンが食べられます。

食べ放題コーナーがあるのもすごい!パン屋で食べ放題なんて初めて見ました。このベーカリーはチェーン店らしいのですが、他所の店舗も食べ放題完備なのでしょうか?

取材時のBGMはゆったりしたピアノ曲

仕切りの奥に並んだ2人がけの8つのテーブルは居心地が良いと思います。

何から何まで最高ですが、時間帯によっては、おばちゃんたちの話し声が気になるのがたまに傷。ドリンクもアイスとホットのコーヒーのみ(だったような)。壁の本棚はプリントです。本物ではありません。

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▼住所
〒222-0011 横浜市港北区菊名4-3-17
▼営業時間
9:00〜21:00
定休日なし

 

MiCKE book&marche(上大岡)

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京浜急行上大岡駅から旧鎌倉街道を南下。1972年から営業しているボーリング場「赤い風船(通称「アカフー」)」のリニューアルに伴い、おしゃれスポットとして開業しました。

書店「ブックスオークラ」店内にあって、ドリンクは種類豊富。長居するのにもってこいの椅子は高得点です。

フロアーの向かい側には雑貨店も。30種類以上のコッペパンが食べられる「ミッケパン」、約3,000アイテムの輸入ワインや食材を揃える「ミッケマルシェ」も完備。敷地内にはバッティングセンターやボウリング場、ダーツなどがあり、半日潰せます。

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▼住所
〒233-0002 横浜市港南区上大岡西2-1-28 アカフパーク本館 1F
▼営業時間
10:00〜21:00
定休日なし

 

Roof(大倉山)

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東急東横線大倉山駅から東京方面へ線路沿いに歩くこと数分。 右手の切り立ったコンクリート壁に階段道が穿たれています。そこを上ると、路地の角にお目当てのブックカフェがあります。

丘の上のリッチな邸宅の一部を住みびらきした店内には、ネット古書店frobergue(フローベルク))』 が選書した絵本やライフスタイル系の本が並んでいるそうです。

しかし場違いな感覚に足がすくんでしまい、入れませんでした。きっとこの辺りのサロンとして機能しているんでしょうね。

親子連れや奥様同士であれば、きっとステキな時間を過ごせると思います。高台だけあって、眺望は最高ですしね。若いカップルやオッサン1人でノコノコ行ける場所ではなさそうです……。

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▼住所
〒222-0003 横浜市港北区大曽根1-2-2
▼営業時間
11:00〜18:00
日・月・木曜休み

 

2019.08.02 追記

BOOK & CAFE NISHI-TEI

ここは実見していないのですが、間違いなさそうなので追記します。

大倉山の「Roof」同様、お店や商業施設というより「サロン」というべきスポット。蔵書は600冊とささやか。

ひとり3冊まで、2週間の貸し出しサービスあり(カフェ利用者限定)。

ヨガ、フラダンス、浴衣の着付けなどのワークショップも行われていることからも、ブックカフェという業態に囚われず、「集いの場づくりをしたい」という方向性が感じ取れます。

「Roof」や「NISHI-TEI」のような場所の存在が、横浜北部の特徴なのかもしれませんね。

▼住所

横浜市青葉区美しが丘西2−40−3
▼営業時間

10:00~17:30 (L.O17:00)
土日祝(その他不定休有り)
http://www.nishi-tei.com/Nishi-Tei

 

ここに上げたもの以外ということであれば、関内の「Archiship Library & Cafe」や「BankART Home」、中華街の「BOOKS & CAFE 関帝堂書店」が思い浮かびます。

しかし前者2者は建築や現代アート専門の、後者は中国関係限定の本が並んでいるため一般的とは言えません。ですから除外しました。

またTSUTAYA横浜店やみなとみらい店に併設されたスタバもカウントしていません。

東京都内のブックカフェに比べると、ちょっともの足りませんね。

誰か新たにオープンしてくれないでしょうか?


今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!


東京ブックカフェガイド


TOKYO本屋さん紀行 (TOKYO INTELLIGENT TRIP 03)


カフェ&ナチュラル素材集 (Topping Parts Book)

ヨコハマの魅力は「猥雑さ」なのか?

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ども。檀原(@yanvalou)です。

先日、伊勢佐木町の映画館「シネマリン」の館主・八幡さんと立ち話しました。

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同館はいわゆる独立系の映画館で、シネコンなどの大手が配給する映画ではなくミニシアター系の良作を上映しています。八幡さんは演劇が好きで、若い頃はアングラ劇団「黒テント」の大ファンだったといいますから、独立系の映画館を経営しているのもその流れなのでしょう。

さてその「黒テント」を主催していた演出家の佐藤信ですが、現在伊勢佐木町からほど近い場所で「若葉町ウォーフ」という宿泊施設付きの小劇場を運営しています。終電を気にせず稽古が出来、打ち上げも時間を気にせず楽しめるというありそうでなかった施設です。演劇界ではちょっとした話題になっています。

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そんな訳であこがれの人がご近所にやってきたものの、映画館の経営で忙しくなかなか「若葉町ウォーフ」に足を運ぶ時間が作れなかったという八幡さん。つい最近、ようやく佐藤さんとお話しできたとのこと。

そのとき八幡さんが「なぜ東京ではなく、横浜に拠点を作ったのですか」と訊いたところ、以下の三つの理由が挙がったそうです。

  1. ドミトリーつきで稽古場も兼ねた劇場に適した物件が都内で見つからなかったから
  2. 伊勢佐木町界隈の猥雑さが一発で気に入ったから
  3. 東京の町がどこも同じに見えてしまったから

確かに他所のひとたちが横浜の「猥雑さ」に惹かれた、という話は聞きます。
今や懐かしい作品ですが、林海象永瀬正敏コンビの「濱マイク」シリーズは、まさに「若葉町ウォーフ」界隈が舞台になっていた物語ですが、林監督も「猥雑さ」が気に入ったからこそ、この町を選んだと語っていました。

横浜といえば「おしゃれな街」というのが従来のイメージですが、ネットを徘徊すると「寿町」「黄金町」など怪しい街路で町歩きしたい、という物好きな若者が一定数います。

いっとき盛んに「昭和レトロ」という切り口で横浜が語られてた時期もありました。しかしいまや「おしゃれな街」ではなく、「ディープな街」という存在なのでしょうか?

ミナトや異国情緒の残影は遠く過ぎ去ってしまったようです。

最後に蛇足を1点。

佐藤さんがあげた3ですが、ちょっとちがうと思います。
最近、品川区とか江東区のような「運河の多い町」が面白いと思っているのですが、運河の多いところは古い時代の痕跡が残っていたり、労働者街だったりと、独特の風情を持っているケースが多いものです。

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例えば品川には昔の宿場町の痕跡が結構残っており、かつ少し外れると屋形船やコンテナヤードがあります。高層マンション、運河、モノレールが三位一体となった芝浦の風景に、なんともいえないペーソスを感じるのは僕だけではないでしょう。「どこも同じ」はないんじゃないでしょうか。

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今回の話は以上です。
またのお越しをお待ちしています。

ラスト1マイル問題を解決する自転車グッズ販売サイトの話

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Photo by Andrew Gook on Unsplash

ども。檀原(@yanvalou)です。

広く知られるとおり、ネット通販が広まるにつれて宅配業者の人手不足が深刻化しています。
その一方、業界用語で「ラストワンマイル」と言われる「商品を購入者の家まで運ぶ」プロセスがますます重要視される傾向が強まっています。

「終わりよければすべて良し」という言葉もあるとおり、お客様にお荷物を手渡しするその瞬間が、ネットによる買い物体験の印象を左右するからです。

しかしヤマト運輸をはじめとする運送業者があえいでいる状況で、ネット店舗は「ラストワンマイル」にどう取り組めば良いのでしょうか?

この難問に、シンプルな直球で答えた会社があります。
自転車グッズを販売する「A By Courio-City STORE」です。

store.abycc.yokohama

このお店は、僕の住む横浜ではちょっと有名なバイクメッセンジャーの会社「クリオシティ」が運営しています。
バイクメッセンジャーの会社が、自社でオリジナルの自転車用品を開発・販売しているのです。

hamarepo.com

「A By Courio-City STORE」がユニークなのは、注文時に希望すれば、通販で注文した商品を「クリオシティ」のメッセンジャーが運んでくれることです!
商品を開発した会社のスタッフが自ら商品を運んできてくれる……。
しかも、それは自転車で飯を食っている、プロの自転車便のメッセンジャー

最高の買い物体験ではないでしょうか?

今回僕が注文したのは、自転車用U字ロックのホルダーでした。
こんな袋に入った状態で届けられましたよ。

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中身はこんな感じ。

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自転車の廃チューブを仕立て直した製品です。f:id:yanvalou:20181102140654j:plain

写真を撮るのを忘れていましたが、自転車関係のタブロイド新聞も3号分入っていました。

この開発した会社のスタッフが、直接自宅まで商品を届けてくれるという体験。
なにげに最先端だと思うのです。

みなさんはどう思いますか?

本日は以上です。
またのお越しをお待ちしています。

 

 

【地域ブログ】これが横浜の3大人気ブロガーだ!

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Night view of Yokohama city in Japan: 横浜、夜景 / Nullumayulife

ども。檀原(@yanvalou)です。

Twitterでこんな投稿を見つけました。

僕の住む神奈川県をみると、載っているのは鎌倉の1件のみ!

Twitterでアンケートを採り、71票集まったデータを元にリストを作成したそうですが、母数が少なかったのでしょうか。

あんまりな結果だったので、今回のポストと相成りました。

地元民の肌感覚で選んだ【横浜の三大ブロガー】をご紹介したいと思います。

1. 在華紡さん

zaikabou.hatenablog.com

はてな村の住民の間でも知名度の高い在華紡さん。
横浜以外の世界でもっとも知られたハマっ子ブロガーではないでしょうか。
「週間はてなブログ」でも紹介されています。

blog.hatenablog.com

いまや地元のタウン誌、イベントなどでも散々露出しているプチ有名人です。
ブロガー対象のプレスツアーに参加するなど活躍の場も広がっています。

自然発生的に、こんな企画まで立ち上がっていますよ。
togetterからご紹介。

togetter.com

いわゆるブログ界のスターといえる人たちとは異なり、積極的に顔出ししていませんし、文章がものすごく長い!

ブログ名の漢字が難しくて読めない!

そしてジャンルは雑記ブログ!

という具合に、昨今の王道に囚われないスタイルで知られています。

リアルな場で何度か在華さんと会ったことがありますが、建設会社のサラリーマンらしい実直そうな人物です。

2. 恰幅さん

食べ歩きブログ「恰幅の良い彼の横浜B級グルメ」の運営者さんです。

こちらは公式サイト

taputapu.fc2web.com

「横浜中華街の穴場」「地元B級グルメ」「絶品ランチ」「魅惑のスィーツ」などを10年以上紹介し続けています
横浜の中区・西区・南区で知らない人はいないんじゃないでしょうか?
(どうでも良いことですが、この三つの区をつなげて「なかにしみなみ」というとアイドルの名前みたいです)

恰幅さんの正体は謎に包まれています。
小耳に挟んだ情報によると、「恰幅の良い」という割には太っていないとのこと。

恰幅さんはブログ歴が長く、2005年に「恰幅の良い彼blog」を開設。途中ブログの引っ越しを経て現在に至ります。

かつてファンが自主的に、このブログで紹介された店と地図とARを連動させたアプリを開発し、iPhoneApp Storeに出していた時期もありました。
ファンがアプリまで作ってしまう。
滅多にないことではないでしょうか?

3. ゴーヤさん

横浜の飲み屋街「野毛」について書き綴ったブログ「ゴーヤ泡盛の野毛日記」の運営者さんです。

plaza.rakuten.co.jp

久しぶりに見たら、更新が止まってました!(爆
でも代わりになる人がいないので、このまま紹介してしまいます(笑

「野毛」は東京で言うと、新宿ゴールデン街みたいな場所でしょうか。
戦後の闇市発祥の庶民的な飲み屋が並ぶエリアです。

ゴーヤさんは関内地区でローカル向けのイベントがあると見かけます。
性別不明なハンドルネームですが、女性です。

在華さん、恰幅さんとは会話(正確には恰幅さんとはTwitterのメッセージで)したことがあるのですが、ゴーヤさんとは挨拶程度しかしたことがなく、くわしい身元は分かりません。

ただいつもニコニコして周りに人が絶えないのが印象的です。


……そうそう。
ディープな横浜情報と言えば、ブログではありませんが、このメディアを外すわけにはいきません。

hamarepo.com

地元民も知らないようなディープな調査をするウェブメディアで、横浜市民が内輪受けのような感覚で読んでいます。
外部の方々が「横浜について突っ込んだことを知りたい、調べたい」と思ったとき、参考にすると良いのではないでしょうか。

立ち上げ時にスカウトされて、僕も1回だけ書いたことがあります。
ローンチ当時、スタッフは編集経験者ゼロ人で、あまりにも対応が酷かったのですぐやめました。
いまやすっかり地元の有名サイトに成長しています。
僕の黒歴史ですね。

実際には横浜を撮りまくった写真ブログとか、お店を紹介するお出かけブログなど、横浜ご当地ブログはたくさんあります。

たとえば写真ブログでお気に入りなのはここ。
プロミュージシャンでドラムとピアノを演奏するはげまるさんのブログです。

blog.goo.ne.jp

ただ住民間での知名度となると、最初のお三方に落ち着くのではないでしょうか。

以上、簡単になりますが、横浜三大ブロガーのご紹介でした。

追伸(2018.09.15)

このポストを見た恰幅さんがTwitterで反応してくれました。

そしてこの一言に激しく同意。

それからはじめて「はてな公式」Twitterアカウントで言及されました。
恰幅さんのフォローワーさんが盛大に見に来てくれたからですね。

ふだんは1日50PV前後なのですが、このポストを投下した日は200越えしました。翌日は更に増え、300に達しました。2日で10日分です。
恰幅さん、ありがとう!

今日の記事はここまでです。
またのお越しを、お待ちしております!

 

運河の町で赤潮に悩まされる

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ども。檀原(@yanvalou)です。

今回は短くサクッと。

今日の昼間、運河一帯の水面から強烈な臭気が立ちこめていました。
魚が大量に死んだときの匂い。
赤潮が発生したのです。

赤潮が発生すると運河も河口の湾内一帯も、水が赤茶色に濁ります。
教科書に出ていた赤潮の写真はピンクで綺麗でした。しかし現実の赤潮はとにかく臭気が猛烈で、水のそばには近寄れなくなります。

かんかん照りの炎暑の日の赤潮も最悪ですが、もっと酷いのは雨降りの日です。
死んだ魚の匂いが雨の匂いに混じって、街路一帯を覆うのです。
このときばかりは本当にウンザリしますね。

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撮影するとどうしても青空が映り込んで分かりづらくなってしまうのですが、水が茶色く濁っていることに気がついていただけるでしょうか? 

実家のすぐ近くに釣り堀があったのですが、その駐車場からもときどき同じ匂いが立ちこめていたことがありました。

一瞬実家にいた時代に引き戻されるような、鼻がもげるような不快な匂い。
本当にテンション下がります。
ウォーターフロントは良いことばかりではありません。
年に1〜2回、こんな日があります。
しかしこの手の情報が日の目を見ることはありません。

 今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!

生声:学生起業家から会社を買い取った社長の話

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個人的に興味を惹かれた方に会い、お話を伺うブログ内企画です。

原則として、檀原(@yanvalou)の地元を中心に考えていきます。

出だしの数回はブログにポートフォリオ的な機能を持たせるために、古いインタビュー記事から転載したいと思います。

第2回は「平均2週間でウェブサービスをつぎつぎ開発している」という株式会社オンザボードの和田憲治さんです。

※このインタビュー記事は2012年5月7日に取材した際の情報に基づいており、現在では異なる場合もあります。当時ボランティアで某Web媒体に寄稿した記事をそのまま転載(一部修正あり)しますので、文体が「である体」になります。

株式会社オンザボード代表取締役 和田憲治さん

「神奈川の IT ベンチャー」というと、その方面に詳しい人たちが思い浮かべるのは「面白法人 カヤック」である。一般にはまだ知名度が足りないかも知れないが、ネット業界ではよく知られた企業だ。「サイコロ給」「スマイル給」といった人を食った給与制度や、「旅する支社」という期間限定支社の開設などユニークなシステムで知られる。

 代表の柳澤大輔氏は取材でいつもこう聞かれるという。

「なぜ鎌倉が拠点なのですか?」

その答えは「海と山と寺(神社)があるから」なのだそうだ。

 日本は東京に一極集中している、と言われるが、本社を地方都市に置いた企業も少なくない。山口のユニクロ、広島のマツダ。静岡や愛知の自動車関係だって、地場に残ってる。

 しばしば京都の企業は本社を移転せず、京都に居続けるという。しかし横浜の場合はそうなっていない。日産は戻ってきたが、ほとんどの企業は東京に出て行く。

 横浜は東京進出への足がかりに過ぎないのだろうか。

 横浜で起業した IT ベンチャーの経営者はどんなことを考えているのか訊いてみた。

平均2週間の開発スピード

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 和田憲治さんが代表取締役を務めるオンザボードは、昨年横浜駅西口で創業した。

 取材のきっかけは「平均2週間という短期間でサービスをローンチし続ける」「従来のインターンなどとは違い、開発したシステムの著作権は学生に帰属する」といった謳い文句や、ディレクターの給与を Twitterfacebook のつながり度で決める仕組みを興味深いと感じたからだ。

 求人欄に上げられた「望ましい人物像」も惚けていて最高だった。

 曰く「サーバの構築、運用経験(ビールサーバ含む)」。

 オンザボードの特徴はなんと言ってもスピード感である。創業1年で9つのウェブサービスを立ち上げている(*現在稼働しているのは8つ)。とくに看板とも言える「Toksy(トクシー) (※現在は停止中)」は、3.11被災者の復興支援サービスだが、会社が立ち上がったのが昨年2月で、3月に震災が発生。そのわずか1ヶ月後にサービスインしている。

 このスピードはどこから来るのだろう。

「出来たばかりの会社だと世間からそれ程見てもらえるわけではありません。創業1年目ですから、どんどん新しいサービスを出してインパクトを出そうと考えました。

 2人のエンジニアで9つサービスインしましたが、開発スピードは平均2週間。開発はそれぞれ別個で、ほとんど一人でやっています。

 既存の開発は「会議、文章作成、仕様を決めてプログラムを組む」といった手順を踏みますが、当社では新規開発をする際、ホワイトボードに書きながら口頭で話して「さあ、行ってみよう」です。仕様書などを策定せず、いきなり走り出します。ほとんど1人でやっているから出来ることですが」

 開発で心掛けていることは「当てに行っても当たるものではない。何が当たるか分からないので柔軟に。自分たちで流れをつくることよりも、お客様に選んでいただく」ことだという。

「1番反響があったのは「Toksy」ですね。 最高で一日48万PV(プレビュー) 。いまでもアクセス数は多くてボランティア団体で話題にされます」

 この「Toksy」とは3.11被災者からの支援リクエストに対し、支援者が送料を負担し、直接物資を送るサービスである。支援者に一切メリットはないが、反響は大きく、多くの人が見返りを求めずにモノを送り届けたという。

「Toksy」の特徴は、被災者と支援者が個人対個人で直接メッセージと物資のやりとりをすることである。メディアからの情報ではなく、現地在住の被災者から直に話を聞くことで、無駄の少ない支援ができる。仕分けなどの手間もないし、特定の物資が必要以上に集まってしまう失敗も防げる。

「サービスは面白い発想でないとダメですね。『Toksy』は送料は送り主の負担なのに無料であげちゃうというのが面白いでしょう。(利用者にしてみれば)相手が分かってれば、送料あげてもいいか、と考えるようですね。発送に関しては配送会社と契約しています」

 とはいえ「Toksy」を利用するために送り主は写真を撮ったり、梱包したりする必要がある。実際の所、こうした作業は意外と面倒くさいものである。利便性が高いとは言えないが、「実際ニーズがありました。やってみないと分からないものですね。捨てるのももったいない。でも売っても二束三文。手元にあるそういう商品を活かせるからでしょう。『これからの価値観につながる』という評価を頂いています」

「Toksy」は被災者ばかりでなく、障害者や施設に入っている子供たちへの物資提供にも利用できるという。「ペーパーワークがたいへんでちょっとまだ進んでいないのですが、半年前から提携話があります」

買い物を通じて絆がつくれるサービス

 オンザボードが展開しているサービスは「Toksy」のほか、漫画に特化した蔵書管理とSNSWebサービスComicab(コミキャブ(※現在は停止中)」など多種多様だ。

「マネタイズまでふくめて、現在力を入れているサービスは何でしょうか?」

「二つありまして、ひとつはサーフィン情報サイト(ShareWave)。サーファーは波があるところに移動していくわけですが、情報共有が大切なんですよ。水から上がったばかりの人の声を拾えるような、もっと生のやりとりができないか、と考え改修してサービスを向上させました。

 もうひとつは体験型EC サイトの『COZOTY(コゾティ)(※現在は停止中)』。仲間と一緒に共同購入が出来るサービスです。従来のオンラインショップは、一人で利用する事を前提としています。友達と買い物を楽しむという用途には向いていません。『COZOTY』は友達と一緒に商品購入することを前提としています。 Facebookなどを通じて期限内に必要な人数に達したときだけ、決済が行われます。

 このサービスの面白いところは、物品だけでなく『体験も買える』という部分です。例えば10万円のワインを10人で買って、誰かの所でパーティーするとか。そのときパーティーに手品師を呼ぶ、なんてことも出来ます。カメラやってる人が美容院を借りてモデルの写真を撮るとか。みんなで共同購入して誰かにプレゼントを贈る、とか。

 配達先は1箇所にまとめますので、新たにリアルなコミュニティーが作れると思います。買い物を通じて絆を作っていける、あるいは絆を確認できるものをご提供できそうだと考えています」

 オンザボードがFacebookなどのソーシャルネットワークを介したサービスを開発するのは、なぜだろうか。

「『メールするよりも会って話しましょうか』という人はいますが、100人の人と一度に会うのはむずかしいですよね。でも SNS なら可能です。そういうことを仕掛けていきたいんです」

大手企業は力のある学生の受け皿になりきれていない

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 オンザボードは、学生起業家への支援を行っている。  

「現在のビジネスシーンでは、どんなサービスを立ち上げるにしても IT は欠かせません。飲食など一部縁遠い業種もありますが、大抵の場合 IT が絡んできますから、なんらかのアドバイスが出来ます」

 今年1月、オンザボードは学生団体「ジェネクト」と大学生の就職活動支援サービスを共同開発した。

「『ヒルカツ(※現在は停止中)』というサービスなんですが、facebook を利用した学生と社会人のマッチングサービスです。昼食という堅苦しくない場で OB/OG訪問が可能です」

 じつはオンザボードと同じオフィス内に「株式会社K2」という家庭教師派遣業者が同居しているのだが、この会社は和田さんが学生起業家から買い取った企業なのだという。

「在学中に会社を作った学生がいたんですよ。卒業するときに就職が決まったのを、私が買い取りました。いまは別の者にまかせています」

「独立した人間を作りたいな、と思っているんですよ。誰かに頼るのではなく、「お互いプロ同士」という自立したパートナーになれる学生が出てきてくれたらな、と考えているんです。

 弊社には大企業にいればかなり給料を取れる技術者が揃っています。自分で何とかしようとする人は何とかなるし、『助けてくれ』と声を上げれば支援がある、ということは知ってもらいたいです。自分の周りに『愉しんで仕事を作っていける人を増やしたい』という思いもあります」

 和田さんがこう考えるようになった背景には、自身のキャリアパスが関係している。

「最初は証券会社にいたんです。研修中は皆『将来は独立したい』と言っていました。しかし実際はなかなか独立できない。学生の内に本気で独立するかどうか決めないと(独立は)むずかしいんですよ」

 学生エンジニアへの支援も和田さんの関心事の一つである。

富士通などの大手であっても、技術のある学生の受け入れは少ないですよ。技術は日進月歩です。いわゆる『枯れた技術(こなれた技術。時間が経過し、トラブルが解決され尽くした技術)』は本になって出回っていますが、facebook との連携など、新しいことは本に書かれていません。堅実な技術の提供よりも、人がまだやってないことを先にやる、という部分が大切ですね。今だったら『web 上でスマホSNS をどう使うか?』とか。

 ゲーム会社さんが若手エンジニアを高収入で引き抜く。 例えば800万出す。でも5年後どうなっているかは分かりません。ゲームの世界では『任天堂 DS よりもスマホで遊ぶ』という状態が顕著ですが、5年前には考えられませんでした。さらに5年後ということになると、誰にも読めません。

 時代は流れが速いので、大人数で開発していると切られる可能性があります。これからは『大きい会社で大きいプロジェクト』に参加するか『小さい会社でぱっとつくって大きく』していくか、二択でしょうね」

 大企業での開発とベンチャーでの開発は、大分様相が異なるという。

「例えば i モードですが、開発人数と開発時間をものすごく掛けています。システムが落ちたらいけない、だからテスターを100人使う、とか。

 でも twitter はちがいます。良く落ちます。『先にこういう機能つけて』という部分を優先しているからです。未来予測よりも、今流行っているものをどれだけできるか。スピード勝負とマッシュアップ*複数の異なる提供元の技術やコンテンツを複合させて新しいサービスを形作ること)です。

 とはいえ、スピードで勝負しているのは自社で開発しているサービスに関する話で、受託業務では長期スパンで堅実に開発しています」

横浜で起業するということ

 さて、冒頭の疑問にもどろう。ベンチャー企業にとって、横浜で事業展開することは不利にならないのだろうか。

「最初は都内で起業しようと思っていました」と和田さん。

「横浜で起業した直接の理由は、3.11があって借りようとしていた事務所が空かなくなったからなんです。流れで横浜にしただけで、戦略ではありませんでした。

 とはいえ、もう15年くらい前から横浜に住んでいますが、どんどん発展しているし、ビジネスやるのにちっとも不便じゃない。渋谷まで電車で30分。車でも第三京浜はあるし、むしろ以前住んでいた吉祥寺の方が、高速がない分、不便かも知れません。中央線はしょっちゅう止まるし、朝の井の頭は大変ですしね」

 そうしてもうひとつ、横浜での起業は和田さん自身の趣味も反映していたようだ。

「じつはサーフィンやっているのも横浜が気に入ってる理由なんです。5時くらいに自宅を出て、6時に海に入って、8時に上がって、仕事。社名の『オンザボード』もサーフィンに由来しているんですよ」

株式会社オンザボード
2011年創業。 ソーシャルサービスを通じたウェブサービス提供、コンサルティング、ウェブサイト構築
 
営業所
〒221-0835 神奈川県横浜市神奈川区鶴屋町2-12-1鶴屋町第二ビル301

www.on-the-board.co.jp

 

生声:反骨精神旺盛な技術者集団の話

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個人的に興味を惹かれた方に会い、お話を伺うブログ内企画です。
原則として、檀原(@yanvalou)の地元を中心に考えていきます。
出だしの数回はブログにポートフォリオ的な機能を持たせるために、古いインタビュー記事から転載したいと思います。

第1回は日本で唯一モペットを生産しているフキプランニング代表取締役の畔柳富士夫さんです。

※インタビューは2012年5月9日に行われました。当時ボランティアで某Web媒体に寄稿した記事をそのまま転載(一部修正あり)しますので、文体が「である体」になります。

フキプランニング代表取締役 畔柳富士夫さん

保土ヶ谷バイパスを上川井インターで下りる。間延びした国道16号線。海軍道路。卸売問屋街やガレージ、倉庫といった無表情な建築と、のどかな田園風景がモザイク状に拡がる瀬谷区の郊外風景。取材先はその一角だった。

大阪の町工場が民間で人工衛星を打ちあげた話はよく知られている。個性豊かな技術集団である町工場の面目躍如だが、「運河とミナトの町」にもトップレベルの製作所がある。それが今回取り上げる「フキプランニング」だ。

代表取締役の畔柳(くろやなぎ)富士夫さんに話を伺った。

日本の商品開発に対する疑問を形にした

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FK310-LA II Sport。FK シリーズ発売15周年記念モデル

フキプランニングの看板商品であるモペット。開発の動機は日本の商品サイクルへの疑問だった。

「現在はバイクの値段がずいぶん高くなりました。バイク屋へ行くと15〜20万する」。その原因は、メーカーが若者に絞って商品開発するからだという。

「過激なパワーや装備、派手なデザインのバイクばかり。おかしくなった。
しかし、お買い物バイクや原付バイクを本当に必要としているのは、そういう人たちばかりじゃない。ほとんどの人はそこまで性能や装備を要求していないじゃないですか。ほんとにターゲットになる人たちが欲していないような装備までくっつけて、値段を高くして売る商売。そういうのがすごく目に付くようになってきた。
バイクだけではなくて、携帯などにもたくさん機能が入って、ほとんどの人は使い切れていない。
それで『バイクが売れない』とか、ちょっとそれはおかしいでしょう」

フキプランニングの FK310シリーズはそんな日本の現状に対するアンチテーゼなのだ。

「FK310シリーズは最小限の機能だけしか付いていません。あとはユーザーがライフスタイルに合わせて自分で追加すればいい。わざとデザインしないで、『これ以上簡素化は無理。これ以上は危ないよ』という形で開発しました。だから商品の原点となるような『ほんとに走るだけ』です」。

機能を絞ったため、初代のモデルは税抜き6万9800円で発売した。ちょうど電動アシスト自転車(14〜15万円)が売り出された頃だった。「その半分の値段なら衝撃があるんじゃないか」と思って価格設定したという。

フレームとエンジンは自社製だが、価格を下げるためタイヤ、ブレーキ、ブレーキホースなどは自転車の部品をそのまま流用しているそうだ。

「ブレーキホースなどは0.5円〜と『銭』単位の世界。自転車の部品は戦前からあるので、価格がこなれています。自動車やバイクの部品だとここまで安くないですから」

自転車の部品なのでパーツの入手も容易で改造しやすいというメリットも生まれた。「あくまでベーシックな製品なので、自己責任でいじって楽しんで欲しいですね」。

一見時代遅れにも見える無骨な FK310シリーズは、モペットと言うより「エンジン付自転車」と呼ぶ方がふさわしい。時流に媚びないこの製品に、大人たちが飛びついた。

「50代、60代の大人が『こういうのを探していた』と。ある一定の年齢になると、自分たちに合うものが売っていません。バイクにしても、オヤジが買っても『子供のを借りて乗ってるんじゃないか』と言われるものばかり。
戦後一時期モペット(当時は「パタパタ」と呼ばれていた)が売れた時期があったのですが、当時まだ子供で憧れて見ていた人たちが買ってくれます」

完全なハンドメイドで年間販売台数は150〜200台だという。

電動アシスト自転車と似ているので競合とみられていますが、うちのは免許とヘルメットが必要。だからちがいます。
電動から乗り換えるお客さまも結構いますよ。電動だと毎日バッテリーを充電しなくてはなりません。走行中、バッテリーが切れたら、いきなり動かなくなる。でもうちは混合ガソリンを入れれば、リッター43km 走りますから」。

FK310シリーズは発売15周年を迎えた。FK310 STDII はロングセラーで、14年間モデルチェンジしていない。

「こういうものは日本にはなかなかありません。そういうものをやりたいですね」。

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ポケバイは教育としてすごく良いと思う

畔柳さんは約40年前の1970年代、F1のプライベートチームに所属スタッフとして参加。「究極のプロスポーツ」とよばれる世界に2年間身を置いた。

欧州から帰ってきて独立し、その技術でサンプル代わりに開発したのが、一世を風靡したミニチュアサイズのバイク、ポケバイ(ポケットバイク)だった。

「おもちゃですが、レーシングカーの部品なので100キロ出ます。ポケバイで育った若者が、何人もワールドチャンピオンになっています」。

しかし当初は大人向けのおもちゃだったという。「車のトランクに入れて運ぶことを想定し、最初は大人にしか売らなかったんですよ。ところが顧客の一人が子供を乗せたら、ぴったりサイズだった。で、レースが流行るまでになりました。ポケバイには4〜5歳から乗れます」。

子供の教育にポケバイは向いているという。「子供たちは『自分は一番だ』と思っています。でもレースでバカスカ抜かれることで、自分のレベルを知るわけです。無茶をするとけがをしますが、練習すれば、追いつける。教育としてすごく良いと思いますね」。

子供はポケバイで派手な転倒をするが、転がるだけで叩きつけられないので、よほどでないと骨折しないという。せいぜい打撲程度だそうだ。子供の頃から乗っている子は、大きくなって免許を取っても無理をしない。そういう部分でも教育効果は高い。

「でもポケバイが流行らなくなって、バイクレースが廃れてきました。だから日本はレースで勝てなくなりましたね。バイクメーカーや協会が後押しするべきだったんですが、メーカーサイドは儲からないことはやらないんですよ。だからメーカーが手を引くとブームが去って行きます。
逆に欧州ではポケバイが定着して、ロッシュとかペドロサとかポケバイ上がりの選手が出ていますね」

ポケバイが廃れた根本的な要因は、日本にスポーツ文化がないからだと、畔柳さんは考える。

「欧州ではモータースポーツが、社会的に受け入れられています。60代のオヤジがレースに参加して、奥さんがタイム計って、という土壌があるんですね。日本の場合はすべてが勝負で「○○道」になってしまう。オリンピックも、向こうはスポーツ。日本は勝負。だから外国から見たとき『ちょっとおかしいんじゃないの?』という印象がぬぐえません。一度外から見ちゃいましたからね。それを『日本叩き』というのは、違うんじゃないでしょうか」

初めて道具の力に気づいてくれた

f:id:yanvalou:20170702013343j:plain長野オリンピック用にフキプランニングが開発したスケート靴

長野オリンピックの前年にあたる1997年。日本スケート連盟からオリンピック用スピードスケートシューズ製作の依頼が舞い込んだ。「本番までの残り時間が五ヶ月しかない」というギリギリのタイミングで畑違いの「スラップスケートシューズ」を作らなければならなくなった。

「連盟は、最初ロングはスラップ、短距離は従来の靴で、と考えていて、ショートのスラップ対策を全くしていなかったんですよ(※スラップスケートは特に長距離種目で威力を発揮すると言われていた)。

ところがオリンピックのプレシーズン(1997年)の試合で、海外のショート勢は全員スラップを履いていたんです。それで急遽、スラップの開発に手をつけたんです。

スラップスケートになると、靴の要求がいままでと違います。踵が外れるため、靴に剛性が必要になった。でもシューズメーカーにその技術がなかった。メーカーは名誉のためだけでは動きません。野球やマラソンのシューズはレプリカモデルが売れので、元が取れます。スピードスケートは商売につながりません。国内の競技人口が100人以下で趣味でやる人がいないからです。だからどこもやらなかった。

それでスピードスケート連盟がいろいろ探してきて、うちに来た、というわけです。『ドライカーボン』という世界でうちだけしか出来ない技術を見込まれたようですね」

スピードスケートはオランダの国技で、あちらでは趣味でやっている人が何万人もいるという。だから大手メーカーが競技用シューズを作っても、ちゃんと商売になる。アメリカではローラースケートが盛んだ。アイススケートの靴はそういうメーカーが作る。だからアメリカでもビジネスとして成り立つ。

スラップの導入当初、選手たちは海外の靴を履いた。しかし日本人の足に合わない。スラップは靴そのものがカーボンファイバーで出来ている。ちょうど木靴を履いているような状態だ。あわない靴を履いたまま激しいトレーニングをした結果、靴の内部を血で染める選手が続出した。

日本の選手たちは「靴に足を合わせろ」と指導されていた。ある日本のトップ選手は「道具に文句を言うと怒られるから文句を言ったことがありません」というのが自慢だった、という。道具を研究するという文化が日本のアマチュアスポーツ界にはない。道具を追求すると「逃げてる」と言われる。「自分に合った道具を探す、つくってもらう」という発想はあったかも知れないが、口にしてはいけなかった。

「スラップを履くとタイムが1秒程度早くなるんですが、人間が努力すると短縮するのに15年くらい必要です。これで初めて道具の力に気づいてくれましたね」

畔柳さんは清水宏保堀井学、楠瀬志保のシューズを制作したそうだが、依頼を受けたときはまだ出場選手の選考会前。候補選手は70人もいた。靴になじむために練習時間だが、余裕がない。それこそ1ヶ月以内に靴を提供しなければならない状態だったという。

「男子500メートルで優勝した清水宏保さんの靴が出来たのは、大晦日ですよ(本番の一ヶ月前)。最終的には靴全体ではなく、革の部分だけ担当しました。靴底の部分(カーボン)は『東京R&D』の担当です。選手が本番で履いた靴は『スリーエス(SSS)』という会社のものでした」

畔柳さんは欧州のプロスポーツと国内のアマチュアスポーツのギャップにびっくりしたという。

「ほとんどのアマチュアスポーツ界は何年かに一度スター選手が出てくるのを待っている状態でしょう。フィギュアはジュニアから育てるようになってきたけど、他は一貫性のある教育がなかなかできない。場所によって教え方が違うと選手は戸惑うでしょう。国がアカデミーやクラブを作って一貫性のある教育をすべきですね」

「ほとんどのスポーツのコーチや監督は何の資格も持っていない。免許制度がない。おかしくなくないですか?」

残念なことに、いまはレースにあまり関わっていないという。自分たちとは相容れない人たちが多いからだ。

「型にはめた教育とマスコミの姿勢を正さないとね。我々が子供の頃は、学年に一人くらい訳の分からない先生がいたんですよ。そういう先生に当たった子はラッキーですよ。教科書に書いてあることは自分で家に帰ってから読めば良い。本来は本に書いていないことを教えるのが学校でしょう」

「子供がスポーツに夢を見なくなったら終わり。夢を持てる環境を作ってあげないと」
世界を相手に、スポーツの世界に関わりつづけてきた畔柳さん。ぼくらの地元には、こんな人物もいるのだ。

(有)フキ・プランニング
1975年創業。 主にエンジン付自転車「モペット」の製造・販売や自動車関連の試作品制作を手がける。
〒246-0002神奈川県横浜市瀬谷区北町43-18

www.fuki.co.jp