メケメケ

メケメケ

町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

「どこかに所属することが性に合わない」という元バンドマンが会社を立ち上げた話

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2015年7月9日に取材した東京のセールスプロモーション会社「HITScompany」の紹介文です。
お蔵入りしていたものを蔵出しいたします。
取材文のサンプルとして御覧下さい。
記事の内容は取材時のものです。

 セールスプロモーション(以下「SP」) という業種がある。日本語では販売促進。消費者に企業の製品を知ってもらい、購入に結びつける宣伝活動のことだ。景品・試作品の提供、街頭キャンペーン、ビデオやポップなどをつかった売り場での陳列、販売店での無料体験コーナーの設置などさまざまな方法がある。マスメディアを使った宣伝広告もSP の一環である。

 東京・目黒に本社を構える「HITScompany」は、このSP に特化した企業だ。柱となる業務は、ショッピングセンターなどのブースで通信機器の販売促進をすることである。高速通信でおなじみの WiMAX などを、来店客に紹介。使いやすさや性能の良さをアピールして購買につなげるのだ。

 通常こうした業務ではアルバイトを派遣するイメージがある。しかし「HITScompany」では自社雇用の正社員を派遣しているという。今時の企業にしては珍しい。なんだか古き良き日本企業の姿を見るようだ。

 社員が店頭に立つ場所は1日平均10箇所。毎日違う場所に派遣するため、1月で300箇所程度カバーする計算になる。ほかにノウハウをシェアしているパートナー企業が十数社あるので、1年間でカバーする店舗数は膨大な数に上る。

 創業社長である吉澤卓郎氏に、SPの面白味を訊いてみた。

「SP は店舗を持たずに、既存の人が集まる場所に行く仕事です。集客がある場所と繋がりがありますから、新しい商品が入ってきたとき、適所で販売出来ることが強みですね。つづけていくことで拡がりが出てくる仕事です」

「HITScompany」が得意としているのは、新しいライフスタイルを提案することで商品に関心がなかった層を取り込み、顧客としてしまうことだ。いわばまったくの新規開拓である。

 同業他社の多くはターゲットとなる顧客のうち、7割を類似商品からの引きはがし、3割を新規開拓としている。しかし「HITScompany」の顧客割合は逆だという。ボリューム層は新規開拓だ。

「他社が出来ないことをやらないと生き残れません。社員たちと『新規開拓』と言い続けて少しずつ出来るようになってきました」

 継続は力なり。長く残ってくれた社員が軸となってノウハウを蓄積し、後輩たちに伝えることで会社全体の力が向上したのだ。

 吉澤社長は人と人との繋がりの重要性を理解している。したがって情報は社内ですべてオープンにしているそうだ。

 そのきっかけとなったのは、創業2年目の危機だ。同社の創業は2009年の3月。前職で SP を6年ほど経験していた吉澤社長は、当時日本でも販売がはじまっていたウォーターサーバーに手応えを感じ、数名の仲間と会社を立ち上げた。しかし創業2年目に入ると売上が上がらず、会社は危機を迎えた。

「そのとき会社の現状を社員たちに正直に伝えたんです。当時はまだ7、8名しかいない状態でしたが、『未来は見えている。ここだけ乗り越えればいける』と言って鼓舞しました。社員が一丸となってくれたお陰で乗り越えられたんです。あの危機を凌ぎきったことで、なにがあっても揺るがない強さを手に入れました。これがうちの強みになっています。良い転機になりました」。

 同社は独立も支援している。すでに3人の社長が誕生し、同社のパートナー企業として辣腕を振るっているという。

 現在同社が力を入れているのが、国内Wi-Fiレンタルの「カシモバ」だ。一時帰国中の日本人や来日観光客向けのWi-Fi 機器短期レンタルサービスである。

 もともと同社ではモバイル機器のSP を行っていた。あるときお台場で中国人観光客がブースのモバイル機器を指差し「レンタル、レンタル」というので試しに小さく始めたところ、かなりの反響が得られたのだった。

「在庫切れでどんどん追加発注している状態です。一般消費者だけでなく、法人からの申し込みもあります。電話対応がネックになるので日本語のサービスしかしていませんが、日本語の出来る海外の方からもご利用頂いています」。

 現在は経営者として会社を切り回している吉澤社長だが、元はバンドマンだったという。高校卒業後、上京してドラムを叩いていた。あるとき有名ミュージシャンのプロデュースでアルバムをつくったのだが、どうもしっくりこない。そのままバンドを脱退し音楽から足を洗った。就職も考えたが、どこかに所属することが性に合わない。SP の会社で責任者として3〜40名の面倒を見つつ、大学の通信教育で建築を学んでいたという。しかし単位を半分くらい取ったところでウォーターサーバーに商機を見いだし会社を設立。今に至っているのだそうだ。

「社員には『枠に囚われなくていいぞ』と言っています」という吉澤社長。大胆な転身を恐れない生き方からは学ぶことが多そうだ。

(株)HITScompany(かぶしきがいしゃ ひっつかんぱにー)
社長:吉澤 卓郎(よしざわ たくろう)
〒153-0064 東京都目黒区下目黒1-3-27 アセンド目黒ビル6F
https://www.hits-company.co.jp/

www.hits-company.co.jp

 蛇足になりますが……吉澤社長のバンド、ぜったいにビジュアル系だったと思います。顔が濃くて、一度見たら忘れられないくらい強い印象が残りました。なおトップ画像は著作権フリーのイメージ画像です。

作品作りをする前に入念に話し合う。そんな絵画教室の話

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2015年7月3日に取材した茅ヶ崎の絵画教室「コッテ」の紹介文です。
お蔵入りしていたものを蔵出しいたします。
取材文のサンプルとして御覧下さい。
記事の内容は取材時のものです。

「作品作りをする前にものすごく話し合いをします。自分はなぜこういった表現がしたいのか。楽しく描くためには、よく考えます」

 茅ヶ崎の自宅で絵画教室「コッテ(スウェーデン語で「松ぼっくり」の意)」を主催する後藤てるみ先生は語る。「コッテ」では「自分がやりたいことはなにか」について徹底して考えさせる。受講者は大人の割合の方が多い同教室だが、この方針は大人にも子供にも適用しているという。

 たとえデッサンする場合でも、この姿勢はおろそかにしない。構図や背景を含めた光の設定についてなど、徹底して話し合う。

 ガラス瓶ひとつ描くにしても、描き手のしっくり来る構図・色合いがあるので、自分のルーツを自覚することは大事だ。自分のなかの必然性がはっきり自覚できた方が、いい作品が出来るからだ。制作時間がながいと途中で気が乗らなくなることがあるが、作品と自分の関係が明確になっていればそうした危険性を回避することも出来る。

 この話し合い重視の原体験となっているのは、武蔵野美術大学3年次に体験したスウェーデンでの生活だった。日本ではとにかく手を動かすことを教えられたが、スウェーデンのアートカレッジで目の当たりにしたのは話し合いとプレゼンテーションを重視した美術教育だった。「コッテ」で先生が教えているのは、まさしく欧州流の教育なのである。

 講師が生徒のことを分かっていないと間違った指導をしてしまい「こんなはずじゃなかった」という悲劇に陥りかねない。だからピンポイントで的確な指導できるように、講師である私もあなたのことを知りたい。それが後藤先生のポリシーだ。

 出口が違えば、教える方向も変わってくる。

 ときどき「絵を描く力を仕事に活かしたい」という受講者がいる。しかし出口をアートに置くのか、それとも商業デザインを目指すのかによって、デッサンひとつとっても大きく違ってくる。アート指向の場合は「1枚の作品にする」ことに重点を置く。背景が暗闇だったり、ハイライト気味だったり、点描画で仕上げたりする。一方商業デザイン指向の場合は、背景は余白として空けさせ、とにかく見た物を見たままに、リアルに描写することをベースに指導する。

 ちなみに「コッテ」ではデッサンは美大受験と同じB3の画用紙に描くことが多い。受験のときの制限時間は6時間だが、コッテでは約8時間。しっかり時間を決めて、効率よく取り組む。

「最初に『すごく訓練された人で6時間の作業です』と説明します。終わらなかったら1時間ずつ延長して納得するまでやってもらっています」。

 話を聞いているだけで、教室の凛とした空気が伝わってくるかのようだ。

 話し合いと並んで後藤先生がこだわっているのが、「いろいろな作品を知ること」である。

「一口に『良い作品』と言われても具体的にイメージできないことが少なくないので、画集を見せながら授業をしています。画集はたくさん置いていますので、参考にしてもらっていますね。国内で開催されている展覧会のチラシも教室の壁に貼っています」。

 チラシは目玉になっている作品がセンスよく紹介されていることが多いので、見ていると勉強になるのだとか。併せて美術館へのツアーもミュージアムと連携して行っているという。

 さて作品を制作する動機や必然性を生徒に考えさせることを旨とする後藤先生だが、自身が絵画教室を運営する動機はなんだろうか。

 先生の根っこにあるのは「教室でもお店でも形にはこだわらないが、社会と繋がっていて、自分でトータルコーディネートできる空間が欲しい」という気持ちだという。アートスクールではなく、レストランやベーカリーの経営を志した時期もあるそうだが、最終的に武蔵野美術大学の油絵学科卒業で学芸員の資格保持者という経歴を活かして、絵画教室を始めたのだという。

美大時代は純粋な表現欲求を念頭に『美術とは何か』『アートとは何か』がテーマでした。当時の日本のアートシーンや、美術大学の授業形態自体に遅れを感じ、学生を集めて自分でアーティストトークや現代美術会議を開いたり、都内の主要なアートギャラリーを廻るツアーを開催していました。それと並行して、捨てられた板に吐き出すように思いっきり描いたり、パフォーマンス、映像、写真などあらゆるメディア(媒体)をつかって、『新しさ』を追求してつくりまくってました」

 しかし現在の後藤先生は、自分がアーティストになることばかり考えて生きていくことには価値を見出していない。教えることをベースとしながら、ゆくゆくはアートスポットとして「コッテ」から情報を発信していくことを考えているそうだ。

 後藤先生は、アーティストとして表現をつづけることと教室を運営することは、同じ地平線上にあるものだ、と語る。海の町、茅ヶ崎のアート拠点。茅ヶ崎は毎年若い移住者が増加しており、オシャレな雑貨店やカフェも多い。アートに対する需要や関心は潜在的に高そうだ。

 あなたが湘南在住なのだとしたら、後藤先生の活動を間近に見ながら、絵を通して自分への理解を深め自己表現を深化させていくことが、地元に愛着を持つひとつの方法になるかもしれない。

絵画教室コッテ
主催者:後藤てるみ(ごとうてるみ)さん
神奈川県茅ヶ崎市
http://artschoolkotte.tumblr.com/

artschoolkotte.tumblr.com

地中海地方を彷彿とさせるベンガラ色の街並みを訪ねて

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ども。檀原(@yanvalou)です。

岡山の山間にある村に取材に行きました。
通常であれば事前にアポ取りしていくのですが、このときの取材は実話系の仕事で10年前に一度電話口で断られています。
今回は予告なしで直接伺いました。
日曜日だったのですが、ご主人は外出中。
時間を置いて二日間にわたり、計6回ほど電話したのですが、連絡が取れず。
そこでご主人が帰宅しそうな時間を狙って、再度アタック。10年越しの念願が叶って見事、話が出来ました。

人から聞いた情報、電話での印象から田舎くさい人物を想像していたのですが、ご夫婦とも美男美女で都会の文化人みたいだったのでびっくり。
西日本の田舎は結構洗練されており、関東から行くと驚くことがあります。このときもそうでした。
ご主人は60歳くらいでスキンヘッドだったのですが、かつての映画スター、ユル・ブリンナーの機嫌がいいときを彷彿とさせるかっこよさ。
実際会ってみないと分からないものです。
今回の取材は立ちはだかる壁の一つだったので、お礼を言って門を出たときは天にも昇るような高揚感に包まれました。取材の醍醐味という奴ですね。

そんな取材の待ち時間、ご主人が帰宅するまでの時間を使って、県の西南部にある高梁市の「吹屋ふるさと村」を訪ねました。

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岡山で街並みが美しい場所と言ったら倉敷の美観地区の名前が挙がると思いますが、個人的には吹屋の方が圧倒的に印象深かったです。

ただし交通の便が悪い。高梁市内から車でかなり移動しなければなりません。ローカルバスでの移動は無理だと思います。
ふるさと村近くのパーキングで会話した熟年夫婦も「遠いですよね。わたしたちも“いつまで経っても着かないね”、と言ってたとこなんですよ」とぼやいていました。

しかし山深い辺鄙な場所にあるからこそ、この景観が守られたと言えるかもしれません。ほとんど隠れ里のようなロケーションですからね。

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地中海地方の写真を見ると、同系色でまとめられた美しい街並みに心が震えることが少なくありませんが、「吹屋ふるさと村」を訪ねれば同じ体験が出来ますよ。

今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!

多忙につき…そして森の中の生活

ども。檀原(@yanvalou)です。

「くるわ落語」終了後、多忙続きで完全にブログがお留守になっていました。

というのも別のイベントを制作中で、プライベートな時間がまったく取れないからです。
現在制作中のプロジェクトは演劇やダンスの野外公演にトークイベントを絡めたもの。
僕の家のすぐそばを流れる運河をたどっていったエリアが会場です。

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公式サイトはこちら

www.hijikata1960.yokohama

イベント詳細についてはリンク先をご覧ください。
目玉のひとつは、「アントニオ猪木 vs モハメッド・アリ戦」のプロモーターである康芳夫(こうよしお)さんが参加してくれること。

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後日詳細をアップしたいと思います。

現在は制作の仕事の合間を縫って岡山を取材旅行中です。
下の写真は取材中の一コマ。
岡山を拠点に活動する落語家の雷門喜助師匠のお宅にお邪魔させていただいたときの様子です。

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こちらは近日中にWebに記事が公開されるはずですから、ご期待ください。
(これから書くんですけどね……)

 

今朝はこんな森の中のホテルで目が覚めました。
こんなところに連泊しながら、滞在執筆するのがあこがれです。

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取材旅行はもうしばらく続きます。

 

第2回くるわ落語の会@吉原 終了

ども。檀原(@yanvalou)です。

昨日東京・吉原で第2回目となる「くるわ落語の会」を開催したので、その後報告です。

……が、今回は手抜きさせて下さい!
各所から引用・転載します。

ちなみに前回の様子はこちら。

www.yanvalou.yokohama

今回は「くるわ話と怪談」というテーマで、古典落語の「反魂香(はんごんこう)」をフィーチャーしました。

あらすじ:隣の部屋から毎晩聞こえてくる叩く鉦(かね)の音がうるさいと、文句を言いに行った八五郎。部屋の主は坊主だが、島田重三郎(後述)が出家した姿だという。
 坊主は八五郎の目の前で、反魂香を焚いてみせる。すると煙の中から死んだはずの高尾太夫の姿が現れる。これを見た八五郎は、三年前に死んだ女房に会いたいと反魂香を欲しがる。

解説 :「反魂香」とは中国で言い伝えられるお香のこと。死人の魂を呼び戻して煙の中にその姿を見ることが出来る、とされます。
 仙台藩3代藩主・伊達綱宗は郭好きで知られており、吉原の遊廓・三浦屋の抱え遊女「2代目高尾」を身請けしたと言われます。ところが高尾は夫婦のちぎりを交わした男、島田重三郎に操を立てて心を許しませんでした。逆上した綱宗は高尾を裸にし、隅田川三ツ又の船中で吊し切りにして首をはねた、と言います。
「反魂香」はこの俗説を元にした上方落語「高尾」を江戸前にした作品です。幽霊は出てきますが純然たる怪談噺ではなく、むしろ滑稽噺と言えるような演目です。

ぎらぎらしたソープの町のイメージが強い吉原ですが、落語の帰りにふらりと立ち寄りたくなるようなスポットもあります。

なんと、おしゃれなお土産屋さんまでオープンしたんです!tomagazine.jp

今回のイベントを共催した遊郭専門書店・カストリ書房さんを忘れてはいけません。
お盆明けに少し離れた旧お歯黒どぶ沿いに移転するそうです。

そんなこんなで、第3回くるわ落語をやるときは、よろしくお願いいたします。


今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!

インタビューと謝礼問題、再び

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ども。檀原(@yanvalou)です。

以前「インタビュー相手に謝礼を払うべきか」という記事を書きました。

www.yanvalou.yokohama

その時も書いたことですが、僕は謝礼を払ったことはありません。
しかし Web出身のライターさんたちは「払うのは気持の問題」「礼儀でしょ」と考えているようですね。

どうも感覚違うな、と思っていたところ闇金ウシジマくんで知られる真鍋昌平さんとホリエモンの対談記事を目にしました。
真鍋さんはしばしばその筋の人たち相手に取材するそうなのですが、やはり謝礼は支払っていないとのこと。

cakes.mu

もっとも真鍋さんの場合は、反社会勢力に下手に金銭を渡してしまうと法的に問題が発生したり、「金づる」だと思われて後々面倒なことに巻き込まれるリスクを考慮しているのかも知れません。
ご本人に確認しないと分かりませんけどね。

僕はいままでに何度か「取材相手から酒や食事を奢られる」という経験をしています。
それは「良い記事を書いて欲しくてヨイショされた」などというものではなく、「タニマチになってくれた」という感覚だと思います。
「珍しい仕事している奴に会ったから、ちょっと奢ってやった」という感じでしょう。
この仕事をつづければ分かりますが、そういうこと、たまにあります。

たまたま今日はある大学教授に取材してきたのですが、手元の資料を大量にコピーして頂くなど、随分親切にして頂きました。しかし先方は謝礼のことなど考えてもいないようでした。
(気持ちよくお世話になりました)

1970年代に人気を博した伝説的な雑誌『平凡パンチ』の創刊編集者だった赤城洋一さんの回顧録『平凡パンチ1964 (平凡社新書)』(平凡新書 2004年)には、こんな一節があります。

放送作家前田武彦の口上は、もっと理にかなっていた。
「電話取材って、原稿料タダなんでしょ。僕たちは原稿用紙にたとえ200字でも、書けば原稿料貰えるんです。字数を言ってくれれば、僕は原稿書いて電話で送ります」
前田武彦のコメントが欲しかったので、石橋デスクに行って相談したら、
「新聞記者がインタビューして、いちいち原稿料払っているか?  雑誌も同じだ!」
と一喝されてしまった。(91ページ)

謝礼に関して、あまり悩む必要はないんじゃないでしょうか。

今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!

暇潰しや待ち合わせ場所としても利用される鎌倉のクラフトショップの話

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Photo : ron riggs www.flickr.com
2015年7月3日に取材した鎌倉のレザークラフトと彫金のショップ「Dahliacyan」の紹介文です。
お蔵入りしていたものを蔵出しいたします。
取材文のサンプルとして御覧下さい。
記事の内容は取材時のものです。

 人気観光地・鎌倉の顔とも言える鎌倉の大仏様や長谷寺への道すがら。由比ガ浜大通に「六地蔵」という、その名の通り赤い前掛けと頭巾を被ったお地蔵さんが6体並んでいる辻がある。レザークラフトと彫金の工房兼雑貨店「ダリアシアン」は、そのお地蔵さんの向かい側で営業している。

 ガラスの扉を開けると、3代目看板犬でフレンチブルドッグのポワンが出迎えてくれた。

 水色にペンキ塗りした壁に手縫いの革製かばんがぶら下がる。それを取り囲むゴシック調の額縁、鹿の頭蓋骨。英国アンティーク調のドローワーや棚と、そこに並べられたこぶりな雑貨たち。ソープディッシュ、ソーサー、時計、鈍色の古い鍵、燭台、トランペット、ランプシェード……。部屋の隅に置かれたクラシカルなソファーも、ブリキのバケツも売りものだ。インド製らしき英国調の家具や日本製のコレクターケースも混じっているそうだが、まったく違和感がない。こってりしたヨーロッパ調と素朴なウエスタン調がほどよく入り混じったインテリア。スタイリッシュだ。茶色、黒、水色、えんじ色と色数を抑えて配色しているので空間に落ち着きがある。

「こだわったのは突き当りの壁一面に貼ったウィリアム・モリスの壁紙ですね」と代表の浅井幸代さん。

 この壁が程よいアクセントになっている。

「店を作るのが好きで、『店を作りたいがために店を作った』という感じです。内装やインテリアは好きなようにしていたら自然とまとまりましたね」とパートナーの浅井充志さん。

  店の内装は大工さんに2週間働いてもらった後、同じく2週間かけて自分たちで仕上げたそうで、並んでいる商品のみならず、店そのものも作品だ。浅井さん夫婦の言葉を借りれば「趣味の塊」の空間ということになる。

「いまは壁にかばんがいくつもかかっていますが、最初のうちは店作りが忙しくて商品がなかったんですよ。かばんも数個だけでした」

「ダリアシアン」の歴史は2004年に遡る。ご夫婦の前職はグラフィックデザイナー。別々の会社で働いていたが、結婚して幸代さんが仕事をやめた際、「趣味でやっていた革細工をもっと真剣にやってみよう」と一念発起。初めはデザインフェスタへの出展で満足していたのが、そこで知り合った人たちとファッションショーをやるなど、どんどん作品を世に出す機会が増えていった。やがて充志さんが革細工の彫金部分を担当するように。そうした活動を4年ほどつづけたあと、藤沢に店を構えたのが2004年だったのだ。

 今はなき藤沢の1号店は内装も工事も完全に2人きりで仕上げたのだという。その後鎌倉に出店し、1ヶ月半かけて物件をセルフリノベートした。周囲からは「まだ完成しないの?」と心配されたそうだが、自分たちで手を動かしながら居場所を作っていく感覚が心地よかったのにちがいない。

 ご夫婦のハンドメイドクラフト歴は15年だそうだが、教室に通うようなことはせず、ずっと独学で学んできたという。

「革細工にしても彫金にしても、誰でも作れるんですよ。分かれ道は『続けられるかどうか』ですね」

 ご夫婦のポリシーは同じものを作らないことだという。だから商品を余所に卸すようなことはしない。同じ商品を大量に作ることを嫌っているからだ。売上の大半はオーダーメイドの1点ものである。

「オーダーは北海道や関西など遠いところからもかなり来ますね。開店当初はメールでのオーダーも受けていたのですが、事細かなやり取りに疲れてしまって対面オーダーのみにしました。会って打ち合わせすることでお客様の好みがわかるんです。ディティールに関してお客様自身が決めきれずに、私達にお任せになることが少なくないのですが、お客様の趣味や嗜好が分からないと『こんなはずではなかった』となってしまう可能性があるんですよ。こちらがお客様の趣味を汲み取るためにも、お会いして打ち合わせることにしています」

 逆に常連客の場合は人となりが分かっているため、完全に丸投げの状態でオーダーされることも多いのだという。

「リピーターの方も多いんですよ。普通のお客さんとして入ってきた男性に彼女ができてペアリング作りに来て、やがてこっそりエンゲージリングの注文を出して。それからマリッジリング、子供向けの注文、と人の人生が見えてくるんですよ。カップルが別れても、違う相手を連れてまた来てくれることがあって嬉しくなります」

 長く続けていると変わったオーダーに出会うことが少なくないという。例えば愛猫の遺骨を入れるペンダントの作成、祖母の形見の指輪をリメイクしてその一部分だけを乗せた指輪の製作、左利き用の財布などなど。

 独学で始めた仕事のため、実践が勉強の場だった。「お客さんに育ててもらっています」と2人は声を揃えて語る。技術的な理由を根拠に注文を断ることはほとんどない。注文を受けてからどうやって壁を克服するかを検討する。出来ることを広げていくこと。その繰り返しで技術を向上させてきた。

 インタビューが終盤に差し掛かったころ、ポワンが筆者の股の間をくぐった。かまって欲しいらしい。じつはポワン目当てで入ってくるお客様が結構いるそうで「犬様々」なのだとか。浅井さん夫婦の人当たりの良い接客のせいもあって「ダリアシアン」で暇を潰したり、待ち合わせ場所として活用している常連もいる。

 昔の床屋はご近所さんのたまり場になっていたそうだが、工房であるはずの「ダリアシアン」は不思議な居心地の良さに満たされていた。

 「将来はここをサロン化したいんですよ。観光客が多くて商品が動くのはいいのですが、製作の手が止まるのがジレンマで。オーダー客を1日2組くらい入れる、という形でやれたら。人力車とか変わった乗り物で鎌倉駅までお出迎えする、という妄想も膨らませています」。

「ダリアシアン」の売り物はクラフトだけではない。最大の売り物は、店という入れ物なのだった。

Dahliacyan(ダリアシアン)
オーナー:浅井幸代(あさいゆきよ)
〒248-0014 神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-6-18 1F
http://www.dahliacyan.com