メケメケ

メケメケ

町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

明けましておめでとうございます

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ども。檀原(@yanvalou)です。

少し遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。

11月から書き下ろしの単行本を書いています。
自分の名前で本を出すのは10年ぶりです。

昨年興味深いイベントに参加したのでブログを更新しようと思っているのですが、本気で書くとかなり長くなりそうで、でも長いエントリーを書く隙があったら単行本を少しでも先に進めた方が……と思っているうちに更新が止まっていました。

現在5分の6あたりまで書けているので、あと10日位でブログに復帰する見込みです。

昔は「原稿を書く気分転換に、別の原稿を書く」というまるで「ご飯をおかずにして、ご飯を食べる」ようなことが出来たのですが、いまはもうそういうことが出来なくなっています。
気分転換はもっぱら読書か散歩ですね。

「出来なくなった」と言えば、昔は原稿の内容に合わせて BGM を考えたり、お香を焚いたり……など環境作りに凝っていたのですが、いまは BGM があると書けなくなりました。
(たまにピアノ曲などを掛けるときもありますが、ボーカルが入っていると煩わしくて書けなくなりました)
これは年齢による脳の変化が関係しているのでしょうか?

文書を書くというシンプルな行為にさえも、人体の不思議はついて廻るようです。

今年もよろしくお願いいたします。

「安心できる居場所づくり」を目指して奮闘するダイニングバーの話

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2015年5月20日に取材した東京・麻布十番のダイニングバー 「クル」の紹介文です。
お蔵入りしていたものを蔵出しいたします。
取材文のサンプルとして御覧下さい。
記事の内容は取材時のものです。

 この世の中には名店と呼ばれる店が星の数ほどもある。経営者や従業員の不断の努力が実を結んでいる部分はもちろんあるだろう。しかし飲食店の場合、店の雰囲気は常連客による所が大きいと思う。感じのよい常連客に恵まれれば店の評判も上がり、居心地も良くなる。店としてもサービスに力が入るというものだ。

 麻布十番の「ヨーロピアンバル クル」は、ドイツ料理を中心にイタリアンなども出してくれる大人のダイニングバーである。店長の高橋功さんによると、「いいものをしっかりつくって、サービスも充実させたい」と考えて神楽坂、広尾など瀟洒(しょうしゃ)な町で物件探しをすすめ、最終的に麻布十番(以下「十番」)に決めたとのこと。開店したのは2013年だが、常連客は地元十番の方が大半で、しかもお客様同士の仲がひじょうに良いという。

「うちのお客様は単独の方が多いんです。そのせいか、この店で知り合って常連さん同士がつながっていくんです。例えば新規のお客様が来られたとします。仮にカウンターが常連さんで埋まっていたとしても『俺たちテーブルで飲むよ』と席を譲ってくださるんですね。でもカウンターにいたお客様たちはみんな単独客なんです」

「クル」の居心地のよさを窺わせるエピソードだ。

 常連客はバラエティに富んでいる。看護士や病院関係者、六本木ヒルズ関連の弁護士、テレビ番組の制作マン、会社経営で成功を収めた紳士など幅広い。ひとつの傾向として言えるのは、前述のとおり、単独客が多いこと。それから来店のピーク時間が遅く、深夜1時、2時に「一軒目」の店として利用するお客様もままみられるということだ。朝まで営業しているせいもあるが、遅い時刻に賑わうのは麻布十番の土地柄だろうか。

 高橋さんの前職はドイツ料理レストランだった。内幸町のドイツ料理店立ち上げの際、料理長をしていたという。最初は和食の板前としてキャリアをスタートし、ロンドンに渡って腕をふるった。その間欧州各国を旅行して見聞を広め、2年間の滞在の後に帰国。厨房でドイツ料理をつくりはじめたのは日本に戻ってからだった。

 世の中は飲食店で溢れている。美味しい料理を出す店も多い。高橋さんは「一定の基準以上の皿を出すのは当たり前。接客に力を入れています」と語る。

 高級店のようなクリエイティブなサービスというより、安心できる居場所づくりという方向で店作りをしているそうだ。そこで、細かいところに気を配った接客とお客様の要望を取り入れた仕入れを実践しているそうだ。「ときには隠しメニューのような形で、メニュー表には載っていないものをご用意することもあります」と高橋さん。本来は料理人だがいまはホールに出たいので、前職で知り合ったシェフに来てもらい、もっぱら表側で店を切り盛りしているという。きめ細かい接客が功を奏したのか、お客様の店内滞在時間は長めだそうだ。

 しかしここまでの道のりは苦労続きだった。

「開店1年目はお客様が来なくて、自分も暗い顔になっていました。常連さんからカウンター越しに『そんな顔をしていたら来る人も来なくなってしまうよ』とハッパをかけていただいたこともありましたね」。

 麻布十番といえば、夏の「十番祭り」である。8月最後の週末に催されるこの祭りは都内で浴衣を着る最後の機会に相当するため、交通渋滞が発生するほどの人出で知られる。開店初年度は立ち回りの仕方が分からず、ビールサーバーを15本借りてきて店の前にブースを作ったものの、知り合いに6杯しか売れずガッカリしたという。表通りは人だかりがしているが、横道には誰も来ないのだ。ところが外売を諦めて店内営業に絞った途端、わずか30分で満席になったという。「次の年から外はやめて早めに店を開けています」。商売のむずかしさと面白さは、こんなところにあるらしい。

 開店から2年が経過した。今はお客様の和が広がり連れ立って野外BBQに出かけるようになるなど、商売が楽しくなってきたところだという。

「まだ理想の半分まで来たところですが。良い料理をお出しして良いサービスをして、うちに来たお客様に元気になって帰っていただきたいですね」

 高橋さんからは「クル」が軌道に乗り始めた手応えと、店がこの地に根を降ろしつつある実感が感じ取れた。

ヨーロピアンバル クル
オーナー:高橋功(たかはし いさお)
港区麻布十番1-2-12レイランドアザブ1F
http://europeanbar-kuru.jimdo.com/

 

メディア出演多数。しかし「料理は地味な世界ですよ」と語る著名シェフの話

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2015年5月14日に取材した東京・赤坂のレストラン「BistroQ」の紹介文です。
お蔵入りしていたものを蔵出しいたします。
取材文のサンプルとして御覧下さい。
記事の内容は取材時のものです。
 

大人の街・赤坂にできた大人の食堂、それが『BistroQ』です

 公式サイトにそう書かれている。店内のインテリアは「大人」が満足出来るだけのシックさをもっているが、「食堂」の気安さも兼ね備えている。その「気安さ」の部分はオーナー・シェフの人柄に負う部分が多いのだろう。「鉄板焼きフレンチ」という前例のないスタイルで多くのファンを獲得した山下 九さんの店は、不思議なバランスの上で成り立っていた。

 山下さんといえば、前述のとおり「鉄板焼きフレンチ」である。テレビ番組にも度々出演し「鉄板焼きの人」のイメージが強い。しかしオーナーとしてはじめて構えたこの店では、イメージの拡張に挑んでいる。目指すのは「オーダーメイドできるレストラン」。メニューにないものでもお客様からの要望があれば、どんどん作っていく。吟味した食材を相手に調理の腕を振るう。そのさまをカウンターキッチン越しに楽しんでいただこう、という趣向だ。

 ときおりわがままなお客様もいらっしゃるそうで、洋食屋だというのに「中華っぽい料理を作ってくれ」とか、二人連れの外国人客が「食べられない物リスト」を持参し、その組み合わせがパズルのようで頭をひねりながらメニューを考案し……、と他所ではとてもできないような相談にも積極的に応えているという。

「ビストロ」を名乗ってはいるものの、いわゆるビストロとは毛色が違っている。「おしゃれなフレンチ・レストラン」よりもふつうに美味しいものを食べてもらいたい、と考えているのだ。看板メニューも「フォアグラ入りハンバーグ」や鉄板で調理した「焼カレー」など、フレンチとはいえ誰もが知っている料理に独創的なひねりを加えたものだ。店内のレイアウトもダイニングバー風で、気取りがない。赤坂の福榎商店街という店のロケーションも、赤坂という街のイメージに反して慎ましやかである。看板メニューの影響もあるのか、お客様の比率は男性優位で、女性客がつれだって訪れる店とはちょっと様相が違う。

 山下さんの料理人としての原点は、漫画『美味しんぼ』にあるという。子供の頃から美味しいものが好きで、「家のうどんより関西のうどんの方が美味しいな」などと、食に関するアンテナを張っている子供だったそうだ。テレビ番組「料理の鉄人」に登場するシェフへのミーハーなあこがれもあった。しかしはじめから料理人を目指していたわけではない。大学受験を目指して浪人までしていたものの、バイク事故にあって三ヶ月間入院。この災難で受験に挑戦する意欲がなくなってしまったのが飲食業界に飛び込んだきっかけだった。

 もともと高校時代に飲食店でウエイターのアルバイトをしており、飲食という仕事には興味があった。当時山下さんは接客を担当していた訳だが、マスターが厨房に引っ込んでいるときに、自分ではなくマスターが表に立った方が店のためになったんじゃないか、もし自分が料理もできる人間だったらマスターを助けられたんじゃないか、という思いがあった。あの頃は助けられなかった、じゃあ、料理人を目指してみようか、と考えたのだ。

 本格的に料理人としてスタートを切ったのは、銀座にあった「チボリ」という店である。この頃は店のやり方をみながら「もっとこうしたらいいのに」と考えるような、勝ち気で早熟な部分があったという。

 その後、渋谷で新規出店のフレンチ・レストラン「モン・フィナージュ」に移籍。ここでオーナーシェフ・中村伊伸氏のもとで、料理のみならずワインの勉強にも励んだ。当時はバブルの影響もあり、ひじょうに忙しい時代だった。その分刺激も多かった。たとえば中村氏も在籍していたフレンチシェフの会「クラブ・ミストラル」だ。メディアで取り上げられる機会が多かったこの団体は面白いと思い、自分たちの代でも同じ趣旨の活動をやってみたい、と考えるなど、このときに吸収したことは料理に留まらず多岐にわたるという。

 その後、西麻布にオープンしたレストラン「ahill」で料理長に就任。コンセプト立案や物件探しも任されたこの店で、山下さんは大成功をおさめる。メディアにも頻繁に登場するようになり、人生が変わったという。

www.ahill.jp

 とはいえ「昔に比べて見た目は派手になってきましたが、料理は地味な世界ですよ」と山下さんには浮かれたところはない。

 その後2010年に「ahill」を離れ、35歳で「Bistro Q」を独立開業。とんとん拍子に思えるが、

「28で『ahill』を任されているのでオーナーになっても開業前との意識のギャップはありませんでした。しかし経営も何もわからないまま前の店がいきなり売れてしまったため、震災のときは困りました。リーマン・ショックの落ち込みがあって、その後でしょ。イベントやったり、DM送ったりという地味な努力と新しい挑戦で経営に変化を持たせようとしましたね。

 震災直後はラッキーな部分もあって、被災翌日は閉める理由もないのでなんとなく店を開けていたんですが、近所にあるホテルが休業した影響でうちが満席になったり。家族を帰国させて居残りを決めたアメリカ大使館の職員が、彼らとしては異例の男性だけの団体で来てくれたり。しかしすぐに厳しくなりました。あのときは近所にお住まいの方に救われましたね。そのあとテレビに出たりしたお陰で徐々にお客様が戻ってきてくださいました。あのときは悲壮感ばかりでなく、いろいろな経験をしました」と語る。

 多くの料理人がそうであるように、筆者の目には山下さんは厨房で叩き上げられた人、という風に映った。多くの人の心をつかみ、ながく活躍している人にはそれだけの裏付けがあるということなのだろう。

 BistroQ(びすとろきゅー)
オーナーシェフ:山下 九(やました ひさし)
東京都港区赤坂2-20-15 HAGAビル1F

www.bistro9.com

 

先日のイベントがAFPニュースで紹介されました

ども。檀原(@yanvalou)です。

既に一ヶ月以上前のことになりましたが、僕が企画・制作したメンバー全員が現役/元ホームレスのダンスカンパニー「ソケリッサ!」の横浜公演(西区・東福寺)が、AFPニュースの記事の写真として紹介されていました。

www.afpbb.com

AFPさんが公開している動画はこちら

youtu.be

AFPさんから写真は頂いていたのですが、掲載の連絡がなかったので完全にスルーしてました。

リンク先の写真ですが、ライターの性としてPhotoshopをつかってカメラのスペックを調べました。

人物写真に定評のあるキヤノンではなく、事実そのままの色再現に定評のあるニコンを選ぶとは報道関係者らしいですね。

望遠で露出=f2.8ということは、俗に言う「大三元レンズ(広角・標準・望遠のズームレンズの3本の組合せで、どれも開放F値が「F2.8通し)」を揃えているのでしょうか?

撮影したのは穐吉洋子さんという方なのですが、当日は山登りに行くような恰好で完璧な装備でしたね。

 

というのは当日はものすごい豪雨だったからです。

おかげで来場数は十数人のみ。
ソケリッサのアオキさんは「うちが一声かければ100人は集まりますよ」と豪語していたのですが、雨には勝てません。

ところでこのグループの踊りですが、昨年見たときよりも上手くなっていました。
昨年はメンバーのなかに一瞬アオキさんの指示待ちしているダンサーがいるなど、少々熟成されていない感じがしたのですが、いまはそんなことはない様子。

アオキさんだけプロダンサーなのですが、そろそろアオキさんは振付に専念して出演は控えた方が良いでしょう。
ホームレスたちだけが演舞した方が感動が深まるはずです。
彼らのダンスを観た人たちのレビューは概ね絶賛の嵐なのですが、僕にはこの点が気になりました。

今回のイベントで改めて「イベント事は見に行くよりも自分たちが主催した方が面白い」と感じました。

横浜公演はツアーの一環に組み込まれていますが、もとは完全な自主企画です。
企画を立案した時点ではツアーのことは知らなくて、ソケリッサ!のリーダーであるアオキさんとの打ち合わせの席で聞きました。

東京公演はすべてアーツカウンシル東京の助成を受けているのですが、うちの公演だけは僕が自力で横浜の助成金を取ってきました。
いつかこの辺の制作の話も書く機会があるかも知れません。

イベントごとは今後も続けていきたいですね。

 

スポーツ記者でないライターが、スポーツの記事を書いてみた

f:id:yanvalou:20171120231759j:plain 第6回極東選手権(通称・東洋オリンピック)大阪大会に臨席する秩父宮殿下

ども檀原(@yanvalou)です。

最近公開されたのですが、ソフトバンク系列の Webマガジンにこんな記事を書きました。
thepage.jp

東京五輪の記事はこれから増えてくると思いますが、異色作でしょう。
3回連載です。

この記事を書いたきっかけですが、昨年度、geidaiRAM という東京芸大の単位認定なしの1年コースを受講しました。

geidai-ram.jp


そのときの実習の一つで演出家の高山明さん率いる Port Bのプロジェクト『東京ヘテロトピア』の「リサーチラボ」で提案された内容をベースに独自取材して書いた記事です。

casabrutus.com

参加者の一人が日比谷公園とアジア史の関わりについて情報提供した素案をベースに、自力でフェリス大学の和田浩一教授および奈良女子大学の鈴木康史准教授に直接取材して書きました。

こういう訳で着眼点が『東京ヘテロトピア』的です。

なおかつ若い頃よく読んだ玉木正之さん(自称「日本で最初のスポーツライター」)の著作を彷彿とさせる内容にもなっています。

和田先生も鈴木先生も玉木さんの書いたものは良く知っていて、取材の際に意見の摺り合わせが容易に出来たのでラッキーでした。

実は二冊目の単著を出した後、まったく企画が通らなかった時期がありました。
そのときボツにされた企画の一つが戦前のプロ野球に関するもの。
先方曰く「檀原(@yanvalou)さんはスポーツの記事書いたことありませんよね。だからダメです」とすばらしすぎる理由で却下されました。
そういう訳でいつかスポーツの原稿を通してやろうと思っていたのですが、ようやく念願達成です。

歴史物であればスポーツだろうがなんだろうが書ける自信はあるし、逆にスポーツライターには故人ばかり出てくる原稿は書けないはず。

スポーツに縁がないライターさん、もしくはスポーツ好きでも選手にインタビューなどをした経験がないライターさん。歴史物ならいけますよ!

ひじょうに僕らしい内容ですので、お暇でしたらご一読下さい。

中編はこちら。

thepage.jp

後編はこちら。
thepage.jp

大きなイベントをやり遂げて一ヶ月経った

今回は久しぶりのブログなので、書き慣れた「である調」で書きます。

大きなイベントをやり終えて一ヶ月がたった。
ここ何年かの仕事の中でもっとも大きなものだったと思う。
やり遂げて1週間か10日くらいは高揚感と虚脱感と開放感が入り交じったような感じになり、とてもブログを書く気になれなかった。

その後はイベント制作中お預けにしていたあれやこれやをやっているうちに時間が過ぎてしまい、はてなから「一ヶ月ブログを更新していませんね」という通知をもらってしまった。
でも大きな仕事をやり遂げた後は、大なり小なりこんなものだと思う。

助成金の申請からカウントすると8ヶ月制作していた計算になる。
本当にハードで、途中で「永久に終わらないんじゃないか」と思ったくらいだ。

f:id:yanvalou:20171118084012j:plain野外公演終了後、ソケリッサ!の横内さんと。

いままでも何度か自主企画でイベントをやって来た。
その多くはトークイベントだ。
ライター業を始める前は舞台人だったので、劇場での公演を含めると数はもう少し増える。
いずれのイベントにも共通することは、【自分自身が主役】ということだった。

ところが今年に入って2回主催した落語会を経て、「なにかやりたいことがあったとしたら、必ずしも自分でやらなくてもいい」という当たり前のことに気がついた。
これは大きい。

多くの場合、ライター主催のイベントはトークイベントか勉強会だ。
自著の宣伝とかノウハウ伝授とか、内容は色々だろうが、主催者自身が喋り倒すものが多い。

必然的に話す内容は、自分が知っていることや体得したことになる。
だが、人一人が経験出来ることには限りがある。
当然話す内容は決まってくる。

しかし「必ずしも自分が話さなくてもいい」のだ。
人に任せて自分は制作に専念すれば良い。
それが今回学んだことだった。

豪華なゲスト

今回のイベントは四つのパートで構成されていた。

  1. 鎌倉時代創建のお寺での演劇野外公演
  2. 同じお寺での野外ダンス公演
  3. 三人のゲストを招いてのトークイベント
  4. 映画上映会

このブログはライターブログなので、トークイベントに絞って書いておきたい。
野外公演に関しては、観客の感想など外部へのリンクに留めておく。

www.afpbb.com

twsgny.blogspot.jp

さてトークイベントだが、非常に豪華かなゲストをお招きすることが出来た。


伊藤文学さんは現在「薔薇族」の編集長をやっている知人につないでもらった。
御年85歳。


文学さんは会場となったシャンソニエの前オーナーと非常に親しかったそうで、目に見えない不思議な縁を感じた。
むかしは年になんどかこのシャンソニエに顔を出していたそうだが、随分ご無沙汰していたとのこと。
足が不自由になり、外出が億劫なお体になってしまったので、横浜でお話を聞く機会は貴重だったと思う。

フラワーメグさんは知る人ぞ知る伝説の女優。現在で言うところのセクシータレントの走りのような存在なのだが、1970年のわずか1年だけしか活動していないにもかかわらず、多くの人の記憶に焼き付いている。


フラワー・メグ/私のキライなもの

メグさんとの出会いは奇跡とも言えるものだった。
ここ数年とあるテーマを取材しているのだが、その過程でメグさんの存在を知った。
しかし連絡先がまったく分からない。
40年以上も前に芸能界を引退した人だ。芸能記者でもない限り、伝手などあるはずもない。
ところがである。
あろうことか、メグさんの方から僕の Twitterアカウントをフォローしてくれたのだ!
こんなことってあるんだろうか!?
本当にびっくりした。

実際にお会いしてこの点について伺ったところ、Twitter は息子さんに任せているとのこと。
その息子さんが「こういう面白い人はフォローしておいた方が良いよ」と言って、僕のことをフォローしてくれたのだそうだ。嬉しい!

康芳夫さんは「怪人」とでも言うべき人で、まさか出演して頂けるとは思っていなかった。

arban-mag.com


文字通り古き良き昭和の興行界を体現しているような存在である。
打ち合わせ場所は、赤坂にあるホテルオークラ別館のバー。
後日人から聞いた情報によると、康さんは取材を受けるときも打ち合わせするときも、かならずここと決めているらしい。
秘書の方と三人で会ったのだが、顔合わせも兼ねて軽く打ち合わせ下だけなのに、経費が9,500円もかかったのには参った。

具体的な出演料はその場では決めず、メールで交渉した。
ハッタリもあるのかもしれないが、「僕の出演料は最低10万円だよ」と仰られ、地の底に引き釣り込まれるような気持になったのは忘れられそうにない。
怖くなって返信のメールを確認する勇気がなく、一晩おいておそるおそる読んだのはいい思い出である。
このときは「メール確認専門の秘書が欲しい」と本気で思った。

f:id:yanvalou:20171118084821j:plainトークイベント終了後、出演者の方たちと。

多くのライターははてブの数とかリツイートの回数、ページビューの数字などでしか自分の仕事の手応えを得られない。
それよりも出演交渉の醍醐味や観客からのリアルな反応を得られるイベントの方が、ずっとおもしろいし、大きな高揚感を得られる。
もちろんいいことばかりではなく、不入りになれば赤字になるやも知れず、制作の過程で天にも昇る気持になったり、地獄に突き落とされたような気分になったり、気持はつねに上下しっぱなしである。
短い時間とは言え、戦場のような緊迫した世界に肩まで浸かっていた。
この8ヶ月間はまったく落ち着くことが出来なかった。
経営者や芸能人、アスリートなどはいつもこんな世界で生きているのだろう。

いずれにせよ、ライターが増えすぎてしまった現在、執筆業だけでやっていくのはリスキーだ。
ライター業の不毛さとか、社会とのつながり方の問題も考えると、これ一本でやっていくことに疑問を感じざるを得ない。
こう考えるのは僕だけだろうか?

稲の青、農機の赤、そして高座の金屏風

ども。檀原(@yanvalou)です。

8月末に岡山まで出向いたときの記事が Web上にアップされました。

稲の青、農機の赤、そして高座の金屏風。噺家はなぜ赤磐に根を張ったのか | 岡山県赤磐市 | 「LOHAI」(ロハイ) :

lohai.jp

噺家さんをフィーチャーしたため、バカっぽさと勢いを大事にして書きました。
いつもは頭から最後まで続けてかくことはないのですが、今回はそれこそ数年ぶりに最後まで通しで書き上げています。

概ね初稿の通りの原稿なのですが、「まちおこし」というミッションがあるため、ちょこちょこ直し(というか先方からの要望)が入っています。

調べれば分かることなので書いてしまいますが、「水田のカエルを狙ってヘビが出て、山からタヌキやキツネ、アナグマ、サル、シカも降りてくるとのこと」という記述が後半に出てきます。
じつはもっと大きくて凶暴な動物、具体的に言うとクマも市境に出るそうなのですが、これは削除されました。
この件は新聞に出たので簡単に調べられます。
僕はプラスイメージで捉えていましたが、世間的にはそうではなかったようです。

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また初稿の段階では、喜助師匠が赤磐に流れ着き、そのまま居着いたことを「沈没」と表現していました。流れ者であるバックパッカーがひとところに落ち着いて離れなくなることを「沈没」といいますが、それを援用した訳です。

ところが編集側から「落ちぶれたように感じるので控えて下さい」とのお達し。

雷門一門は、6代目が名人で、7代目がセコ(お粗末)、8代目(先代)が6代目の息子で巧かったので持ち直す、といった具合に揺れた歴史があります。
名古屋に移り住んで「落語界のシーラカンス」と言われた雷門福助は6代目の弟子、喜助師匠はその福助門下です。それこそバックパッカーのように「漂泊の血筋」が脈打つ一門です。

当時東京から失踪した師匠は「行方不明扱い」されており、つまりそれは「落ちぶれた」ということなのでは……と思ったりもしましたが、原稿はクライアント第一。こんなことで目くじらを立てていたら、仕事になりません。

そんなこんなで数カ所直しが入っています。
(珍しく文法上のダメ出しはありませんでした)

こんな具合に原稿の裏の部分に思いを巡らせながら読むと、ひと味ちがう読書体験が出来るかも知れませんね。

最後に記事に載せられなかった喜助師匠お気に入りのお寺「普門院」をご紹介して終わります。

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今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!