ども。檀原(@yanvalou)です。
8月末に岡山まで出向いたときの記事が Web上にアップされました。
稲の青、農機の赤、そして高座の金屏風。噺家はなぜ赤磐に根を張ったのか | 岡山県赤磐市 | 「LOHAI」(ロハイ) :
岡山県の赤磐市というところで、活動する落語家・喜助師匠をフィーチャーした記事です。
落語家の大部分は東京と大阪におり、それ以外の都市にいるのは少数派。ましてや岡山県の片田舎となると相当異色です。のみならず、喜助師匠は地元自治体から住居と専用の寄席を寄贈されているのです。
喜助師匠の住居件寄席。周囲は田園風景。田んぼの真ん中に寄席があるなんて珍日本百景か?
噺家さんをフィーチャーしたため、バカっぽさと勢いを大事にして書きました。
いつもは頭から最後まで続けてかくことはないのですが、今回はそれこそ数年ぶりに最後まで通しで書き上げています。
概ね初稿の通りの原稿なのですが、「まちおこし」というミッションがあるため、ちょこちょこ直し(というか先方からの要望)が入っています。
調べれば分かることなので書いてしまいますが、「水田のカエルを狙ってヘビが出て、山からタヌキやキツネ、アナグマ、サル、シカも降りてくるとのこと」という記述が後半に出てきます。
じつはもっと大きくて凶暴な動物、具体的に言うとクマも市境に出るそうなのですが、これは削除されました。
この件は新聞に出たので簡単に調べられます。
僕はプラスイメージで捉えていましたが、世間的にはそうではなかったようです。
また初稿の段階では、喜助師匠が赤磐に流れ着き、そのまま居着いたことを「沈没」と表現していました。流れ者であるバックパッカーがひとところに落ち着いて離れなくなることを「沈没」といいますが、それを援用した訳です。
ところが編集側から「落ちぶれたように感じるので控えて下さい」とのお達し。
雷門一門は、6代目が名人で、7代目がセコ(お粗末)、8代目(先代)が6代目の息子で巧かったので持ち直す、といった具合に揺れた歴史があります。
名古屋に移り住んで「落語界のシーラカンス」と言われた雷門福助は6代目の弟子、喜助師匠はその福助門下です。それこそバックパッカーのように「漂泊の血筋」が脈打つ一門です。
当時東京から失踪した師匠は「行方不明扱い」されており、つまりそれは「落ちぶれた」ということなのでは……と思ったりもしましたが、原稿はクライアント第一。こんなことで目くじらを立てていたら、仕事になりません。
そんなこんなで数カ所直しが入っています。
こんな具合に原稿の裏の部分に思いを巡らせながら読むと、ひと味ちがう読書体験が出来るかも知れませんね。
今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!