メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

翻訳するときは1冊丸暗記してから訳します、という翻訳家の話

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ども。檀原(@yanvalou)です。

昨日(11月8日)、赤坂にある「東京ドイツ文化センターゲーテ・インスティチュート。以下「ゲーテ」)」で行われた「ダブルス・トーク - 現代文学の紹介(ラフィク・シャミとアンドレアス・セシェ: 他者からの眼差し)」に参加してきました。
ゲーテはイギリスの「ブリティッシュ・カウンシル」やフランスの「日仏学院」のような、ドイツ国家による文化機関です。なんだかんだでちょくちょく行く機会があります。
今回は松永美穂と酒寄進一というふたりの翻訳者によるトークセッションでした。

ライターとして興味深かったのは、酒寄さんの仕事術。
大学の先生でもある酒寄さんは、1ヶ月のうち10日程度しか翻訳に割くことは出来ないそうです。
翻訳に取り組むのは1日フルで空いているときのみ。
大学の仕事の帰りなどに翻訳することはないそうです。
5日間程度連続して作業するのが一番調子が良いそうで、3日目から波に乗ってくるとのこと。

逆に初日、2日目は本調子にならないので、1日目はこれまで訳した部分を読み返したり、赤入れしたりして感触を思い出していくのに使うというのです。
酒寄さん曰く、しばらく翻訳から離れて大学の仕事をしたり、関係のない本を読んだりすると、翻訳のリズムが狂ってしまうのだそうです。
1冊訳す際に最初から最後までつづけて作業できる訳ではないので、なにも考えずに訳してしまうと途中から文章のリズム感が変わってしまい、一貫性がなくなってしまうのだとか。
これは酒寄さんだけの現象ではなく、松永さんなどほかの翻訳者にも共通の悩みだそうです。

このリズムの一貫性の問題は翻訳の極意に相当する課題らしいのですが、酒寄さんはつぎのふたつのやり方で対処しているそうです。

 1】テーマ音楽を決める
 2】面で訳す

1】ですが、登場人物ごとにテーマ曲を決めるのだそうです。
当然のことながら、登場人物ごとに話し方のクセがある訳ですが、途中で中断を入れてしまうと、このクセを破綻させることなく貫徹させるのは至難の業。
そこで登場人物ごとにテーマ曲を決め、作業の前に登場する人物の曲を一通りまとめて聴き込み、リズムを思い出すのだそうです。

2】ですが、これは酒寄さんだけの技術だと思うのですが、ドイツ語の原文をまるまる1冊分暗記してから訳すのだそうです。
こうすることで「このワードは全体を通してこういうニュアンスだった」「この結末の伏線は、こんな風だった」などということが俯瞰して理解できるのだそうです。

具体的には1行1行訳すようなことはせず、前後関係や流れを踏まえ、すくなくとも段落単位で和訳していくのだそうです。

酒寄さん曰く「役者は台本をまるまる暗記しているのだから、別に特別なことじゃないよ」とのこと。
しかしライターで同じことをしている人、どのくらいいるでしょうか?
自分で書いたテキストでさえ、暗記している人は皆無では……。

松永さんが「先日お話を伺った翻訳者は、頭から訳すと最後の方のリズムが冒頭と違ってしまうので、あえて3章辺りから訳すようにしていると言っていましたが……」と水を向けると、「え? そういうのはやったことがないな。それ、おもしろいね。そのやり方だとどうなるんだろう?」と酒寄さん。端からみているだけでも面白いやりとりでした。

話をすこし戻すと、酒寄さんは本調子になった3日目になると1日で30ページほど訳してしまうのだそうです。
つまり5日間あれば、3,4,5日目で90ページくらいは訳せてしまう計算。
大学の仕事やこれから翻訳する本探しもしながら、1冊訳すのに3ヶ月くらいで回しているとのことでした。

ただし「調子に乗っているときは時間が経つのも忘れて、完全に没頭しているんだよ。だから何も食べずに、ずっと集中しているの。体に悪いんだよね。命を縮めていると思う」となんともすごいことを言っていました。

僕もインターネットにハマりだした20年前には、席も立たずにぶっづけで6,7時間机にかじりついていましたが(爆)、翻訳のような高度な作業とは大きく違う訳で、まったく比べ物になりません。

とは言え、酒寄さんも人間です。
集中できるのは3日が限度だそうで、なおかつその3日間で波が出来てしまうこともあるそうです。
そんなときは「庭の草むしりなどをして汗を流し、気分転換している」とのことでした。

ライティングに関するノウハウは世の中にあふれています。
しかしこういう作業環境や手順などに関するノウハウは、誰も公開していません。

むかし僕はこういう作業環境に関するノウハウに興味があり、自分なりに研究していました。
机や椅子、BGM、姿勢、インセンス、照明などあらゆることにこだわっており、テキストの内容に見合った空気をつくってから作業していたものです。

あるとき「小説新潮長編小説新人賞」を受賞した小説家に、この件について質問しました。
この方は小説のみならず、演出家兼女優としても活躍している多彩な方です。
舞台人であれば、一般人以上に空間に対するセンスが鋭いでしょうから、なにかおもしろい話が聞けると思ったのです。
ところが先方からは「くだらない」と一蹴されてしまいました。

自分にとって「執筆と環境」は興味を引かれるテーマでしたので、めげずに興味をもちつづけました。
それが過去になんどかウェブ媒体に起稿した「ライター・イン・レジデンス」の取材に発展していくのですが、この話は一旦脇に置きます。
昨日聞いた酒寄さんの話には、「我が意を得たり」と膝を叩きたくなるような気がしたのでした。

今日の記事は以上です。
またのお越しを、お待ちしております!