メケメケ

メケメケ

町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

【旅×仕事】人気は、旅に出ない人のガス抜きに過ぎない。でも……

 f:id:yanvalou:20180517041113j:plain

ども。檀原(@yanvalou)です。

数年前から世界を旅しながら仕事するという「職業=旅人」が人気ですね。
ネットをさまよっていると、こんな文句がゴロゴロしています。

 旅することの意味

 旅して学んだ人生のあれこれ

 人生を変えた旅のエピソード

 旅があなたを自由にする

 などなど……。

どうもピンと来ないんですよね……。

今回は僕の旅の話を少しだけしましょう。
現在までに訪れた国は13ヶ国です。決して多くありません。むしろ旅のプロを自称する人たちから見たら、少なすぎるでしょう。

23歳のとき、ピースボート(以下 PB) の世界一周クルーズに申し込みました。
いまでこそPBの世界一周ツアーはありふれていますが、そのときはまだ実施2回目でした。つまりまだ目新しかったんです。

しかし僕は出発の少し前にキャンセルしました。
なぜか。
気がついてしまったんです。「世界一周」とは言っても、陸地にいる時間よりも船にいる時間の方が長いということに。

船旅は「有り余る暇な時間をいかに過ごすか」というのんびりした旅です。
PBは、いまや有名政治家となった辻元清美の立ち上げた団体ですから、リベラルな立場に基づいた討論が大好きです。
だからせっかくトロピカルな国・ジャマイカに行っても敢えて観光客のよりつかない、ひなびたビーチに行って現地の暇人と遊んだり、パナマのドラックリハビリ施設を見学した後に、船でその手の問題について討論したり、著名な論客を招いて船上で講演してもらったりします。
それ以外の時間はフィリピン人シェフのつくる毎日同じような食事をビュッフェ形式で食べ、同じくフィリピン人バンドのだるそうな演奏を聴きます。
僕はそういう旅は嫌でした。

「世界一周が夢」という人はたくさんいます。
そしてほとんどの人は、その夢を実現することなく一生を終えます。
あのまま一周するのは簡単でした。
しかしPBの世界一周は、僕の好みではありませんでした。
いくら「海外」と言っても、日本人に囲まれながら移動するのは海外旅行ではない。そう思ったのです。
だから思い切って辞退しました。

ところでPB に参加したことのある方ならご存じだと思いますが、PB では「ボラスタ」と言って、チラシのポスティングや張り紙、その他の手伝いをすると時給千円換算で乗船料から割り引いてくれる制度があります。
僕は一周ツアーはキャンセルしたものの、20万円分割引の権利を手にしていました。

この20万円分の権利がもったいない。

そこで一周クルーズのうち、19万8千円分に該当するニューヨーク〜ガテマラ間だけ部分参加することにしました。そして日本からニューヨークまでは2ヶ月間掛けてアメリカを横断してニューヨークで船と合流。帰りはガテマラで降りて、中米を寄り道してから帰るというプランを立てました。
世界一周に使うはずだった予算をアメリカ放浪に廻したわけです。
はじめての海外(ほぼ)一人旅。3ヶ月弱におよぶ旅程でした。
これが僕の長旅の原点です。

最初の訪問地はポートランド
いまでこそ独自のライフスタイルで有名な街ですが、当時はまったく知られておらず、ガイドブックでは「アメリカらしからぬ優等生の街」と紹介されていました。
ポートランドに行ったのは、チケット屋の店員さんが「ポートランドには行かないんですか? あそこは本当に良いところですよ!」としつこかったからです(笑)
当時は現在のようにオンラインでチケットが買える時代ではなく、店頭で買う時代でした。
もしネットで予約していたら、サンフランシスコに飛んでいたでしょう。
チケットを買うところから、すでに旅が始まっていた訳です。

ポートランドの空港で降りて、空港職員に街まで行くバス停の場所を訊いたとき。
海外ではじめて自分の英語が通じた瞬間でした。
あのときのことは今も鮮明に覚えています。

そこからアメリカの街をたくさん泊まり歩きました。

しかし40日を過ぎた頃、自分の内面に変化が訪れました。
あたらしい街に来たときの行動がルーチン化しはじめており、旅が日常化していたのです。
もう旅は非日常ではありませんでした。
単なる知らない場所への移動でした。

僕がちいさかった頃は、転校生という設定でサーカスの子供がクラスにやって来る、という学校ドラマが放映されていた時代でした。
たいていの場合、クラスの子たちは旅暮らしをつづけるサーカス団の暮らしをうらやましがります。

しかしサーカスの子にとって旅は日常。
決まった街の決まった家で寝起きする生活こそが、非日常なのです。

僕がアメリカ横断中に体感したことは、まさにこういうことでした。

「旅を仕事にする」ということは、旅が「単なる移動の連続」になるということです。
旅先に、なにか強烈な目的がない限り、もう僕は旅を楽しめません。
その「強烈な目的」は、たしかに仕事であることが多いのですが、「旅を仕事にする」というのとはかなり感覚が違います。

結局、【旅×仕事】が人気なのは、長い旅に出たことのない人のガス抜きとして需要があるからなのでしょう。

【旅×仕事】という生き方は、昔風にいえば旅芸人の世界に近いものです。
盲目の旅芸人、瞽女(ごぜ)さんの旅を羨ましいと思いますか?
トレーラーにゆられるプロレスラーのどさ回りは、まぶしいですか?


矢沢永吉-トラベリン・バス【歌詞付】

ヤザワじゃないですが、ほんとに「きつい旅だぜ、お前に分かるかい? あのトラベリン・バスに揺られて暮らすの」の世界ですよ……。
L.A.〜ニューオリンズまで3日間バスに揺られたときなど、ホントにキツかったです。
先進国アメリカのバス旅でさえたいへんなのですから、第三世界のギュウ詰めバスのガタガタ道行路など想像を絶しますよ。
もちろん【旅×仕事】で自由な生き方を目指す人たちは、トラベリン・バスには乗らないとは思いますが。

とは言え、僕も息抜きで行く1日〜2日程度の旅は僕も好きですけどね。

現在の僕にとって、刺激的な【旅×仕事】は誰も知らないテーマを深掘りする取材旅行か、ライター・イン・レジデンスです。

今回の記事は以上です。
またのお越しをお待ちしております。