メケメケ

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町工場や倉庫がひしめく運河のほとりから、セカイに向けて書き綴るブログ。

ライタースクールに行く意味はあるのか?(前編)

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ども。檀原(@yanvalou)です。

かつてライターが「カッコいい職業」だった時代がありました。

その当時ライターになるには、もっぱら出版社に入るか、編プロで修行するしかありませんでした。
その一方で、ライター職として企業の社員になったばかりの者や、とりあえず名刺をつくってライターを名乗ったものがスクールに行って勉強する、という姿も見られました。

さて。
あらゆる情報がネット上にあがっている昨今。
ライターになるための情報も、上手な文章を書くノウハウも検索すれば瞬時にヒットします。
ずぶの素人がクラウドソーシングなどで、いきなりお金を稼ぎ始める世の中。
そんな状況下でも、ライタースクールに通う意味はあるのでしょうか?

スクールは役に立つ

じつは僕もスクールに通っていた時期がありました。
2冊目の書籍を出してすぐの頃です。

仮にも自著を2冊出していたので、素人ではなかったかも知れません。
しかしまったくの我流でやって来ましたので、

「他の人たちはどうやっているのだろう?」
「王道のようなやり方、一般的と言われる方法論があるのではないか?」

と気になっていたのです。

自分のやり方が間違っているとは思いませんでしたが、手法を拡げることで幹を太くしようと考えたのです。

ライターや編集者の世界では

「スクールに行ってもプロにはなれない」

「行くだけ無駄」

「どこかへ潜り込んで仕事をする方が上達する」

という意見が幅をきかせていました。

それはまったくの正論です。
しかしライターになると分かりますが、他人の仕事ぶりをみる機会が本当にないんですよ。それがこの仕事の特徴です。
OJTに相当するものがないんです。
いえ、あるといえばありますが、それは所謂「添削」とか「指導」とか「書き直し命令」という奴で、体系的になにかが学べるわけではありません。
また自分で考えながら技術を習得していくため、他人の方法論に触れる機会もほとんどありません。
2冊目を書き終えて一息ついたところで、技術のブラッシュを図ろうと考えたのです。

スクールに行って良かった点

僕が通っていたスクールは少数精鋭で、1クラス10名程度。期間は半年位だったと思います。
最終的に原稿用紙30枚以上の原稿を書いて互いに論評する、というのがゴールでした。
講師は批評家の切通理作さんです。

切通理作さんについて好き嫌いが分かれるかも知れませんが、教えるのは上手でした。
しかしスクールで有益だったのは切通さんの指導ではなく、他の生徒の提出物でした。

スクールは役に立ちます。
クラス全員が同じ課題に取り組む中で、「こういうアプローチもあったのか!」と自分にはない発想を学べる。それがスクールの強みです。
通信講座や入門書では学べない部分です。

率直に言って、切通さんのカリキュラムは僕が我流で身に付けてきた範疇をほとんど超えておらず、自分の正しさを確認する作業をしているようなものでした。
とは言え役に立ったこともありました。

ひとつは「インタビューは1度で済ますな。2回以上行け」と教えられたこと。
もうひとつは何人かの著名ライターと直接話が出来たことです。
切通さんの講座では、特別講師の課題図書を2〜3冊読み込み、内容に沿った質問をすることが出来るのです。そして授業後に、特別講師と飲みに行けるのも楽しみでした。

僕は受講期間終了後も単発で特別講義を受けたため、5〜6名の名の通ったライターと話をすることができました。
その人たちとはとくに繋がりは出来ず、単なる思い出になっていますが、なかには共通の知人が何人かいる講師や、元からmixi で繋がっていたライターが講師になってやって来ることもありました。
いくらキャリアが違うと言っても同じ業界にいるわけですから、どこかで繋がっていてもおかしくありません。